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孝の徳目を賢の第一位とする

2006-02-25 05:30:02 | 十八史略を読む Ⅲ
十八史略を読む-Ⅲ-32 孝の徳目を賢の第一位とする

「十八史略 Ⅲ 梟雄の系譜 :徳間書店、奥平卓、和田武司訳、1987年7月七刷」から

明帝はどちらかというと、臣下のちょっとしたミスも容赦しないたちであったが、そのあとを継いだ章帝は、余り厳しい政治は反感を招くと考えて、寛容を旨とし、礼楽による政治に切り替えた。

ある時、官吏登用試験の実施法を討議する会議が開かれ、臣下の韋彪(いひょう)が問題を提起した。

「政治の要諦は、賢者の登用にあります。何を以て賢とするかと言えば、孝行の徳目を第一位とします。従って、忠臣を手に入れるには、まず孝子を選ぶべきかと存じます」章帝はこの提案を裁可した。

その頃、廬江郡に毛義(もうぎ)という者がいて、行いが立派であるとの評判であった。その評判を聞いて、張奉(ちょうほう)という男が彼の家を訪問した。たまたまそこへ、毛義を安陽の県令に任命する旨の政府の辞令が届いた。

毛義は、その辞令を押しいただいて部屋へ戻ってきた。その喜びようと言ったら、それこそ顔の筋肉が緩みっぱなしであった。張奉はそれを見て、内心軽蔑の念を禁じ得なかった。

しばらくして、毛義の母が死んだ。それからというもの、毛義は、朝廷や郡の役所からどんなに召出しがあっても、いっこうに出仕しようとしなかった。

張奉は、自分の不明を恥じた。

「そうだったのか。あの日あんなに大喜びしたのは、母を喜ばせるためであって、本意ではなかったのだ」

この話が上聞に達して、章帝は、褒賞の詔勅を下した。




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