凡凡「趣味の玉手箱」

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児婦人の口は用うべからず

2006-01-21 19:25:45 | 中国のことわざ
中国のことわざー98 児婦人の口は用うべからず

女こどもの言うことに耳を貸すなという意味である。

この言葉を吐いたのは、意外にも、高祖の未亡人の呂后であった。彼女は高祖亡き後、天下の実権を握り呂氏一族を次々と王に立てた。

しかし呂后も高祖の重臣たちの動向が気にかかった。なかんずく、丞相をつとめる陳平は知謀の士、表面では呂后のやることにいちいち賛成しているものの本心はわからない。

ある時、呂后の妹の“呂しゅ”が「陳平は丞相の地位にありながら、政治はほったらかしにして。毎日、酒と女にうつつを抜かしております」と呂后に言った。

これを人づてに聞いた陳平は“呂しゅ”の讒言通りに日夜、女遊びにふけった。この機会を利用して、呂后を安心させて、自分の身の安全を確保しようと考えたのである。呂后は密かにほくそえんだ。陳平も酒色に溺れているようでは恐れるに足りないと。

呂后は陳平を呼び出して、“呂しゅ”の密告の件を形だけ問いただした上でこう言った。

「“女こどもの言うことに耳を貸すな”と下世話にも言う。“呂しゅ”の讒言など気にすることはないのですよ」

もうこの男は放っておいても大丈夫というわけである。

こうして呂后は陳平に対してすっかり心を許し、大っぴらに呂氏一族を王に立てた。

呂后が没するや、陳平は大尉の周勃とはかって、一挙に呂氏一族を誅伐し、文帝を擁立した。

*今時、“女こどものことばに耳を傾けてはいけません”などと言ったら、世のあらゆる女性・マスコミから総スカンを食うことでしょう。

出展:司馬遷、史記[別巻]史記小辞典、徳間書店、1988年11月30日第二版第一刷、陳丞相世家

讒女は国を乱る

2006-01-21 17:53:54 | 中国のことわざ
中国のことわざー97 讒女(ざんじょ)は国を乱る(みだる)
女の告げ口が政治を乱しているという意。

漢の高祖の未亡人の呂后の人ブタ事件はじめその犠牲となった人は多い。戚夫人の一子如意はじめ、高祖が他の女に生ませた子供を呂后は何人か殺している。

高祖の子、趙王の友も犠牲者の一人である。彼は呂氏一門の女を后としたが、側室ばかりを寵愛し、后には冷淡であった。そのため、后は呂后に告げ口した。

「太后が死んだら、必ず呂氏一族を倒してやる」と友が言っているというのだ。それを聞いて、かっとなった呂后は趙王を一室に閉じこめ、食事を与えることも禁じてしまった。

この言葉は友が飢えに苦しみながら、無念の思いをこめて歌った歌の中に出てくるという。

「女の告げ口が政治を乱している」というのである、中傷のたぐいが政治を混乱させるのは古今を問わないようだ。

この結末。可愛そうに趙王は餓死させられた上、亡骸は庶民同然の扱いで民間の墓に埋葬されたという。

出展:司馬遷、史記[別巻]史記小辞典、徳間書店、1988年11月30日第二版第一刷、呂后本紀

管をもって天を窺う

2006-01-21 17:52:33 | 中国のことわざ
中国のことわざー96 管(くだ)をもって天を窺(うかが)う(管を用いて天を窺う)

管の穴から天をのぞくように、狭い見識で広大なものごとをうかがっても、その真相を知り得ない。"ヨシの髄から天井をのぞく"と同じ意味で見識の狭さをたとえる。

春秋末期の医聖の扁鵲(へんじゃく)が"かく"の国に行ったときのこと、太子が死んだという噂を聞いて、宮廷の医師を訪ね、太子がどんな病状で死んだのかと聞いた後、

「いつ亡くなられたのですか」

「明け方です」

「納棺されましたか」

「いえ、まだ亡くなられてから半日も経っていませんので・・・・」

「では、私が太子を生き返らせて進ぜましょう」

「いいかげんなことはおっしゃらないでください。赤ん坊だって、そんなことは信用しませんよ」

扁鵲は医師とこんな問答を続けた後、天を仰いで嘆息して言った。

「あなたの医術など、管を通して広い天を窺い、隙間から複雑な模様を見るようなもの、とても全般を見通すことはできませんぞ。もし私の言うことが信用できぬなら、も一度太子を診てごらんなさい。その耳が鳴り、鼻がふくらむ音が聞こえるはずです」

これは余りにも図星だったため、相手は驚きのため、目がくらみ舌が動かなくなってしまった。

報告を聞いた「かく」の君主は太子の治療を扁鵲にまかせた。扁鵲が鍼(はり)を打つと
太子は蘇生し、さらに治療を重ねて20日後に全快した。

このため、死人を生き返らせることができる名医という評判が立ったが、扁鵲は「死人を生き返らせたわけではない。まだ死んでいない人を治したまでのことだ」と言った。

この話から、「管見」という言葉も生まれた。自分の知識や見解を謙遜して言う場合に用いる。

出展:広辞苑、司馬遷、史記[別巻]史記小辞典、徳間書店、1988年11月30日第二版第一刷、扁鵲・倉公列伝