風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

スペイン・ポルトガル旅行 7日目 その1(コインブラからポルトへ)

2010-06-28 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
2009年9月8日(火)

8:00 起床

朝食をとるため5テーブルほどのこじんまりした食堂に行く。


(シンプルな今日の朝食 でもパンは美味しかった)

8:00 ホテルを出発して駐車場に向かう。

大事件発生、車のキーがポケットにもバッグにもどこにもない。
あわててホテルに戻り、部屋内を捜すが見当たらない。

もしやと思い、駐車場に戻り車のドアを開けようとするとすんなり開くではないか!
しまった!キーを差し込んだままだったのである。
エンジンをかけようとするがうんともすんともいわない。

ライトを点けたままでバッテリーが上がってしまったようだ、時計が7時過ぎを示して止まっている。
どうやら2時間ほど前にバッテリーが上がってしまったらしい。

駐車場の管理人に助けを求めるが、充電用のブースターもなく、レンタカー屋に
電話するしかないと冷たい応対。

幸運にも昨日コインブラ駅を訪れた時、我々が借りたレンタカーのカウンターがあることに気づいていた。
早速、妻と駅へと向かう、5分くらいの距離である。

カウンターのスタッフに事情を話すと、別の事務所に電話をしてくれた。
スタッフが車でこちらまでヘルプに来てくれるらしい。

駅で待つこと30分、スタッフの車に同乗して駐車場へ。

経費は一切かからなかった、ラッキー!!
ヘルプのスタッフに丁重にお礼をいって別れる。

10:30 1時間強遅れて駐車場を出発。

今日の目的地はコインブラから120kmほど北上した所のポルトガル第2の都市ポルトである。


(コインブラからポルトへ青線を北上)


(コインブラに別れを告げて)


(途中、交通事故でヘリが出動していた)

12:30 ポルトに到着。

ホテルのチェック・インにはまだ早いのでサン・フランシスコ教会近くの
市営の地下駐車場に車を停めることにした。

車を停めて少しあたりを散策してみる。


(サン・フランシスコ教会)

ポルトは人口約30万人のポルトガルの商工業の中心地である。


(街並み)

ポルトという名はこの地域がドウロ川の河口に位置し、街が港(Portus,ポルトゥス)の
役割を持っていたことに因るらしい。


(アズレージョで飾られた名もない教会)

サン・フランシスコ教会の近くにリスボンと同じく2階建ての観光バスが待っていた。
日本語の観光案内もあるらしい。

我々も乗ってみることにした。

以下はバスからの風景である、
朝のキー紛失事件で疲れたせいか個々の名称についてはあまり記憶がない。

少しでもポルトを感じてもらえればいいのだが・・


(アラビダ橋)


(要塞)








(カモメが多く飛んでいた)






(これも要塞のようだ)


(アパートであろう)










(中央の奥はクレリゴス教会)





1時間半ほど廻ったであろうかバスは出発地点のサン・フランシスコ教会前に戻ってきた。

我々はまた少し歩いてみることにした。
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スペイン・ポルトガル旅行 6日目 その2(コインブラ)

2010-06-21 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
15:00 コインブラの町の散策に出かける。

コインブラは政治のリスボン、明日行く予定の商業のポルトに続く
ポルトガル第3の都市で丘の上の大学を中心に広がる文化の中心である。

ポルトガル第3といっても人口9万人ほどの小さな町である。

早速、ホテル近くのコインブラ駅に行ってみる。


(コインブラ駅)


(ホーム)

駅からモンテゴ川を右に見ながら2,3分歩くとポルタジェン広場である。


(モンテゴ川)


(旧市街の入り口にあるポルタジェン広場)

広場前から出ている公のバスに乗り街を簡単に廻ってみた。


(街の風景)

バスを降り旧市街を散策してみる。


(市庁舎)


(サンタ・クルス修道院)

サンタ・クルス修道院は1131年アフォンソ・エンリケスによって建てられ
その後16世紀にマヌエル1世が大規模な改築を行ったそうだ。


(祭壇)


(パイプ・オルガンもある)


(内部はやはりアズレージョで飾られている)


(昔のままのアルメディーナ門)

門を抜けると旧カテドラルに出る。

旧カテドラルは初代ポルトガル王アフォンソ・エンリケスによって1162年に建てられた
ロマネスク様式の教会である。


(要塞を兼ねていた大聖堂 旧カテドラル)

レコンキスタ時代は要塞も兼ねていたという。


(内部)

かって内部はスペインのセビリアから運ばれたアラビア風タイルで
覆われていたそうであるが今は一部しか残っていない。


(一部残されたアラブ風タイル)

あとは夕食を求めながらホテルの方へブラブラ歩いてみた。


(街並み)






(再びポルタジェン広場のバス停?)

