風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

シリア旅行 4日目 その2(ダマスカス)

2009-03-30 | シリア旅行記(2008年版)
アゼム宮殿をあとにしウマイヤド・モスクにやってきた。


(モスク入口の門)

ウマイヤド・モスクのは715年に建てられた世界最古のモスクといわれとぃる。
しかし歴史をさらにさかのぼる必要がある。

そもそもここは、紀元前2,000年にはすでに聖域としてみなされていた区域で
715年にそれまでのヨハネ教会を改築したそうだ。

さらにモスク内のホールには聖ヨハネの首が納められているといわれる神殿がある。


(モスク入口)

普通モスク内には女性は入れないが事務所で黒灰色のベールを借りて着用すれば
入場することができる。


(モスク内 中庭)

壁面には教会の名残かステンド・グラスも見られる。


(ステンド・グラス)

イマーム(指導者)がコーランを唱えてた。


(イマーム)


(中庭)

中庭にはコリント式円柱に支えらた高床式の面白い形の物がある。
これは、ウマイヤ・モスクに寄付された金銀財宝を保管しているとか。


(宝物庫)

この宝物庫そのものも素晴らしいモザイクで覆われており宝物である。


(モザイクでカバーされている)

モスクを見学後、カーペットを見るため再びスークに戻りホテルで紹介された
ホテル・オーナーの親戚がやってるというカーペット店に立ち寄る。
あまりにも数が多くてどれがいいのかわからなくなってしまうほどだ。
気に入ったシルク製の図柄の物を一つに絞り値段交渉に入る。

最初、23,000SP(52,900円)といってたものが簡単に10,000SP
にまではなった。
そのあとがかなり困難だった。挙句の果てにお茶はいらないかと言ってくる。
何とかねばって7,000SP、5,000SP(11,500円)まで下げさせたが
それ以上は難しそうに感じた。
そこで奥の手で100ドル紙幣を見せ、「これだけしかない」といって決着した。


(長時間かけて買ったカーペット)

これが安い買い物だったかどうかは今だにわからない。
それなりの高品質なものはアンマンの専門店で買うのが無難ではと
夫婦で話し合っているが、これはこれで思い出の品である。

カーペットを購入したあと旧市街をあとにしてアンマン行きのバス、セルビスが
集まる発着場に向かう。

運良くセルビス(乗り合いタクシー)があり、我々夫婦と2人のヨルダン人
さらにドライバーの5人でアンマンに向かうことにする。
料金は一人1,650円である。

15:00 アンマンに向けて出発。

途中、国境の免税店でワイン、ビールを購入。
ヨルダン人たちはタバコを買っていた。

車窓からのシリアの大地に夕陽が沈む光景が印象的だった。


(シリアの大地に沈む夕陽)

18:40 アンマン市内のセルビス停車場に到着。

19:10 タクシーにて自宅着。

このようにして私たちの4つの世界遺産巡る初めてのシリア旅行は無事終わった。

今回はシリア国内の南部、中央部を巡る旅行であったが、北部にも世界遺産である古代都市アレッポや名城サラディーン城など見所も多いようである。
なんとかあと1年余りとなった今回の任期中に訪れられたらと思っている。
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シリア旅行 4日目 その1(ダマスカス)

2009-03-23 | シリア旅行記(2008年版)
11月24日(月)晴れ 

6:00 起床

7:00 朝食のためロビー横のレストランへ行く。

朝食は当然アラビア料理のセルフ・サービスと思っていたが、
予想に反してサービス・テーブルはなくコンチネンタル風であった。

パン、ジャム、コーヒーなど美味しくお代わりを何度かするほどで、
このクラスのホテルとしては大満足であった。


(朝食)

8:30 ホテルを出てダマスカスの旧市街(オールド・ダマスカス)と向かう。

ホテルから旧市街への途中ヒジャーズ駅がある。

この駅は第一次世界大戦時に造られたサウジアラビアのメッカまでを結ぶ
ヒジャーズ鉄道のターミナルだったが、今は貨物の発着だけだそうだ。


(豪華な造りのヒジャーズ駅 現在は貨物のみ使用)

駅をとおり過ぎるとスーク(市場)入口にでる。

入口のむこうは旧市街である。

1979年に世界遺産として登録された古代都市ダマスカスは4,000年もの
歴史をもち、現存する最古の都市のひとつである。

数々の支配者が入れ替わり政治的な荒波を経てもなお、都市の個性を保ち
現在まで歴史から消えることなく機能し続けている。


(スーク入り口 左は城塞)


(スーク・ハミディーエ)


(スークの屋根)

多数の路地にもスークが走り、巨大スークを形成している。


(路地のスーク)

スークを過ぎると尖塔が見えてきた。


(尖塔)

また別の尖塔が見えてきた、尖塔はいくつかあるようだ。

正直、尖塔がありすぎてどれがどこの尖塔か不明な場合も多い。


(尖塔)

路地裏は細く曲がりくねっていて、木材も多く使われ
日本の昔の下町を思わせる風情である。


(路地裏)

