凡凡「趣味の玉手箱」

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丙吉と黄覇

2006-01-01 11:41:15 | 十八史略を読む Ⅱ
十八史略を読むⅡ-137 丙吉と黄覇

「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から

丞相の魏相がなくなって、丙吉が代わって丞相となった。丙吉は、心の広い人物で小事にあくせくせず、礼儀正しくて、尊大ぶることがなかった。人々は、丙吉は丞相としての大きな職分を心得ていると賞賛した。

宣帝が即位してから19年後、丞相の丙吉がなくなって、後任に黄覇が任命された。黄覇は以前えい川(せん)郡の長官を務めていた。郡の役人にも人民にも尊敬され、誰もが長官は神のように聡明で、とてもごまかしはきかないと噂しあった。一方黄覇は、刑罰は軽視して、もっぱら教化を第一とする統治方針をとった。だが黄覇の才能は直接人民を治めるには適していたが、丞相には向いていなかった。功績、名声ともに、郡を治めていたときの方が高かった。

* 適材適所があるのはいつの時代でも同じ。ある人物が大きな功績をあげて、上位職に就けば、それで、その後もうまくいくとも限らないところが難しいところです。



魏相が副書の制度を廃止

2006-01-01 11:14:14 | 十八史略を読む Ⅱ
十八史略を読むⅡ-136 魏相が副書の制度を廃止

「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から

丞相の霍光の後に丞相となったのが魏相(ぎしょう)である。彼には次のような功績がある。

それまで漢のしきたりでは、上書するものは同文を二通したため、その一通に「副」と表書きする事になっていた。

上書係の尚書はまず、「副」を開いて、その内容が穏当を欠いている場合、握りつぶしていたのである。これでは、下意上達のパイプが詰まってしまうので、魏相は宣帝に建白して、その「副書」の制度を廃止した。

その後も、魏相は古いしきたりを研究し、また事務の簡潔をはかって、今まで提出された意見書を丹念に調べた。そして、漢王朝成立以来の簡潔な行事や賈誼(かぎ)、晁錯(ちょうそ)、董仲舒(とうちゅうじょ)たち賢臣の建言したことを箇条書きにして上書し、宣帝の許可を得てそれを施行した。同時に、役所の属官に命じて郡国を視察させ、その効果を調べた。また、休暇が終わった役人が帰任してくると、すぐに帰省中のできごとを報告させた。このように、あまねく天下の事情に通じていたから、盗賊発生や天変地異などで、地方から正式の報告がない場合には、彼が自分でそれを奏上したものである。

こうして魏相の後に丞相となった御史大夫丙吉とも心を合わせて宣帝の政治を補佐したため、宣帝もこの二人を重んじていた。