風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

シリア旅行 2日目(アレッポへ)

2010-09-24 | シリア旅行記(2009年版)
2009年11月22日(日)

7:30 起床

今日はトルコ国境に近くシリア北部に位置し、1996年には「古代都市アレッポ」として
世界遺産にも登録されているアレッポに行く予定である。

着替えを済ませ階下のレストランで朝食をとる。

荷物をまとめてタクシーに乗りアレッポ行きのバス停に向かう。


(ダマスカスより青線を400km近く北上してアレッポへ)

9:20 バス出発。


(我々が乗ったアレッポ行きのバス)

5時間ほどでアレッポに着き、バスを降りてタクシーでホテルに向かう。

今日のホテルは1911年に開業したものでアラビアのロレンスやリンドバーグなどが
泊ったことで有名なものである。

我々もアラビアのロレンスが泊った所に泊りたいと思いここを選んだ。


(ホテルの外観)

ホテルの感じは設備は古いが調度品はどっしりとした重厚なものであった。


(室内)


(バス)

15:00 早速散策へ出かける。

考古学博物館を見た後スーク(市場)方向に歩く。


(道端の靴修理屋)


(店頭に肉をぶら下げた肉屋)

スークに行くまでに大モスクと呼ばれる大きなモスクがある。


(大モスク)

これはダマスカスにあるウマイヤド・モスクと同時期の715年にワリード1世によって建てられ
ウマイヤド・モスクと同様にキリスト教の教会だったものがモスクに転用されたそうだ。

ウマイヤド・モスクについては2009年3月30日出稿の「シリア旅行 4日目 その2(ダマスカス)」
  (カテゴリー:シリア旅行記(2008年版))を参照ください
 http://blog.goo.ne.jp/morimoriblog/c/f203a32bcc1d5bdc6186785dac18e953




そしてこの建築様式がほかのモスクの手本になったらしい。



この大モスクは異教徒にも開放されており、ウマイヤド・モスクと異なり入場無料で
女性はスカーフをかぶる必要もないほど開放的である。


(奥まったっところが礼拝所 メッカの方角を指している)


(中庭)

アレッポは長い歴史を持つ町で紀元前2400年頃にはメソポタミアのシュメールやエジプトと
交易を行う王国が成立しており、以来、東西と南北を結ぶ十字路にある交易の要衝として歴史を刻んできた。


(17世紀の隊商宿の標識)


(白黒の石でデザインされた隊商宿の入り口)


(2階の右側が部屋である)

世界遺産としての古代都市アレッポの中核を成すのははスークとアレッポ城である。

スークは東西1kmほどのメイン・ストリートが延び、それと並行して細かな路地が無数に走っている。


(スーク)



スークを抜けた我々はアルメニア人が多く住むというキリスト教徒地区に入った。


(ヨーロッパを思わせるアルメニア人街のキリスト教徒地区)

ここにはギリシャ・カトリック、ギリシャ正教、アルメニア正教などの教会がある。


(たくさんの教会が建っている)

そもそものこの地区の始まりはシリアとベネチア間の交易の仲買人の仕事を求めて
アルメニア人がここに住み着いたことによるらしい。


(どこかヨーロッパを想わせる路地)

その後トルコでのアルメニア人大虐殺から逃れてきた人々が住み着いたようだ。

20:00 夜も更けてきた

今日の夕食はアラブ料理、西洋料理を出す名門レストランで食べる予定だ。


(名門レストランのシッシイ・ハウス)


(建物は300年以上経っているそうだ)


(調度品も贅沢である)

22:00 アラビア料理を楽しんだあとホテルに戻る。

23:00 就寝。




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シリア旅行 1日目(ダマスカスへ)

2010-09-17 | シリア旅行記(2009年版)
2009年11月21日(土)

9:20 自宅を出発してアブダリに向かう。

アブダリは「セルビス」という乗り合いタクシーの発着場である。
「セルビス」の名は英語のServiceから来ているのではと察する。

小型のタクシーで客が4人集まった時点で出発するものでシリアなどの近隣国や
ヨルダン国内でも遠方に行く場合はよく利用されている。

料金は一人11JD(約1500円)で、バスよりは少し高めである。
また4人分の料金を払えば車を占有することもできる。

比較的待ち時間が短いためバスより好む人も多い、しかし運悪くあとの客が来なかった時は
それなりに待たせられることもある。
また、女性の一人客は他人との乗り合いを嫌ってバスを利用することが多いようだ。

9:40 セルビスの発着場であるアブダリに到着。

当初の予定では妻に腰痛があるため4人分の料金を払って占有するつもりであったが
すでに二人の若者が待っており我々夫婦を含めて4人で出発することにした。

若者たちはシリア人でヨルダンに遊びにきたらしい。

ムスリム(イスラム教徒)は女性との接触を禁じられているため、若者たちは妻に助手席を
譲ってくれた、これなら別に占有する必要もなくラッキーである(もっとも私は後部座席に3人で窮屈ではあったが)

