凡凡「趣味の玉手箱」

キーワードは中国です。中国以外のテーマは”趣味の玉手箱にようこそ”で扱っております。

梟雄の系譜

2006-01-22 23:28:24 | 十八史略を読む Ⅲ
いよいよ徳間書店から発行されている十八史略も三巻目です。これから十八史略Ⅲとして少しずつ読んでゆきます。昨年ブログを開設してから約7ヶ月で二冊を読んだ勘定ですから今年は四巻まで読めるかもしれません。

さて、このⅢ巻の副題は「梟雄の系譜」です。広辞苑によれば、梟雄(きょうゆう)は残忍でたけだけしい人とあります。中国の歴史上、春秋戦国に次ぐ第二の危機の時代を扱っています。

この巻で扱うのは紀元1世紀初頭から6世紀の末までです。王朝では後漢から魏・呉・蜀三国鼎立(ていりつ)の時代を経て南北朝の終焉に至る、約600年間の時期となります。


人口というコトバ

2006-01-22 23:22:08 | 中国のことわざ
中国のことわざー100 人口というコトバ

1月22日の日本経済新聞朝刊の漢字コトバ散策からである。

興膳宏さんは副題を“為政者の思惑ににじむ数え方”としている。それは人数を意味する言葉として人口の他に人頭があって、この方は頭数を指す。人頭税といえば個人の税金の負担能力に関係なしに頭割りで取り立てる原始的な徴収法。民を養う面に重点があれば口で数えるといい、興膳氏はそこに為政者の思惑が暗示されているのかと指摘されている。

そういえば、昨年11月に中国に仕事で出張したとき西安市や上海の人口についての議論があったように記憶している。政府発表の人口の統計値に比べて実態はもっと多いのではないかという。確かに上海あたりでは周辺からの出稼ぎで来る流入人口が多いのかもしれない。それはそうと本題の人口というコトバに戻ろう。

広辞苑によれば①人口とは一国または一定地域に居住する人の総数②世人の口。世人の噂。(史記)とある。

興膳氏によれば(広辞苑①の)人口という用法は、漢書の王莽伝(おうもうでん)に「人口万二千人になるべし」とあるそうだ。この時代からはるかにさかのぼり、老子が逆説的な箴言として言った「五味は人の口をして爽(そこな)わしむ」がその一つ。そして、「人口に膾炙する」といえば広く人々の口の端にのぼってもてはやされることだ。

では人数を言うのになぜ“口”という字を使うのか。そのヒントとなるのが諸国を遊歴し、王者の道を説いた孟子が記した「孟子」にある。最初に彼が訪れた梁国の恵王に向かって熱弁をふるいこう言ったという。

「狭い宅地でも、桑の木を植えて、養蚕を振興し、また家畜をきちんと飼って労役で農耕の時を奪ったりしなければ「八口」の家でも飢えに苦しむことはありません」

八口の家とは八人家族の家を意味するが、いずれも家族が満足に食べていけることをいっている。民が不安なく食べられる生活を保障するのが、君主の責任であると孟子は言ったのである。

そして、冒頭掲げたとおり、興膳氏の人数を意味する二つのコトバ“人口”と“人頭”の説明へと続く。


駅伝という言葉

2006-01-22 23:06:56 | 中国のことわざ
中国のことわざー99 駅伝という言葉
1月15日の日本経済新聞朝刊漢字コトバ散策からである。

箱根駅伝を始め駅伝は真冬のスポーツのひとつである。今日は第11回全国都道府県対抗男子駅伝競走が広島の平和記念公園で行われました。長野県が三連覇で優勝したそうです。

さて、この駅伝というコトバは中国の古代からあったそうだ。

本来の「駅伝」は都を中心にして四方に伸びる道路の宿場と宿場の間を、馬や馬車でつなぐ交通・通信の制度であり、古くから国家支配の重要な装置でもあった。この点日本も中国も同じ。

「駅」も「伝」も、宿場あるいは宿場間を往来する馬や車を意味している。「駅伝」が逆転して、「伝駅」となることもある。「伝」はまた「転」に通じ、次々と受け渡してゆく意味を含む。

広辞苑で「駅伝」を調べてみると①(やくでんとも)古代の交通制度。中国では秦漢帝国以来、首都を中心に全国的に駅伝制度を施行し、清末に及んだ。日本の律令制では、唐制にならって、馬車および伝馬の制を定める②遠距離を中継または交代しながら連絡すること③駅伝競走の略とある。

なお、関連ですが、先日NHKで放映されていた万里の長城にある烽火台も事が起こったときに順番にのろしを上げてゆき、危急を都に知らせるということで、昔中国で、通信の重要な役割を果たしていたのだなと見て思いました。