風に吹かれて アンマン

日々の想いを記録に残せたらと願っている
内容は「ヨルダン事情・風物詩・気質」「中欧旅行記」「シリア旅行記」などからなる

エジプトより戻りました

2009-05-29 | エジプト個人旅行記
先ほどヨルダン時間で29日午前0時10分時頃、無事エジプトより戻り
帰宅いたしました。

後日写真の整理などができましたら旅のご報告をさせていただきたいと
存じますのでよろしくお願いします。

取り急ぎ無事帰宅のお知らせまで。
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エジプトに行ってきます

2009-05-18 | エジプト個人旅行記
ただいまこちらは5月18日の午前6時過ぎです。
もう暫らくしたら迎えの車でアンマン空港に向かいます。
フライトは8:45発、エジプトには10:15着の予定です。
ヨルダンとエジプトの間に時差はありません、1時間30分の
飛行時間です。

アンマンには28日の23:15空港着のフライトで戻る予定です。
戻り次第お知らせいたします。

では、行ってまいります。
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ジェラシュ その2

2009-05-15 | ヨルダン国内旅行記
寸劇を観て遺跡のメイン・ゲートである南門へと向かう。


(南門)

南門を入ってすぐに卵形のフォーラムがある。


(フォーラムを囲む列柱が美しい)

フォーラムから北門へ向かって列柱道路が続く。


(列柱道路)

列柱の柱頭には今も当時の模様が刻まれている。


(当時の面影を残す柱頭)

ジェラシュには南北の列柱のみならず東西にも列柱がある。


(長く続く東西の列柱)

列柱道路沿いには教会跡がある。


(階段の続く教会跡)


(崩れ落ちそうな上部)

ほどなくニンファエウムがある。
これは191年に建てられたもので名前から類推できるように
半神半人の妖精ニンフに捧げられたものだ。


(ニンファエウム)

ニンファエウム近くの最も目立つ大きな建物がアルテミス神殿だ。
ひときわ背の高い12本の柱が林立している。

この神殿は女神アルテミスに捧げられ、12世紀にアラブ軍と戦った
十字軍によって一部は破壊された。


(アルテミス神殿)

さらに列柱道路を進むと左手に北劇場があり、右手には浴場跡がある。


(左手の北劇場舞台)


(北劇場の観客席)

浴場跡はかなり崩れていた。


(浴場跡)

我々は列柱道路の途中四面門を過ぎたところで引き返すことにした。


(四面門)

戻りは列柱道路を外れてアゴラ、南劇場へと歩を進める。


アゴラは古代ギリシャの町には必ずあったといわれるもので
集会所か市場に使用されていたらしい。


(アゴラ 柱で周りが囲まれている)

さらに進み南劇場に向かう。

南劇場は3,000人を収容できほぼ完全な状態で保存されている。
舞台が北を向いてるのは太陽の直射の影響を少なくするためだ。

毎年7~8月にかけてこの劇場でジェラシュ・フェスティバルが行われ
人気アラブ人歌手のコンサートで連夜満員だそうだ。


(南劇場舞台 観客席は日影となっている)


(南劇場の観客席)

たまたま我々が行ったとき民族衣装の人たちによる演奏が行われていた・


(民族演奏)

観客席の上部からは丸く並ぶフォーラムの列柱が見られた。


(観客席から見るフォーラム)

南劇場のすぐ横にはゼウス神殿がひかえている。

もとの神殿はヘレニズム時代に建てられたものだが、現在残るのは
2世紀に造られたもので改修中であった。


(ゼウス神殿)

15:30 全体の遺跡を見終えバスにより帰途につく。

広大な土地に今も昔の面影を残す遺跡のなかで
ローマ時代にタイム・スリップしたような一日だった。
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ジェラシュ その1

2009-05-08 | ヨルダン国内旅行記
12月11日 晴れ
9:00 我々は犠牲祭の休みを利用してジェラシュに向かうべく家を出た。

12月8日が犠牲祭であり、その週は休みとなっている。

ジェラシュはアンマンの北約50kmに位置し、ローマ人がアラブに造った
ローマ都市の中では最も華麗にして壮大な遺跡の一つで、ぺトラに次ぐ
ヨルダンの大きな見どころである。


(青印がジェラシュ)

マイクロ・バスを乗り継ぎスエーレまで行く。
このマイクロ・バスは20名ほどが乗車できアンマン市内や
近距離を中心に走っている。

アンマン市内を走っているマイクロ・バスは比較的綺麗であるが、
地方に向かうそれはお世辞にも綺麗とはいえず、むしろ薄汚く、
座席も壊れかかっているような物が多い。
値段は30円から40円と非常に安価であり、慣れてくると便利なものである。
市民の足として欠かせないもののようである。

我々もヨルダンに来て8ヶ月くらい過ぎたあたりから、
ぼちぼちこちらのシステムにも馴染んできて
ようやくなんら抵抗も無くマイクロ・バスに乗れるようになってきた。

馴れとは恐ろしいものだ。


(マイクロ・バス これは綺麗な部類だ)

スエーレでマイクロ・バスを降り白タクでジェラシュに向かう。
休日のせいか、白タクがことのほか多いようだ。
システムは乗り合いタクシーのセルビスと同じで4人が乗って
満車になった時点で発進する。
値段は一人150円である。

およそ40分ほどでジェラシュに到着。
凱旋門の近くで下車する。


(凱旋門)

城壁の見張り台には兵士が立っている。
ちょうどタイミングよくローマ時代をモチーフとした寸劇をやるようだ。


(城壁上の兵士)

1,500円とちょっと高いが観ることにする。
ローマ時代さながらの衣装に身をかためた兵士たちが迎えてくれる。


(ローマ時代の兵士)