因みにヨルダンやシリアでは車が小型であることもあって、助手席が一番良い席とされている。


(セルビス仲間 21、22歳らしい 後方はセルビス)

ダマスカスはアンマンより200kmくらい北の方向になる。


(アンマンよりダマスカスヘ青線を北上)

アンマンより約90kmの地点に国境がある。


(シリアへ 遠くにレバノンの山 薄らと雪化粧)

11:00 国境に到着、通関する。

通関後、110kmほど先のダマスカスに向けて走る。

13:00 ダマスカス近郊に到着。

タクシーに乗り換えてホテルへ、ホテルは去年泊ったところと同じであり場所はよくわかっていた。

13:30 ホテルに到着。

14:00 ホテルを出発して散策へ。

シリアのお土産品として銀製のペンダント・トップが日本人の間では人気である。
それはアラビア文字を象形化し、それぞれの人の名前を彫って造ってくれる手製のものであり
そのため造るのに時間がかかる。

実はヨルダン在住の知人がダマスカスを訪れると聞いたときに、妻が自分や娘たちの名前を
伝え
知人を通して造るのを依頼してあった。

早速、そのペンダント・トップを取りに行く。


(銀製のペンダント・トップ クミエと彫ってあるらしい)

ペンダント・トップを受け取ったあと、スークのある旧市街の方に歩く。

1年ぶりの訪問である。


(旧市街の入り口にある城塞)


(英雄サラディーンの銅像)

屋根のあるスークを抜けて、去年行けなかったキリスト教徒地区へ向かう。


(木工屋)

途中、今の日本では見られない木工屋や鍛冶屋などが多い通りがあり、昔懐かしい下町の風情だ。


(修理屋)


(鍛冶屋)


(ローマ記念門 ここから先がキリスト教徒地区である)

記念門から先が真っすぐな道と呼ばれ東西1500mを貫いている


(真っすぐな道)

キリスト教徒地区にはムスリムには禁止されているアルコール類も売っており、
ちょっとイスラムの世界とは違った雰囲気である。


(古いホテル)


(歴史を感じさせる朽ちかけた建物)


(聖マリア教会)


(東門と聖アナニア教会)

聖アナニアはダマスカスで最初のキリスト教司教で、新約聖書ではキリスト教徒逮捕のため
ダマスカスに向かったサウロが突然失明した折りサウロに洗礼を授け彼の改宗を促したとされる人物である。


(聖アナニア教会)

東門をくぐって外に出るとそこには素晴らしい尖塔が建っていた。


(尖塔 これほどの細身の塔を見るのは初めてだ)


(東門の外からキリスト教徒地区を望む)

シリアのレストランも開くのが遅い。

陽も暮れてきたので食事前にや夜景で有名なカシオン山に行くことにする。

19:30 タクシーをチャーターしカシオン山へ。


(途中の噴水 奥の赤いネオンはカシオン山)

聖書によると、この世で最初の殺人がおこったのがカシオン山だという。


(伝説のカシオン山から夜のダマスカスを望む)

21:00 レストランへ。

シリアの牛肉は美味しいと聞いていたので、牛肉の食べれそうなレストランに入った。 


(肉とビールを頼む 牛肉はそれほどでもなかった)

真っすぐな道を通ってホテルに戻る。


(真っすぐな道の端に置かれた遺物)

22:30 ホテルに戻る。

23:30 就寝。

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シリア旅行概要

2010-09-10 | シリア旅行記(2009年版)
我々は2009年11月21日(土)より5泊6日の予定でシリアに行くことにした。

2008年も11月21日の同じ時期にシリアに行ったため2回目のシリア旅行である。
昨年のシリア旅行については「カテゴリー:シリア旅行記(2008年版)」を参照のこと。

2008年にはボスラ、ダマスカス経由でホムス(2泊)パルミラ経由ダマスカス(1泊)と
3泊4日で4つの世界遺産を廻るという慌ただしい旅であった。
{2008年のシリア旅行については「カテゴリー:シリア旅行記(2008年版)」を参照ください}


(2008年のシリア旅行で行ったところ
上よりアパメア、ハマ、タルトゥース、クラック・デ・シュバリエ、
ホムス、パルミラ、ボスラの順 赤印は宿泊した場所である)

今回はダマスカス(1泊)ーアレッポ(2泊)ーラタキア(1泊)ーダマスカス(1泊)の5泊6日の予定である。


(今回はダマスカスより青線を時計回りとは逆に
アレッポ、ラタキアと回ってダマスカスへ戻る)

