船は順調にコムオンボに向けて進路をとる。
ナイル川河畔は肥沃なのだろう、緑が多く、農業、牧畜が盛んなようだ。
エジプト文明はナイル川の賜物といった言葉が思い浮かぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/fb/96c05b64649e3261e9c1f95e394c4f5f.jpg)
(ナイル川河畔 農業が盛んである)
コムオンボはアスワンから北へナイル川を46km下った東岸にある町である。
地名はアラビア語でオリンポスの丘という意味で、かってはオリンポスと呼ばれていたそうだ。
16:00 2時間ほど航行したであろうか、コムオンボ神殿が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d9/213dab96517cad05828324e03f5aecdc.jpg)
(コムオンボ神殿 ナイル川から)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ca/1833ad13c8ac348d6e7a180953054772.jpg)
(神殿遠景)
この神殿はプトレマイオス朝時代(紀元前3~1世紀)に建てられ、
ローマ皇帝アウグストゥスの時代(紀元前1世紀)に完成した。
そのため一見ギリシャのアクロポリスのような印象を与える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/7b/994c1f0f942910ba29df3e33cc99a222.jpg)
(神殿)
この神殿は、かっては半分以上が砂に埋もれていたらしい。
それは170年前のデビット・ロバーツの絵によってわかっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/83/5f5457b401ef3adfa8d796863f75901f.jpg)
(170年前の神殿 中央の柱の下に人が立っている)
デビット・ロバーツの絵はエジプトのホテルなどにはよく展示されているようだ。
デビット・ロバーツはスコットランド・エジンバラに1796に生まれた。
彼は1838~9年にかけてエジプトに11か月滞在し、各地の遺跡を回って多くの作品を描き
『A journey in Egypt』という画集を残している。
そこには170年前のエジプトの風景と遺跡と人々が描かれていて非常に興味深い資料である。
神殿内には多くのレリーフが残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/b7/c9bd57a7041e44162ad29cd6e54c90b8.jpg)
(レリーフ)
ガイドのハッサンが説明してくれるが、エジプト訛りの英語と、
エジプト歴史に深くないため理解できないことも多かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/3b/02e0b582a48a3618aaebd4437ce202dc.jpg)
(ガイドのハッサン)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/46/4ba6bf9f4533a764f78aa4abc8d6e02c.jpg)
(神に供え物をしているらしい)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/d6/bca6749f8a2f7ce29ff6b88d96ea50f7.jpg)
(今なお彩色の残る列柱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/ee/648e5228e081ba113113e65b7d3f23bc.jpg)
(彩色のほどこされた天井)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/0e/17e052823bf3b252d4974e9980479eff.jpg)
(柱頭部に模様をあしらった石柱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/9b/cd1ea9c48d85e7a6268054f7ec21dfa1.jpg)
(レリーフ)
コムオンボ神殿のレリーフには、何故か医学的な記述があるという。
下の写真は、妊婦の分娩の様子を表しているのではないかと思われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/37/7ed390d57f3870e28dbb44b3e3f18097.jpg)
(右の女性は妊婦の分娩を表しているようだ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/62/f748792c951541ed3c7fc19c898b9b91.jpg)
(レリーフ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/8e/d8ccbe36a47f5af8b923d068f2335273.jpg)
(びっしりとレリーフが施された列柱
プトレマイオス朝の特徴だそうだ)
見学を終え船に戻る。
船上からの夕焼けがきれいだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/00/bb42bafc77769cae1c8c04c736f5a94f.jpg)
(日の入り 船から)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/9b/1e80242e5a7c6acc95c64a439fc596b3.jpg)
(日の入り直後の赤焼け)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/ef/b443316930435776221ad06e0095de97.jpg)
(完全に陽は沈んだ)
19:00 船は次の目的地エドフに向かって静かに出航したようだ。
夕食後、簡単なゲームなどを行うパーティがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e0/c0dade9e5ff61251a1d5706897afb9be.jpg)
(ツアー友、左の母子はアンマン在住のアメリカ人)
後日談であるが、エジプト旅行から戻って1週間くらい後に
上の写真の一番左の女の子(名はサブリナ)に我々のアパート近くで
ばったり出くわした。
我家の近くに友達が住んでいて泊まりこみで遊びに来たらしい。
まさに世の中は狭い。
