中国のことわざー95 獲麟(かくりん)
麒麟捕獲の意。麒麟は聖人の出現に伴って現れるとされた想像上の動物である。魯国の年代記である「春秋」は孔子の著書と伝えられるが、哀公14年(前481年)麒麟の記事をもって終わっていることから、絶筆あるいは物事の終わりを麒麟という。
「春秋」最後の記事は「14年、春、西に狩して麟を獲たり(えたり)」である。「春秋」の解説書の一つである、「左伝」によれば、その年の春、魯の西部で狩猟が催され、ある御者が異様な動物を捕まえ、これを不吉なものとして役人に下げ渡した。孔子はその獣を観察して「これは麒麟だ」と言った。
そして孔子は麒麟が捕らえられたのを見て「我が道窮まれり(きわまれり)」と嘆じ、「春秋」の筆を絶ったと伝えられる。聖人の出現を伴わずに麒麟だけが現れ、むざむざ殺されたのを嘆いたのである。
出展:司馬遷、史記[別巻]史記小辞典、徳間書店、1988年11月30日第二版第一刷、孔子世家
麒麟捕獲の意。麒麟は聖人の出現に伴って現れるとされた想像上の動物である。魯国の年代記である「春秋」は孔子の著書と伝えられるが、哀公14年(前481年)麒麟の記事をもって終わっていることから、絶筆あるいは物事の終わりを麒麟という。
「春秋」最後の記事は「14年、春、西に狩して麟を獲たり(えたり)」である。「春秋」の解説書の一つである、「左伝」によれば、その年の春、魯の西部で狩猟が催され、ある御者が異様な動物を捕まえ、これを不吉なものとして役人に下げ渡した。孔子はその獣を観察して「これは麒麟だ」と言った。
そして孔子は麒麟が捕らえられたのを見て「我が道窮まれり(きわまれり)」と嘆じ、「春秋」の筆を絶ったと伝えられる。聖人の出現を伴わずに麒麟だけが現れ、むざむざ殺されたのを嘆いたのである。
出展:司馬遷、史記[別巻]史記小辞典、徳間書店、1988年11月30日第二版第一刷、孔子世家