風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

エジプト旅行 9日目 その1(カイロよりバハレイヤ・オアシスへ 砂漠ツアー)

2010-01-25 | エジプト個人旅行記
5月26日 晴れ

6:00 起床 早速朝食をとる。

今日は白砂漠に行き、そこでキャンプをする予定の日だ。

旅行社の案内だと1泊2日の行程で2人で4万円強かかるので、
すべてを自分でアレンジして半額ほどに節約した旅行である。

そのためバスは公共のバスとなる。バス代は一人600円くらいと安い。

バスでバハレイヤ・オアシスまで行き、そこから砂漠ツアーをアレンジしてくれた
ホテルに行き、さらに砂漠に向かって4輪駆動車で行く予定だ。

バスの走行時間は約5時間の長時間乗車である。


(カイロより左の上の赤丸のバハレイヤ・オアシスを
 経由して下の赤丸の白砂漠へ行く)

7:00 長距離バス発着場のトルゴーマン・バスターミナルまでタクシーで向かう。

10分ほどでターミナルに到着。


(トルゴーマン・ターミナル)

エスカレーターで下りるとバス乗り場のゲートにでる。


(いくつかのゲートがありバスが待っている)

8:00 バス出発

バスは綺麗でクーラーも寒いくらい効いている。

バスからの景色は、道路の両側とも砂漠が続く。


(バスからの風景)

途中、貨物列車に出会う。


(列車が走る)


(駅舎のようである)

2時間ほど走ったであろうか、休憩のためお店による。


(サービス・エリアのようなものだ)

バス乗車前にターミナルで知り合った男が、コーラとパンをくれた。

仕事でバハレイヤ・オアシスに行くとのこと。


(知り合った親切な男)

20分ほど休憩の後、出発。

依然として砂漠の風景がつづく。


(風景)

13:00 バハレイヤ・オアシスの最大の村バウィーティに到着。

何の問題もなくホテルが手配してくれたドライバーのアハマッドさんと会い、
車でホテルに向かう。


(この地域、最大のホテルで綺麗だ)

実はこのホテル、ドイツ人と日本女性の夫婦が経営しており
日本語が通じるのがうれしく、安心でもある。

早速、テラスで昼食をいただく。


(ちょうどカナダ人夫婦も食事中)


(ランチ 非常にハエが多かった)

14:30 4輪駆動車で砂漠のキャンプに向かう、
ドライバーのアハマッドさんと我々の3人だけである。


(車とドライバーのアハマッドさん)

車は砂漠地帯を走る。


(どこまでも砂漠地帯のようだ)


(ピラミッドのような山)


(月面のような砂漠地帯)


(砂漠の岩の色は黒い)

1時間半ほど走ったところで白砂漠国立公園を示す標識があった。


(白砂漠国立公園の標識)

そして標識の近くにはクリスタル・マウンテンがある。


(クリスタル・マウンテン)


(さすがに名の通り、クリスタルが一杯だ)

さらに少し進むと、今までの黒い景色から一転して白い景色に変化する。

いよいよ白砂漠である。

この辺りは大昔は海底だったそうだ。


(海の底だったらしい)

その証拠に貝殻が残っている。


(かなり形のはっきりした貝がら)

アハマッドさんによると、昔はもっと多く、簡単に見つけられたそうだ。

今ではかなり少なくなったと言いながら、アハマッドさんが貝殻を見つけてくれた。


(数少なくなってしまった貝殻)

16:30 今日のキャンプ地である、さらに奥の白砂漠の中心地に向かって出発。
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エジプト旅行 8日目 その3(ルクソール西岸 王妃の谷)

2010-01-18 | エジプト個人旅行記
10:15 王妃の谷に到着。

こちらの風景も、先ほどの王家の谷と似たような景色で、
天に届く山があり地形も舟形となっているようだ。


(王家の谷と似たような風景)

ところどころに墓からの発掘品や墳墓内の壁画を紹介する標識がある。


(発掘品の紹介)


(壁画の紹介)

王妃の谷の最大の見どころはラメセスⅡ世の后であるネフェルトアリの墓である。

ネフェルトアリはアブシンベル神殿の小神殿でも有名である。

小神殿については既出稿の「エジプト旅行 4日目 その2(アブシンベル神殿)」
(カテゴリー;エジプト個人旅行記)を参照ください。

ちなみに我々がアブシンベルで泊まったホテルはこの后の名が冠せられていた。


(ネフェルトアリの墓を示す標識)

しかし、それは残念ながら修復中で、中に入ることはできなかった。


(修復中のネフェルトアリの墓)