上を見上げると軒にも木材が使われている、日本でよく見かけられる景色である。

これはヨルダンでは決して見られるものではなく、この地方では土が肥沃であり
比較的林業が盛んなのではと思わせた。


(木をつかった軒)

曲がりくねった路地裏を抜けアゼム宮殿に出る。

宮殿は1,749年にオスマン・トルコ時代にダマスカスの知事であった
アッサード・パジャ・アル・アゼムによって建てられた邸宅で
現在は民族博物館として一般に公開されている。


(アゼム宮殿 内部1)


(アゼム宮殿 内部2)


(アゼム宮殿 内部3)

博物館の中には、日本の下駄を思わせる展示物もあり、古くから東西の交流が
あったことを暗示させ興味深かった。


(下駄)

我々は宮殿をあとにし、世界最古のモスクといわれるウマイヤド・モスクへと向かう。

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シリア旅行 3日目 その2(パルミラ 2)

2009-03-16 | シリア旅行記(2008年版)
我々は列柱通りを記念門へと歩を進める。


(列柱通りから記念門を望む)


(記念門を背に列柱通り)

途中、「ラクダは楽だ」と言いながらラクダを勧める声が聞こえる。


(ラクダ)


(記念門 列柱通りの入口だ)


(右に記念門、そしてはるかにアラブ城を望む)

記念門の前方にはベル神殿がある。

神殿の前には不謹慎にも寝そべっているラクダの背が見えた。


(不謹慎なラクダ)

横になってるラクダを見るのは初めてである。
前方にまわってみる、両脚を少し曲げ、首を少し持ち上げている。
やはりラクダでさえも日中の暑さはこたえるのであろうか。


(くたびれた?ラクダ)

ベル神殿は1世紀から2世紀半ばにかけて建てられたものだ。


(ベル神殿)

中に入ると、列柱で囲まれた中央に祭壇本殿がある。


(ベル神殿 内部1)


(ベル神殿 内部2)

本殿は主神ベル(セム語でバール、豊穣の神)、太陽神ヤヒボール、
月神アグリボールの3神に捧げられていたそうだ。


(祭壇本殿)

パルミラ全体の観光を終えて出口への道すがら小型3輪を見かける。


(小型三輪車)

見学を終え、インフォメーション・センターでタクシーを呼んでもらい
ダマスカス行きのバス停へと向かうこととする。

驚いたことに、ここでは一ヶ所にダマスカス行きのバスが集まってるわけではなく
各社それぞれのバス停を持っており、バス停を廻り席があるかを確認して
乗車する仕組みであった。


(飲食店がバス停となっており、中で席を確認する)

我々は2つ目の会社で席が得られた、料金は一人約460円だった。

バスはイラク国境近くのテリゾールからやってくるそうだ。

バスに乗車すると車内はテリゾールからの客が多く、好奇の目で見られる。
一人の客が他に移ってくれて、我々は二人並んで座ることができた。

13:00 今日の宿泊地ダマスカスへと出発する、
ダマスカスまでは200km強である。


(一路ダマスカスへ)

東洋人が珍しいのか時々こちらを見ている。

前の席の親子連れがバナナとクッキーをくれた。


(親子連れの客)

隣の客は豆をくれた。


(豆をくれた客 右は40歳で奥さんが2人だそうだ)

さらにバスは走り続ける。


(砂漠を行く)

16:00 ダマスカスのバス停に到着、タクシーでホテルに向かう。

16:30 今日の宿、スルタン・ホテル着

ロビーはアラビア風にまとまっており、値段が3,800円であることを
考えるとまずまずかと思う。


(ホテル ロビー)

室内もこぎれいだった、もちろんバス・タブはなくシャワーのみである。


(ホテル室内)

荷物を置いたあとホテル近くをぶらぶらし、夕食とするため
シュワルマ、カバブなどいくつかのアラビア料理や
ホブス(アラビアのパン)を買いホテルに戻る。

酒屋が見つからなかったので、フロントで聞くと従業員がアルバイトでビールを
届けてくれるとのこと、ビールを頼む。

今日も食事をしながらビールが飲めて一日の終わりを感じられた。

20:30 早めの就寝。
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シリア旅行 3日目 その1(世界遺産 パルミラ 1)

2009-03-09 | シリア旅行記(2008年版)
11月23日 晴れ

6:30 起床 手早く朝食を済ませる。

7:25 知人のはからいで日本人青年が迎えに来てくれ、
今日の目的地のパルミラ行きのバス停までタクシーで案内してくれる


(シリアのタクシーは一般的に小型である)

7:50 タイミングよくパルミラ行きのバスに乗車できる。
値段は一人約180円くらいだった。

1時間半ほど経つと車窓からアラブ城が見えはじめパルミラが近いことを窺わせる。


(車窓からのアラブ城)

9:30 パルミラのバス停に到着。

小型スーツ・ケースを引きずりながらパルミラ遺跡の入口へと向かう。

入口には5分ほどで到着。

パルミラは世界有数の巨大規模を誇る遺跡であり、1980年に世界遺産に登録された。
パルミラは2世紀に栄華を極めたシルクロードの隊商都市であり、
広大な大地にそびえる列柱群や神殿跡はかっての輝かしい栄華を実感させてくれる。