今回の旅の目的は以下のようである。

・前回ではダマスカスの旧市街を見きれなかったため
・妻がダマスカスの街の雰囲気が気に入り、今一度買い物を楽しむため
・アラビア文字を図案化して造ったペンダント・トップを受け取るため(事前に知人を通して頼んであった)
・世界遺産に1996年に登録されたアレッポ城を中心とした古代都市アレッポの観光
・地中海に面した街ラタキアの雰囲気を楽しむため
・世界遺産に2006年に登録されたサラディーン城の観光

シリアには6つの世界遺産があるが今回2箇所を訪れることにより前回の4遺産に加えて
すべてのシリア国内の世界遺産を征服したことになる。

またシリア国は正式にはシリア・アラブ共和国という。
シリア国の概要などについては2009年1月26日出稿の「シリア・アラブ共和国、および旅の概要」
  (カテゴリー:シリア旅行記(2008年版))を参照ください

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スペイン・ポルトガル旅行 旅のまとめ

2010-09-03 | レンタカーによるスペイン・ポルトガル旅行
27回にわたったスペイン・ポルトガル旅行の記事の最後にあたり恒例の旅のまとめを行い
予算、実績の比較や差異の原因、反省などについて記しておきたい。

予算の基本となる数字は2009年8月24日出稿の「スペイン・ポルトガル旅行計画確定」
(カテゴリー:スペイン・ポルトガル レンタカー旅行)から抜き出している。

予算・実績の比較は次のとおり (2人分の合計 1ユーロ=135円で換算)

                    予算             実績
ー 航空運賃          150,000円       150,000円
ー レンタカー
   基本料金          39,000円        39,000円
   GPS            14,600円         28,000円(含GPS,保険など)
   搭乗者傷害保険     11,000円
   登録料、サーチャージ  24,300円  
ー ガソリン代          15,800円         15,800円
    (全走行距離        1,820km         1,916km)
ー 駐車料金           12,150円        10,100円
ー 高速料金           20,000円         8,100円
ー 宿泊料金           77,000円(9泊)    77,000円
ー 食事代(含アルコール)  100,000円        62,000円
ー 地下鉄交通費、見学料   20,000円        30,400円

       総合計       483,850円       420,400円

となり、当初の目標だった2人で総計44万円を2万円ほど下回ることができた。

それの主な要因は下記のようなことかなと思っている。

1.レンタカー料金として計画時88,900円を予定していたが、実際は67,000円  だった。
  これは保険に関して免責無しのフル・カバレッジを考えていたが現地での申込時に
  割安な免責有りの保険に変更したことや、サーチャージが安かったことが原因だと思 う。

  また、2008年の中欧旅行時にはレンタカー代が10万円以上($1,152)だったことを
  考えると大きな差である。
  これは申込時にAVIS社の円建てスーパーバリュー(基本料金のみ)を
  選択したことが大きかったと思う。
  <詳しくは2008年12月14日出稿の「中欧旅行 旅のまとめ」
  (カテゴリー:レンタカーによる中欧個人旅行記)を参照ください>

2.さらに食事代(含アルコール)も大きく節約した項目である。
  1日1万円の予算でいたが、惣菜を買ってきてホテルで食べたことや、多少意識していたことが
  目標実現に貢献したのだろう、協力してくれた妻に感謝である。

3.あと高速料金が思ったほど必要じゃなかったこと、また駐車料金もホテルに付随していて
  無料のこともあったのが幸いした。

4.走行距離は予定1820kmに対し、1916kmと予定より96km多く走ったが
  ガソリン代は奇しくも同じであった。
  これはガソリン代が130円/Lより少し安かったりした結果であろう。

5.逆に予算を上回ったのは地下鉄交通費、見学料 で50%のオーバーであった。
  これはエジプト旅行でも経験したことであるが、ポルトガルも観光に頼る部分も強く
  見学料などが思った以上に高めに設定されているためだと思う。
  ちなみにエジプト旅行では観光代・乗り物代は予算20,000円に対し
  40,200円と倍かかってしまった。
  {詳しくは2010年3月1日出稿の「エジプト個人旅行 旅のまとめ」
  (カテゴリー:エジプト個人旅行記)を参照ください}

以上が予算・実績の差異分析であるが、今のように(2010年9月3日)1ユーロが110円を
切る時であればさらに安くなり総計で40万円を切ることも可能かと思う。

以上、簡単な総括であるが全体的には大変満足のいく10日間の旅行であった。

今でもポルトガルの道幅も狭く、また一方通行も多い古い町の石畳の路地を思い出すと
よくぞ行ったなと懐かしい思いがこみ上げてくる。

これをもって「カテゴリー:スペイン・ポルトガル レンタカー旅行」の記事は終わりとします。

次回以降は遅ればせばがら2009年11月に行った5泊6日の2回目のシリア旅行について記したい。

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