11:00 王妃の谷をあとにして、今朝、小型船で着いた場所である
ナイル川岸壁に向かう。

途中、ナイル川と王家の谷の間に広がる平原に立っている2つの巨像を見る。

この坐像は新王国時代絶頂期(紀元前16世紀)の王アメンホテプ3世のもので、坐像の後ろには彼の葬祭殿があり、その通路にたっていたものらしい。

しかし、その葬祭殿は後の王たちが石材として使用し完全に破壊されてしまったようだ。


(メムノンの巨像)

この像はプトレマイオス朝にはギリシャ神殿のメムノンのものとされ、
以来メムノンの巨像と呼ばれるようになったそうだ。

この巨像にはローマ支配時代に起きた地震によりヒビが入り、
激しい温度差によるきしみ、または風によって「像が歌う」といわれ、
不思議がられていたそうだ。


(170年前のメムノンの巨像の後姿
 住民たちは石を動かそうとしているのだろうか)

上の絵はおなじみのデビッド・ロバーツによる170年前のメムノンの巨像である。
それによるとナイル川の水量がおおくなると、このあたり一体まで水没していたようだ。
絵の住民たちは石を動かそうとしているのだろうか

ルクソール西岸の観光を終え、来たときと同じく小型船でクルーズ船に戻る・


(小型船で戻る)

12:00 クルーズ船に戻る。

これでクルーズに付随した観光はすべて終了である。
ガイド、クルー、ツアー・メンバー達と別れを惜しむ。

昼食後、我々のカイロ行きのフライトまでは5時間ほどの余裕があるため
船着場の真ん前ににあるルクソール博物館で時間をつぶす事にする。


(Luxor博物館)

博物館は近代的な建物であり、展示品の多くはテーベが全盛を誇った
新王国時代(紀元前17世紀)のものだ。


(中庭におかれた像)

博物館の見学を終え、クルーズ船まで戻り、荷物をピック・アップし
タクシーでルクソール空港に向かう。


(ヌビア人独特の巻き方で頭を覆うドライバー)

今日のフライトはルクソールからカイロまでである。
飛行時間は70分の予定だ。


(カイロに向かって北上 青線はナイル川)

18:40 離陸

我々の飛行機は76人乗りのEmbraer170である。


(Embraer170 76人乗り)

カイロ近くで夕陽の沈むのを見る。


(夕陽 カイロに近付く)

19:50 カイロ空港に到着。


(ガスがかかったカイロ空港)

21:30 タクシーにてホテルに。

ホテルは前に泊まったのと同じVictoria Hotel である。

夜も遅いのでホテルのレストランで夕食をとる。


(他に客のいないレストランで夕食)

23:30 就寝。

明日も早起きである。
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エジプト旅行 8日目 その2(ルクソール西岸 ハトシェプスト女王葬祭殿)

2010-01-10 | エジプト個人旅行記
8:30 バスに15分ほど揺られたであろうか、ハトシェプスト女王葬祭殿に着く。

この地は1997年11月17日、イスラム過激派組織の武装グループ6名が
観光客に向けて銃を乱射し、日本人10名を含む外国人観光客58名、
および地元警官等4名の計62名が死亡するという事件が発生した場所である。

ハトシェプスト女王はトトメスⅡ世の死後、まだ幼かったトトメス3世の摂政となったが
後に自らファラオとなり古代エジプト最初の女王となった。

地位を正当化するため、自分は男性であると称して髭まで付けたという。
そのため残っている彫刻なども男性の姿をしている。

この葬祭殿は後世、キリスト教修道院として使われたおかげで
破壊を免れることができたと言われているそうだ。


(ハトシェプスト女王葬祭殿を望む)

葬祭殿はエジプト建築の最高傑作の一つと言われている。
祭壇に上がって行くスロープが、途中でテラスを横切り
周囲の風景と調和して素晴らしいという評価である。

葬祭殿は3層よりなっており、その前にはテラスが広がっている。
1層目は地面に接していて前には何もない。


(1層目の前には何もない)

2層目のテラスは広く、そのテラスの左奥で銃乱射の事件は起こったそうだ。


(手前が2層目のテラス 3層目にもテラスがある
 2層目のテラス、左奥で事件は起こった)

葬祭殿内には数多くのレリーフ、壁画、像などが残されている。


(レリーフ)


(色彩の残るレリーフ)


(ハトシェプスト女王か?? 男性の姿をしている)


(頬に色のある像 女性??)

なぜか昨日、エドフのホルス神殿で見た、鷹のホルス神像に似たものもテラスにあった。
ホルス神殿については「エジプト旅行 7日目 その1(ホルス神殿)」
(カテゴリー:エジプト個人旅行記)を参照ください。


(ホルス神像??)