ホテルの裏手の方から魚を焼く臭いがしてきたので、そのレストランで夕食。
地元の人が多そうなお店であった。


(我々の今日の夕食)

22:30 就寝。

本日のオビドスからナザレを経てのコインブラまでの走行距離は159kmであった。
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スペイン・ポルトガル旅行 6日目 その1(ナザレからコインブラへ)

2010-06-14 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
2009年9月7日(月)

8:00 起床

こじんまりとした食堂で朝食は豪華ではないが美味しかった。


(朝食)

朝食後、ホテルの女主人の娘がオビドスの街中で雑貨屋を開いていると聞き覘いてみることにした。


(雑貨屋を覘く あいにく娘さんはいなかった)

今日はオビドスから30kmほど北上した猟師町ナザレを経由して
さらに北上すること約120kmのポルトガル第3の都市コインブラで宿泊の予定である。


(青印から青印へ北上)

9:30 オビドスを出発。

10:10 40分ほどで車は独特の風習を残す猟師町ナザレに到着。

ナザレは男性はチェックのシャツにフィシャーマンセーターと黒い帽子、
既婚の女性は7枚重ねのスカートという独特の服装で知られている。


(ナザレの衣装)

ナザレは夏にはポルトガル国内はもとより、ヨーロッパ中からバカンス客が訪れるそうだ。


(ナザレのビーチ)

ケーブル・カーがあり登りきった所からの眺めが絶景と聞き登ってみることにした。


(我々が乗ったケーブル・カー)

確かに登りきったところにある展望台からの眺めは素晴らしかった。


(ナザレの街を見下ろす)


(海を見下ろす)

ナザレという町の名前は8世紀、西ゴート王ロドリゴがロマノという僧を供にしてこの町まで
やってきた時、彼が携えたいたマリア像がはるかイスラエルのナザレのものだったことに由来するらしい。

そしてその聖母像を祀るために1377年に聖堂を建てたのがノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会の基で、
あのヴァスコ・ダ・ガマも訪れているそうだ。

現在の建物は17世紀のものである。


(伝説の聖母を祀るノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会)


(ガマの記念碑? 文字が判読できなかった)


(再びケーブル・カーで下る)

11:50 ナザレを離れてコインブラに向かう。

2時間ほどで大学を中心に発展した文化都市コインブラに到着。

14:00 今日のホテルに入る。


(今日のホテルの入り口)


(フロント、部屋は2階にあった)


(バスルーム)

15:00 車を駐車場に納めコインブラの探索に出かける。

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スペイン・ポルトガル旅行 5日目 その2(オビドス)

2010-06-07 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
オビドスの城壁に近付きながら、まず予約しているホテルを探す。

城壁のすぐ側にホテルはあった。


(ホテル正面)

このホテルは16世紀の建物を改装したらしい。

ホテルに入ると「おかみ」と呼ぶにふさわしいホテルの女主人が迎えてくれた。

とても話し好きで大学教授だった主人のことや、城壁内で
インテリア店を経営している娘の事などを話してくれた。


(人のよいホテルの女主人)

さっそく部屋に入って荷物をおろす。


(室内もまずまずだ)


(共用リビング・ルームのインテリアもよい)

16:30 オビドスの町の探索に出かける。

オビドスは城壁に囲まれた人口800人ほどの小さな町で「谷間の真珠」と呼ばれる
絵のようにかわいらしい町で、夏には色とりどりの花が軒先を彩るそうだ。


(城壁 駐車しているのは我々の車)

オビドスの歴史はローマ時代に海からの敵の侵入を防ぐため砦が築かれたことに始まる。


(ホテル近くの南門より中に入る)

その後、イスラム教徒に征服され1148年アフォンソ・エンリケスによって
ムーア人の支配が終わると町の再建が行われた。


(石畳の続く街並み)

1282年にはオビドスを訪れてすっかり魅了されてしまった王妃イザベルに
ディニス王が町をプレゼントし、以後1834年までオビドスは代々の王妃の
直轄地となり、今なお中世のままの姿をとどめている。



サンタ・マリア教会は1444年に10歳のアフォンソ5世が、
わずか8歳のいとこイザべラと結婚式を挙げた教会である。


(サンタ・マリア教会)


(教会内)


(壁は全面が17世紀のアズレージョで覆われている)

教会の前にはベロリーニョ(罪人のさらし柱)が建っている。
罪人は見せしめのため籠に入れてここに吊り下げられたそうだ。


(ベロリーニョ)


(サンタ・マリア広場 右側に教会がある)


(教会近くにはお店が多く人も多い)

オビドスの名産はジンジャ(Ginja)というサクランボを漬け込んだ
果実酒で特にオビドス産は質がよいことで有名らしい。


(我々が買ったGinja)

ジンジャは口あたりはよいがアルコール度は18~20%とワインより少し強めである。


(花が美しいレストラン)

我々は西門にやってきた、これはメインゲートでもある。


(イスラム時代に造られたメインゲート)


(西門を示す標識)


(門の内側は18世紀のアズレージョで覆われている)

門の脇には城壁へ上る階段があり、登ってみると絵のように美しいオビドスの風景が見られた。


(「谷間の真珠」オビドスの街)


(街に続く水道橋)


(旧市街の外側の新しい町)

我々は城壁から下り、西門の反対側にあたる砦まで歩いた。


(砦近くのサンティアゴ教会)


(反対側の砦)

時間は19:30を過ぎただろうか、こちらはレストランの開店時間が遅い。
早くても19:00くらいかららしい。

開いていたレストランの一つに入る。


(今日の夕食)

もちろんビール、ワインも頼んだ。



22:00 ほどよくお腹もふくれてホテルに戻る。

23:00 就寝。

今日のリスボンからカスカイス、ロカ岬、シントラを経ての走行距離は181kmであった。
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