寸劇は戦闘士の行進で始まる。


(戦闘士整列)

戦闘士たちの戦いは実戦さながらで迫力のあるものであった。
勢いあまって鼻血をだす戦士までいた。


(迫真の演技)

戦士たちの演技のあとは戦闘用馬車の競走である。
これもまたスピード感あふれるものであった。


(戦闘用馬車競走)

寸劇を観て遺跡のメイン・ゲートである南門へと向かう。


(南門)
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エジプト旅行企画完了

2009-05-02 | エジプト個人旅行記
我々がエジプト旅行を企画していることは以前記した。
「エジプト旅行企画」(カテゴリー:エジプト個人旅行記)参照

我々のヨルダンでの滞在ビサの更新や航空券、ホテルの予約などに思いのほか
時間がかかったがようやく決定した。

アンマン出発は5月18日である。

最終決定にあたり大きく次の点を変更した。

1.当初エジプト第2の都市で典型的な地中海都市であるアレキサンドリア観光を
  予定していたが、1泊するならともかく往復7時間をかけて出かけることの
  意義が見つからず次の機会にまわすこととした。

2.その代わり手薄だったカイロ市内観光を1日増やす。

3.砂漠ツアーのバハレイヤ・オアシス行きは一般バスの乗りやすさを考慮し
  カイロ中心地に滞在する後半に移した。

4.砂漠ツアーでは当初予定のホテル滞在ではなく、折角の機会のため
  妻を説得し電気もバス、トイレもないキャンプに泊まり満天の星を
  楽しむことに挑戦することにする。

5.カイロ到着日と出発日を有効利用するため航空会社をエジプト航空から
  ヨルダン航空に変更(エジプト国内の移動はエジプト航空だが旅行会社が
  斡旋するため、異なった会社でもアンマンーカイロ間の運賃に大差ないため)


(カイローアスワンーアブシンベルーアスワンー(クルーズ)ー
ルクソールーカイローバハレイヤ・オアシス(砂漠)ーカイロと廻る)

旅程は以下を予定している。

1日目  午前 アンマンーカイロ移動(飛行機) 
      午後 エジプト博物館、カイロ市内観光  カイロ泊

2日目  午前 ピラミッド、スフィンクス、クフ王ピラミッド入場
      午後 メンフィス、サッカラ、ダハシュールのピラミッド観光
      夜  音と光のショー見学      カイロ泊

3日目  午前 オールド・カイロ、コプト教会観光 
      午後 モハメッド・アリ・モスク、ハーンハリーリ市場観光 カイロ泊

4日目  午前 カイローアスワンーアブシンベル移動(飛行機)
      午後 アブシンベル神殿観光
      夜  音と光のショー見学  アブシンベル泊

5日目  午前 アブシンベルーアスワン移動(飛行機)
      午後 ファルーカでナイル河遊覧  クルーズ乗船  キャビン泊

6日目  クルーズ船で移動
      未完のオベリスク、ハイダム、コムオンボ神殿など見学 キャビン泊

7日目  クルーズ船で移動
      ルクソール神殿など見学  キャビン泊

8日目  クルーズ船で移動 メムノンの巨像、王家の谷など観光 
      クルーズ下船 ルクソールーカイロ移動(飛行機)  カイロ泊

9日目  午前 カイローバハレイヤ・オアシス移動(バス)
      午後 黒砂漠、白砂漠オフ・ロード・ドライブ 
      夜 キャンプでバーベキュー 満天の星を見ながらキャンプ泊
   
10日目 午前 砂漠ツアーよりもどり温泉に入浴 
      午後 黄金のミイラ、26王朝の墓など見学 
          バハレイヤ・オアシスーカイロ移動  カイロ泊 

11日目 終日 イスラーム地区などのカイロ市内観光
      夜間 カイローアンマン移動(飛行機)

また費用節減のため以前述べたように以下のことを実施することとした。

1.入国査証取得サービスのキャンセル

2.空港、港などにおける送迎サービスは初日を除きキャンセル

3.アブシンベル神殿での観光サービスは英語であることからキャンセルし
  旅行案内書を熟読することでカバーすることにした。
  (通常、英語による観光案内は、えてして我々日本人の興味からは外れてる
  ことも多くまた英語もよくわからないことから個人的にあまり好きではない)

4.アブシンベル神殿での「音と光のショー」観光サービスはイヤホンによる
  日本語解説があるとの情報からキャンセル

5.1泊2日の砂漠ツアー(バハレイヤ・オアシス)は自分でアレンジ

以上と、たまたまの料金見直しにより旅行会社への支払いは
当初の提示された費用より8万円ほど安く約13万円強となった。
しかし8万円すべてが要らないわけではなく半分くらいの4万円ほどの
節約効果と思っている。

全体的な費用見積もりは以下の通りである。

旅行会社への支払い分           
 ・エジプト国内航空運賃   54,900円
 ・ホテル代           17,350円(2人で34,700円)
 ・クルーズ代(3泊、含食事) 23,900円(2人で47,800円) 
 ・日本語観光サービスx5  30,100円
 ・送迎サービスx1        2,300円
 ・昼食サービスx3        3,000円
自己支払い分
 ・アンマンーカイロ航空運賃 35,000円
 ・砂漠ツアー・キャンプ    20,000円
 ・食事代x6          25,000円
 ・観光代・乗り物代他    10,000円 

というわけで総計一人当たり22万円強であろうか。

今回の総費用の鍵を握るのは昨年の中欧旅行と同様
食事時のアルコール代がポイントとなりそうである。  

我々の出発はおよそ2週間後である。

折りしも新型インフルエンザ騒動のさなか、それがヨルダン、エジプトに飛び火し
渡航禁止にならないことを願っている。
     
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