22:30 就寝
ナイル川河畔は肥沃なのだろう、緑が多く、農業、牧畜が盛んなようだ。
エジプト文明はナイル川の賜物といった言葉が思い浮かぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/fb/96c05b64649e3261e9c1f95e394c4f5f.jpg)
(ナイル川河畔 農業が盛んである)
コムオンボはアスワンから北へナイル川を46km下った東岸にある町である。
地名はアラビア語でオリンポスの丘という意味で、かってはオリンポスと呼ばれていたそうだ。
16:00 2時間ほど航行したであろうか、コムオンボ神殿が見えてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/d9/213dab96517cad05828324e03f5aecdc.jpg)
(コムオンボ神殿 ナイル川から)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ca/1833ad13c8ac348d6e7a180953054772.jpg)
(神殿遠景)
この神殿はプトレマイオス朝時代(紀元前3~1世紀)に建てられ、
ローマ皇帝アウグストゥスの時代(紀元前1世紀)に完成した。
そのため一見ギリシャのアクロポリスのような印象を与える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/7b/994c1f0f942910ba29df3e33cc99a222.jpg)
(神殿)
この神殿は、かっては半分以上が砂に埋もれていたらしい。
それは170年前のデビット・ロバーツの絵によってわかっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/83/5f5457b401ef3adfa8d796863f75901f.jpg)
(170年前の神殿 中央の柱の下に人が立っている)
デビット・ロバーツの絵はエジプトのホテルなどにはよく展示されているようだ。
デビット・ロバーツはスコットランド・エジンバラに1796に生まれた。
彼は1838~9年にかけてエジプトに11か月滞在し、各地の遺跡を回って多くの作品を描き
『A journey in Egypt』という画集を残している。
そこには170年前のエジプトの風景と遺跡と人々が描かれていて非常に興味深い資料である。
神殿内には多くのレリーフが残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/b7/c9bd57a7041e44162ad29cd6e54c90b8.jpg)
(レリーフ)
ガイドのハッサンが説明してくれるが、エジプト訛りの英語と、
エジプト歴史に深くないため理解できないことも多かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/3b/02e0b582a48a3618aaebd4437ce202dc.jpg)
(ガイドのハッサン)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/46/4ba6bf9f4533a764f78aa4abc8d6e02c.jpg)
(神に供え物をしているらしい)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/d6/bca6749f8a2f7ce29ff6b88d96ea50f7.jpg)
(今なお彩色の残る列柱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/ee/648e5228e081ba113113e65b7d3f23bc.jpg)
(彩色のほどこされた天井)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/0e/17e052823bf3b252d4974e9980479eff.jpg)
(柱頭部に模様をあしらった石柱)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/9b/cd1ea9c48d85e7a6268054f7ec21dfa1.jpg)
(レリーフ)
コムオンボ神殿のレリーフには、何故か医学的な記述があるという。
下の写真は、妊婦の分娩の様子を表しているのではないかと思われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/37/7ed390d57f3870e28dbb44b3e3f18097.jpg)
(右の女性は妊婦の分娩を表しているようだ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/62/f748792c951541ed3c7fc19c898b9b91.jpg)
(レリーフ)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/8e/d8ccbe36a47f5af8b923d068f2335273.jpg)
(びっしりとレリーフが施された列柱
プトレマイオス朝の特徴だそうだ)
見学を終え船に戻る。
船上からの夕焼けがきれいだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/00/bb42bafc77769cae1c8c04c736f5a94f.jpg)
(日の入り 船から)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/9b/1e80242e5a7c6acc95c64a439fc596b3.jpg)
(日の入り直後の赤焼け)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/ef/b443316930435776221ad06e0095de97.jpg)
(完全に陽は沈んだ)
19:00 船は次の目的地エドフに向かって静かに出航したようだ。
夕食後、簡単なゲームなどを行うパーティがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/e0/c0dade9e5ff61251a1d5706897afb9be.jpg)
(ツアー友、左の母子はアンマン在住のアメリカ人)
後日談であるが、エジプト旅行から戻って1週間くらい後に
上の写真の一番左の女の子(名はサブリナ)に我々のアパート近くで
ばったり出くわした。
我家の近くに友達が住んでいて泊まりこみで遊びに来たらしい。
まさに世の中は狭い。
22:30 就寝