4月19日 晴れ
8:00 ワディ・ラム、ぺトラの2泊3日のドライブ旅行から戻った我々は
今回の家族旅行の最終ドライブに出かける。
予定はアンマンより南下してネボ山に寄り死海を経てハママート・マインにある
温泉に浸かりアンマンに戻ってくる行程だ。

(アンマンーネボ山ー死海ー温泉ー
アンマンと時計回りにドライブ)
ネボ山はアンマンの南西30kmのところに位置し死海とパレスチナを見下ろせ、
モーゼ終焉の地として有名である。
ネボ山、パレスチナについては2008年8月30日出稿のパレスチナ
(カテゴリー:ヨルダン事情・暮らし・気質)を参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/morimoriblog/m/200808
ネボ山の教会入り口には記念碑がある。
これは、2000年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が訪れたのを記念してるそうだ。
記念碑下方には、UNUS DEUS PATER OMNIUM SUPER OMNES
「一つの神、万民の父が、万民の上にいます」と書かれている。
余談であるが本年、2009年5月9日にはヨハネ・パウロ2世の跡を継いだ
ベネディクト16世が訪問している。

(ヨハネ・パウロ2世の記念碑)
記念碑を奥に進むと、4世紀にモーゼを記念して建てられた教会跡があるが
現在は修復中である。
それのモザイク壁画が一部展示されている。

(モザイク壁画)
さらに進むとモーゼの杖のモニュメントがある。
モーゼは杖で現在のエルサレム方面を指し「カナンを目指せ」と言い残して
亡くなったとされている。

(モーゼの杖)
ネボ山は標高800メートルであり、死海は標高マイナス400メートルである。
我々は1200メートルの標高差を死海に向けて下ることにする。
一気に山を下り降りた我々は死海に浮かぶべく公共のアンマン・ビーチで着替えをした。
そこはプールもあり快適な場所である。
ヨーロッパからの旅行客が多くビキニ姿の女性もいて、ここがイスラム国であることを
忘れさせててしまうほどであった。

(Pool)
早速ビーチに向かい

(ビーチ)
それぞれが死海に浮き記念写真を撮った。
塩分が強いためか肌にさすような痛みがあり、長くは浮かないほうがよさそうだ。

(死海浮遊中 向こうの陸地はイスラエル領)
浮遊体験後、女性たちはホテルのエステ、泥パックを予約していたためホテルに向かう。

(マリオット・ホテル)
その間男たちはのんびり昼寝をした。

(昼寝タイム)
ホテルの庭は手入れが行き届いている。

(美しい庭園)
泥パックを終えた妻たちと合流後、温泉に向かう。
時間の関係で昼食を省いた、これには皆不満だったようだが無視してドライブ。
ザルカ・マイン川が死海の谷へと流れ落ちる海抜0~マイナス400mの断崖には
たくさんの温泉が湧き出ているらしく、2000年以上も昔から知られており、
ローマ時代には死海湖岸に温泉療養所があり、持病をかかえていたヘロデ大王が
船で死海を渡って湯治に来ていたと伝えられている。
ハママート・マインの温泉は観光施設となっており入場料を払って入る。
中に入ると案内表示が不十分でよくわからない。
最初に訪れたのは温水プールであった。

(温水プール)
これが温泉とは思えない。
奥に入ると高さ4mほどの小さな滝がある。

(小さな滝 これは人工らしい)
さらに奥に進むと豪快に滝が落ちているのが見える。
これぞまさしく温泉である。
流れ落ちてくる滝はほどよい熱さである。
滝壺には現地の女性も見られ、彼女たちは普段着のまま浸かっているようである。

(Hot Spring)
温泉をあとにして一路アンマンの我家に向かう。
18:00 自宅着
車をオーナー代行に自宅前で返す。
19時過ぎ、自宅から西のほうを眺めると夕焼けが赤く染まって素晴らしかった。
こちらでは天候のかげんでこのような燃え上がるような赤焼けに出っくわすことがたまにある。

