風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

日本語弁論大会

2009-04-06 | ヨルダンでの日本文化紹介
今回は我々が一時帰国から戻った3日後の2009年3月7日に行われた
「日本語弁論大会」について記したい。

この大会は今回で12回目だそうだ。


(桜が図案化されたポスター)

会場は昨年開催された「ジャパン・フェスティバル」と同じく
ヨルダン大学構内で行われた。


(上が大会を示す横断幕 赤字で日本語弁論大会と書かれている)

会場は正門左側に位置するアドミニストレーション・ビルで、
なかなかモダンなものである。


(アドミニストレーション・ビル)

ロビーも広く明るくホテルを連想させる雰囲気である。


(国王の写真が飾られたロビー)

会場受付には日本紹介の雑誌も希望者に配られていた。


(日本紹介雑誌)

ここヨルダンでは青年海外協力隊員を中心とした「アル・オルドン奨学基金」が
設立されており、毎年2名の学生を選びサポートしている。
それの募金活動が同じく受付で行われていた。


(アル・オルドン奨学基金の募金活動)

大会はヨルダン国、日本国の国歌演奏で始まる。


(国歌演奏 左より塩口日本大使、外国語学部長、JICA所長)

塩口日本大使、外国語学部長の挨拶のあと大会はいよいよ始まった。

大会は俳句の部と弁論の部の2部構成となっている。

俳句の部では出場者が選んだ俳句についての解釈を英語とアラビア語で
行うものであり、漱石、蕪村、芭蕉、一茶などの句に対してヨルダン人からの
解釈が試みられ興味深かった。

しかし日本語による解釈はなく、ややもすると英語力に左右されやすく
ちょっと物足りない感じである。

あとで関係者に聞いてみると、俳句の部の参加者はまだ初級レベルであり
日本語で説明するほどのレベルに達してないとのことである。

俳句の部の発表者は男性3名、女性7名の計10名であった。


(俳句の部 発表風景)

弁論の部はあらかじめテーマが決められているか自分で自由にテーマを見つけるかは
参加者に任されている。

参加者は男性4名、女性8名の計12名であり、規定のテーマを選んだものが
9名、自由テーマを選んだものが3名であった。

規定のテーマには次の3つが挙げられていた。
1.わたしの宝物
2.人生で一番嬉しかった日/悲しかった日
3.日本/ヨルダンの(   )がクールだ

内訳は1を選んだものが4名、2を選んだものが1名、3を選んだものが4名で
(   )の中はそれぞれ、日本の(桜/お辞儀)の2つと
ヨルダンの(パーソナリティー/コーヒー文化)の2つであった。

自由テーマは下記の3つである。
・ロボットの時代
・自分のルール
・羽を伸ばす


(弁論の部 発表風景)

弁論の部の発表終了後表彰式がおこなわれた。


(表彰式)

俳句の部での1位は一茶の「元日や 上々吉の 浅黄空」の解釈を披露した
女性が選ばれた。

3位までの入賞者はすべて女性であった。

また弁論の部では規定テーマ「人生で一番悲しかった日、嬉しかった日」で
15歳で結婚した友人が、早すぎる結婚のために結婚式そのものが一番
悲しかった日であると訴え、早婚の問題点をえぐったものであった。
発表には演技力もあり説得性のあるものであったが、私としては同じような
内容を以前に新聞記事で読んだことがあり、また自分の体験ではなく友達の
体験を題材としてることに疑問が残った。

私としてはむしろ2位、3位に入った「ヨルダン人のパーソナリティがクールだ」、
「ヨルダンのコーヒー文化がクールだ」のほうがヨルダン人が自国の文化を
主張してくれて、今まで気づかなかった、あるいは知らなかったヨルダン文化の
一面を指摘され、また教えられ興味深かった。

こちらでも3位までの入賞者はすべて女性だった。


(弁論の部 一位表彰)

最後に発表者、関係者が記念写真をとって大会は終わった。


(記念写真)

結局、総計22名の発表者のうち女性が15名であり、また入賞者6名すべてが
女性というわけで、ヨルダンにおける女性上位のパワーに圧倒された大会であった。



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ジャパン・フェスティバル

2009-01-06 | ヨルダンでの日本文化紹介
12月23日、24日の2日間にわたってジャパン・フェスティバルが
ヨルダン大学、日本大使館、国際協力機構(JICA)の協力のもとヨルダン大学で行われた。

今回で3回目だそうだ。

23日は日本アニメ映画の放映 和菓子の紹介
24日は日本文化の紹介である。

我々夫婦も2日目の日本文化紹介のお手伝いで参加させてもらった。


(ジャパン・フェスティバルの開催を伝えるポスター)

初日は「火垂の墓」などのアニメ映画が3本放映され、
休憩時にはせんべい、羊羹、緑茶などがふるまわれた。
ムスリムにとってお酒は禁忌であるため、せんべいの選択には
みりんのついてないものを慎重に選んだとのこと。