壁画の数々にも、まだ色彩が残っているのが多数あった。

以下は色彩壁画の数々。









葬祭殿観光を終え入り口の事務所に戻る。

そこには昔の写真が展示されていた。


(かなり土砂に埋もれているような)


(荒れたままの神殿)

10:00 バスにて王妃の谷に向かう。

途中の風景には数多くの墳墓らしきものが見られ、
まだまだ数多くの遺跡がありそうな感じである。


(未発掘の遺跡がありそうな雰囲気)

今後の更なる発掘が楽しみだ。
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エジプト旅行 8日目 その1(ルクソール西岸 王家の谷)

2010-01-04 | エジプト個人旅行記
5月25日 晴れ

5:30 モーニング・コールで強制的に起こされる。

早速、朝食をとる。

6:30 出発。

我々の船はルクソール東岸に停泊しているため、西岸に20人乗りほどの
小型船で行く。


(小型船より 向こうが西岸)

小型船を降りると既にバスが待っていた。

我々は最初に王家の谷に向かう。

バスの中でガイドのオールド・ハッサンより王家の谷の発掘には
日本の協力があることが説明された。
何人かが我々の方を見て微笑む、軽く手を上げて応える。



(王家の谷 あのあたりが岩窟墓か)

新王国時代(紀元前17世紀型頃)になるとファラオ(王)たちは、
盗掘を防ぐためにルクソール西岸の奥深い谷に死後の安住の地を求めたようだ。
これが有名な王家の谷である。


(王家の谷到着)

王家の谷では現在まで、64の墓が発見されている。

しかし、1922年にイギリス生まれの考古学者ハワード・カーターによって
発見されたツタンカーメン王以外の墓はすべて盗掘を受けているそうだ。

盗掘は紀元前2000年頃から行われていたらしい。
紀元前1100年にテーベの政府は盗掘団の摘発をおこなった
その裁判の大規模な記録が残っている。
一般人だけでなく墓所の管理役人も盗掘に加わっていたという。

この王家の墓の近くに古くから盗掘村として有名なクルナ村がある。
現在はアラバスター(石膏)を加工して土産物を売る生活をしている人が多いが、以前は住民の殆どが王墓からの盗品を売って生計を立てていたそうだ。
盗掘も一つの職業で、紀元前13世紀以降は家業として代々受け継がれたという。

1881年にクルナ村のアブドウル・ラズル家を訊問した結果、
古代の偉大なファラオ達のミイラが井戸のそばに雑然と放置されているのを発見し、
1週間後、二百人の作業員によってカイロの博物館に運ばれたといわれている。

<
(模型)

模型をみると山々の連なりは舟形を示しており、山々は天に届くピラミッドを想起させ
この地がファラオたちにとって安住の地と思わせた影がうかがえられる。

ツアー仲間のアメリカ人がこちらに来いというので付いていくと
そこには日本の協力を示すレリーフがあった。

ちょっと鼻が高い。


(日本の協力を示すレリーフ 右はエジプト国旗)


(一部日本語のポスター)


(手前は舟形になっており、山は天に届くピラミッドを思わせる)

中は撮影禁止


(墳墓入り口 中は撮影禁止である)


(各々の墓には誰のものかを示す標識がある)



ところどころで人々が作業しているのが見かけられる。
今もなお発掘中のようだ。


(今も発掘中)


(発掘中の墓)

いくつかの墳墓を見学したのち、ツタンカーメン王の墓にたどり着く。


(ツタンカーメン王の墳墓であることを示す標識)

カイロのエジプト考古学博物館にはツタンカーメン王墓から発見された
豪華な副葬品が展示されている。

ツタンカーメン王は18歳で早世したため権力は弱く、
墓は質素で王家の谷の中でも最も規模が小さいが、
1922年の発見時、小さな玄室の中に数々の宝物が入っていたことを考えると、
他のファラオの墓にはどれほどの宝物が入っていたのか想像もつかない。

ツタンカーメンの墓も完成後すぐに盗掘にあっているが、
盗人は内部を引っかきまわしわずかな宝を持ち去っただけだったようだ。
その後墓地の番人たちによって盗賊に空けられたトンネルをふさぎ、封印し直した。

さらに百年後、近くにラムセスⅥ世の墓が築かれたので、
その作業でツタンカーメン王墓の上には土砂や瓦礫がうず高く積まれ、
そこに住居などができていた。
それが今日まで盗掘を免れてきた原因らしい。


(ツタンカーメン王墓 入り口)


(内部を示す標識)


(遺物を示す標識)

ツタンカーメン王の墓の内部に入るには、高額の入場料が別途必要であることと
中には小さな部屋があるだけとのガイドの説明を受け、中には入らなかった。

そして我々は王家の谷を後にし、ハトシェプスト女王葬祭殿へと向かった。
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