手始めに入口横のパルミラ博物館を見学する。


(ラクダ像の展示物)

日本の仁王像に似た像も見られ東西交流のにおいがする。


(仁王像)

博物館を出て荷物を土産物屋に預け見学を開始する。

はじめに目に入ってくるのは、土地に雨をもたらす豊穣の神バールシャミン
(ギリシャ語でゼウス)に捧げられたバールシャミン神殿である。


(バールシャミン神殿)

この神殿5世紀に教会として造り変えられたためか保存状態がよい。


(正面)

さらに向こうには列柱が見える。


(列柱)

列柱はいろんな方角に見えてくる。


(列柱)


(列柱道路 右はアラブ城)

列柱道路の真ん中あたりには4本の石柱によって構成される四面門がある。


(四面門)

かなたの丘の上にはトム(塔墓)が望まれた。


(トムを望む)

四面門を過ぎて歩くと揃った列柱もある。


(揃った列柱)

列柱道路脇には無造作に石柱、屋根石などが転がっている。


(屋根石?の模様)


(屋根石のある列柱)

列柱通りを外れたところにはほぼ完全な舞台が残る円形劇場がある。


(円形劇場の舞台)


(観客席)


(劇場からアラブ城を望む)

我々はさらに記念門の方へと進む。
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シリア旅行 2日目 その2(天空の城 クラック・デ・シュバリエ)

2009-03-02 | シリア旅行記(2008年版)
天空の城クラック・デ・シュバリエはシリア観光には欠かせないスポットであり
2006年に世界遺産に指定された。

我々はこの中世の名城を目指して向かっている。


(クラック・デ・シュバリエを目指して)

11月の下旬のせいかところどころ紅葉がみられた。

これが紅葉の始まりなのか、あるいは真っ最中なのかはよくわからない。


(紅葉)

途中、牛と少年に出会う。
牛は我々の車を気にするふうではなく道路を走っている。


(走る牛と少年)

いよいよクラック・デ・シュバリエの美しい全容がみられた。

映画『アラビアのロレンス』で有名になったトーマス・エドワード・ロレンスは、
この城を「十字軍の城の中では世界でもっともすばらしい」と評したという。

いまでは宮崎駿監督作品『天空の城 ラピュタ』のモデルだったのではないかとの
噂まで流れていたりするが、残念ながら確証がない。

クラック・デ・シュバリエという名は仏語であり、日本語では「騎士の砦」である。
シリアは第二次世界大戦までフランスの委任統治領だったことから
この名がきていると考える。

現地では、カラート・アル・ホスンと言い、ホスンの山頂の城の意味だそうだ。



(天空の城 クラック・デ・シュバリエ)

この名城の由来は1,144年に移り住んだ聖ヨハネ騎士団が標高650mの
丘の上に建つ既存の城を要塞化したことから始まるらしい。

この時代、ヨーロッパのキリスト勢力が聖地であるエルサレムを
イスラム帝国から奪還しようとする十字軍侵攻が活発だった。
十字軍勢力は、各地に要塞を建造することで影響力を強めていったのであるが、
そのひとつがこのクラック・デ・シュバリエである。


(白レンガが隙間なく積み重ねられた美しい城壁)

難攻不落といわれ堀も見られる。


(今もなお水を貯える堀)

外壁と内壁の間は攻城機械を持ち込めぬよう狭くなっている。


(狭くなった壁間)

1,271年にマムルーク朝のバイパルスの手に落ち、それまでのキリスト教の臭いを
破壊し、モスクやスルタンの塔などが付け加えられ内装もイスラム調に改装された。


(破壊された十字架跡)


(城から町を望む)

名城の観光を終えた時には16時を過ぎていた。

時間もかなり遅かったが知人の好意により地中海に沈む夕陽を見てみようとなり
地中海沿岸の町タルトゥースまで足を伸ばすことにした。

この知人、憧れであろうか、人がいいのかバック・パッカーにシンパシーを感じるらしい。

クラック・デ・シュバリエで車に3人の日本人を乗せてあげ、
さらにアメリカ人女性、中国系アメリカ人、韓国人の3人を加え
我々夫婦2組、それにドライバーの合計11名で賑やかに地中海に向かった。

タルトゥースでは陽はまだ沈んでいないようであったが、あいにくの雲のため
夕陽が沈む光景は見られなかった。
しかし雰囲気だけは十二分に伝わってきた。


(地中海から夕陽?を望む)

地中海を見たあと一路起点のホムスへと帰路をとる。

20:00 ホムスに入り途中外国人3人を次の目的地向けのバス乗り場まで
送ったあと、我々夫婦は知人夫婦の家に立ち寄った。

もちろんドライバーに日本人3人を彼らのホテルまで送るようお願いしたことは
いうまでもない。

知人宅はかなり広い全家具つきの豪華なアパートであった。

そこで食事をご馳走になりホテルに戻った。

今日は内容の濃い充実した大満足の一日だった。知人夫婦に感謝。

24:00 就寝。 
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