(アニメ放映を知らせるポスター)

2日目の24日、我々は生憎の雨の中を会場があるヨルダン大学に向かった。

ヨルダン大学については前々回の稿「ヨルダン大学」(カテゴリー:ヨルダン事情・風物詩・暮らし・気質)
で触れたためそちらをご覧いただきたい。

時計台を右に折れ並木道を通り抜けるとモダンな建物があり、
そこがジャパン・フェスティバルの会場だった。


(会場)

会場内の受付にはJICAのニュース・レターがアラビア語訳されて置かれていた。
会場前には開場前から人だかりができ、ほとんどが女子学生だった。


(アラビア語訳されたニュース・レター)

2日目は塩口ヨルダン大使のスピーチで始まる。
余談だが大使の奥様は元プロ・テニスプレーヤーの佐藤直子さんである。


(大使スピーチ 右より日の丸、ヨルダン国旗、ヨルダン大学校旗))

スピーチのあと、居合い抜き、空手道の実演があったが気迫溢れるものだった。


(空手道実演)

簡易畳みを敷いて茶道の実演も行われた。
茶道の作法には学生達の関心も高いようである。


(茶道実演)

その他、福笑い、剣玉、お手玉などを紹介する日本伝承遊び、
折り紙、着物の着付けのコーナーが設けられた。

着物は特に女子学生の興味が強いようである。


(着付けをしてもらった学生達)

我々は書道コーナーを手伝った。


(書道コーナー)

名前を聞き、その名をカタカナで書いてあげ、それを本人にも書いてもらうと言う
単純なものであったが多くの人が集まってくれた。

中には恋人同士であろうか、手をつないで二人の名前を書いてくれとゆうカップルまであらわれた。
そんなカップルには「愛」と書いてあげ意味を説明すると
はにかみながらも非常に嬉しそうだった。

ここアンマンでは、特に大学生においてはかなり自由な空気が感じられる。
夏などはとてもムスリムとは思えないほど大胆に露出した女子学生も多いらしい。


(書道コーナーに集まった多くの人)

それぞれのコーナーは2時間ほどで終了したが、書道コーナーでは500枚の用紙を
全て使い尽くすほどの盛況だった。

明けて翌日のヨルダン・タイムズにはジャパン・フェスティバルの模様が大きく
報道されており、また同紙のネットでも取り上げられていた。
そのほかにもアラビア紙や関連ネットでも記事になったようで大成功であった。


(ヨルダン・タイムズ)


(アラビア語のネットより)

以上のような企画を通して大いにヨルダン人とまた学生達と
コミュニケーションできた一日だった。
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結(沖縄音楽公演)

2008-08-13 | ヨルダンでの日本文化紹介
久しぶりに「君が代」を聴いた。

日本大使館の後援により結(沖縄音楽公演)がフセイン公園で催された。


(公演を知らせるポスター)

公園は我家から車で15分くらいの所にあり、広大な敷地内にサッカー練習場などのスポーツ施設
いくつかの野外施設からなっており、この季節夕涼みがてらの家族連れで賑わっていた。

公演は奥の小高い丘にあるローマ劇場を思わせるような施設で行われた。
入り口には日の丸の上に漢字、アラビア語、英語で日本を表わす看板があり、
ゆかた姿の若い女性やカップルも数組見られ、ここをヨルダンと思わせない風情もあった。


(入り口近くの看板)

8時になると、日本大使の案内のもとライヤ王女が入場される。
なんでもライヤ王女は現国王の腹違いの妹君だそうだ。

王女、大使が貴賓席に到られると同時にヨルダン国歌の演奏、全員自然と起立する。
つづいて「君が代」の演奏が厳かに始まった。
とたんに琴線に触れるものがあり目頭が熱くなるのを感じた。
異国で聴くせいであろうか、今まで聴いた中でも一番にあげられるくらい
心の奥底までズシーンと響いた「君が代」であった。

沖縄音楽がヨルダン人に受け入れられるのだろうかと心配したが、皆真剣に聴き入り、
また沖縄舞踊を楽しんでおり、拍手のポイントも当を得ていた。
音楽に国境のないことをあらためて感じる。


(沖縄舞踊と演奏)

「結(ゆい)」とは昔から見られるもので、小さな集落や自治単位における共同作業の制度である。
富山県の五箇山から岐阜県の白川郷にかけての合掌集落では、今でも茅葺屋根の葺き替えに
結の制度が残っていることは知られている。

沖縄でも「ゆいまーる」または「いーまーる」と呼ばれ「結」の相互扶助の制度が今なおあるそうだ。

公演名を「結」としてるのも日本とヨルダンの相互扶助を願ってのことかと勝手に想像しながら聴いていた。

遠く眼下にアンマンの夜景を望み、爽やかな風を受け心地よい夜だった。
また「君が代」をとおして自分のアイデンティティを強く呼び起こさせられた公演であった。


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