(我が家からの素晴らしい赤焼け)
これで4日間のレンタカー家族旅行は終わりである。
本日の走行距離 220km
この4日間での全走行距離はちょうど1,000kmであった。
8:00 ワディ・ラム、ぺトラの2泊3日のドライブ旅行から戻った我々は
今回の家族旅行の最終ドライブに出かける。
予定はアンマンより南下してネボ山に寄り死海を経てハママート・マインにある
温泉に浸かりアンマンに戻ってくる行程だ。

(アンマンーネボ山ー死海ー温泉ー
アンマンと時計回りにドライブ)
ネボ山はアンマンの南西30kmのところに位置し死海とパレスチナを見下ろせ、
モーゼ終焉の地として有名である。
ネボ山、パレスチナについては2008年8月30日出稿のパレスチナ
(カテゴリー:ヨルダン事情・暮らし・気質)を参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/morimoriblog/m/200808
ネボ山の教会入り口には記念碑がある。
これは、2000年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世が訪れたのを記念してるそうだ。
記念碑下方には、UNUS DEUS PATER OMNIUM SUPER OMNES
「一つの神、万民の父が、万民の上にいます」と書かれている。
余談であるが本年、2009年5月9日にはヨハネ・パウロ2世の跡を継いだ
ベネディクト16世が訪問している。

(ヨハネ・パウロ2世の記念碑)
記念碑を奥に進むと、4世紀にモーゼを記念して建てられた教会跡があるが
現在は修復中である。
それのモザイク壁画が一部展示されている。

(モザイク壁画)
さらに進むとモーゼの杖のモニュメントがある。
モーゼは杖で現在のエルサレム方面を指し「カナンを目指せ」と言い残して
亡くなったとされている。

(モーゼの杖)
ネボ山は標高800メートルであり、死海は標高マイナス400メートルである。
我々は1200メートルの標高差を死海に向けて下ることにする。
一気に山を下り降りた我々は死海に浮かぶべく公共のアンマン・ビーチで着替えをした。
そこはプールもあり快適な場所である。
ヨーロッパからの旅行客が多くビキニ姿の女性もいて、ここがイスラム国であることを
忘れさせててしまうほどであった。

(Pool)
早速ビーチに向かい

(ビーチ)
それぞれが死海に浮き記念写真を撮った。
塩分が強いためか肌にさすような痛みがあり、長くは浮かないほうがよさそうだ。

(死海浮遊中 向こうの陸地はイスラエル領)
浮遊体験後、女性たちはホテルのエステ、泥パックを予約していたためホテルに向かう。

(マリオット・ホテル)
その間男たちはのんびり昼寝をした。

(昼寝タイム)
ホテルの庭は手入れが行き届いている。

(美しい庭園)
泥パックを終えた妻たちと合流後、温泉に向かう。
時間の関係で昼食を省いた、これには皆不満だったようだが無視してドライブ。
ザルカ・マイン川が死海の谷へと流れ落ちる海抜0~マイナス400mの断崖には
たくさんの温泉が湧き出ているらしく、2000年以上も昔から知られており、
ローマ時代には死海湖岸に温泉療養所があり、持病をかかえていたヘロデ大王が
船で死海を渡って湯治に来ていたと伝えられている。
ハママート・マインの温泉は観光施設となっており入場料を払って入る。
中に入ると案内表示が不十分でよくわからない。
最初に訪れたのは温水プールであった。

(温水プール)
これが温泉とは思えない。
奥に入ると高さ4mほどの小さな滝がある。

(小さな滝 これは人工らしい)
さらに奥に進むと豪快に滝が落ちているのが見える。
これぞまさしく温泉である。
流れ落ちてくる滝はほどよい熱さである。
滝壺には現地の女性も見られ、彼女たちは普段着のまま浸かっているようである。

(Hot Spring)
温泉をあとにして一路アンマンの我家に向かう。
18:00 自宅着
車をオーナー代行に自宅前で返す。
19時過ぎ、自宅から西のほうを眺めると夕焼けが赤く染まって素晴らしかった。
こちらでは天候のかげんでこのような燃え上がるような赤焼けに出っくわすことがたまにある。

(我が家からの素晴らしい赤焼け)
これで4日間のレンタカー家族旅行は終わりである。
本日の走行距離 220km
この4日間での全走行距離はちょうど1,000kmであった。