前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

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コブリエの力作、奥井隆氏「昆布と日本人」。共産党とコンブ漁。

2013年01月21日 | Weblog
  昨日は地域あいさつ、訪問活動などをおこないました。「衆院選は残念でしたね。参院選がんばってください」「年金が下がる中で、消費税増税は困ります。がんばって」など声が寄せられました。がんばります。応援お願いします。

  新聞で紹介されていた「奥井海生堂(敦賀市)の奥井隆社長が、昆布の歴史やうまみの秘密などを書き下ろした新書「昆布と日本人」を発刊」・・・との記事が目にとまり、共産党も昆布に縁があるのでさっそく買って読んでみた。
おもしろい!まさにコブリエだ!

 
  検索すると、朝日が以前にも大きな記事にしていた。足立記者の取材だ。

■朝日・・・・・蔵で昆布を成熟させる 奥井海生堂

   温度や湿度が管理された蔵の中で、むしろにくるまれた昆布が静かに眠っている。北海道の最北端、利尻島や礼文島で採れた天然昆布は天日干しされ、福井県敦賀市の奥井海生堂の専用倉に運び込まれる。大本山永平寺御用達の老舗で、北大路魯山人の美食倶楽部とも取引があった昆布屋だ。この蔵で数年間の熟成を待ち、「蔵囲(くらがこい)昆布」として出荷される。

 ●最古は23年物
 最も古いのは、1989年から寝かせてある23年物の昆布だ。ほぼ四半世紀を経た昆布はどんな味なのか。通常、3年物以上は非売品となるが、1年、10年、23年の3種類を、水出しした昆布だしにして飲み比べた。

 1年物は磯の香りが際だっている。口の中で海の精が跳びはねる感覚で、うまみも力強い。10年物は枯淡の境地のようだ。磯臭さは消え、澄んだ風味だけがいつまでも舌に残る。23年物は円熟の味だった。10年物の純粋さを残しつつ、昆布のうまみが驚くほど増していた。

 だしの色合いも年代物になるに従い、透明に近い色から黄金色へと深まっていく。「昆布はワインと似ているでしょう。乾物も湿気を吸ったり吐いたりして生きている」と奥井隆社長(63)。昆布も産地や年産で格付けされる。寝かせるほどうまくなると言う。

 熟成された昆布が生まれた背景に、北海道と関西を結ぶ流通の中継地が若狭湾の敦賀だったという歴史的条件と、その気象条件が挙げられる。江戸から明治にかけ、夏に採れた昆布を積んだ交易船「北前船」が日本海を下り、初冬にようやく敦賀港に到着した。

 琵琶湖を経由して京都へ運ぼうにも北陸は積雪量が多く、冬の運搬は不可能な時代だった。敦賀の蔵でひと冬越えた新昆布は荒々しさが消え、香り立ち、味わいが深まった。

 だが、流通が発達するにつれ、熟成の伝統は廃れ気味になった。在庫に高額な昆布を抱えることは大きなリスクで、採れたてをすぐに販売する業者が増えた。さらに高度経済成長を背景に、食生活のインスタント化が進んだ。「化学調味料に押され、昆布は存亡のときだった」と振り返る。

 ●仏で誇り確認
 そんななか、奥井社長は1992年、あえて貯蔵目的の昆布蔵を建てた。老舗の料亭は昆布を自前で長期保存しており「1年物より2年物、2年物より3年物の方がいい」と、得意先の料亭の主人から支持があった。痩せてきた北海道の海が気に掛かり、「今のうちに大量に仕入れておこう」という気持ちもあった。

 昆布文化の誇りをはっきりと確信したのは、2006年に渡仏した際だ。

 パリで開かれた日本食の試食会で昆布料理を提供し、名門の料理学校「ル・コルドン・ブルー」の本校で講演した。どちらも参加したフランス人が高い関心を示し、自信を深めた。

 ヨーロッパの海藻を研究する大学教授から「昆布文化は世界で日本しかない」と絶賛され、仏での講演を機に三つ星レストラン「アストランス」など仏料理店との取引も始まった。

 「あなたたちの仕事は世界のシェフに影響を与えているって、昆布を採る漁師たちに言うんだ」

 産地を励ます意味を込めて07年7月に北海道・礼文島で昆布サミットを企画開催し
た。共同宣言で、地元自治体や漁協、料亭の団体とともに「だし文化を継承する」とうたった。昆布を育てた海や山を守り、乾物を用いる食文化の復権を願うねらいだ。

 海藻は伝統の食文化に支えられ「蔵囲昆布」として世界で評価される。「付加価値は文化がつける」。今後も伝道師として昆布文化を日本の若い世代や世界に訴えかけていくつもりだ。・・・・・・・・

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   日本の歴史をうごかした昆布、敦賀空襲からの立ち直りと品格守りながら攻めの商売、永平寺との関係、などなどどの章も面白い。白味噌仕立ての昆布だしの雑煮に鰹節をふりかけただけの・・・このシンプルさは我が家も同じだなあ、と。しかし、白ワインに合うとは知らなかった。

   本のなかで貝殻島での昆布漁の困難にふれたところがあり、たしか以前、当時の共産党の宮本委員長が、当時のソ連のブレジネフ書記長に漁を認めるように直談判した問題ではなかったかな、と思う。ちょっと記憶があいまいだが。


  議事録を検索すると、S52年12月の参議院で共産党の下田京子議員が質問している。
千島の領土問題の解決方向や具体的なコンブ漁での提起。解決にとりくんだ共産党の姿を感じることができます。
しかし、奥井氏の著書では「毎年1億数千万円支払う入漁料。1組合員あたり50万円超す負担」とあり、こういう面からも領土問題の抜本的解決が求められる、と思いましたね。

  以下、参議院議事録抜粋。

○下田京子君 二百海里の日ソ間の漁業の線引き問題と、領土絡みで非常に困っている貝殻島のコンブ漁民の問題を中心にして、まず最初にお伺いしたいわけですが、
 せんだって、歯舞の漁協の皆さんやそれからコンブ漁民の皆さんと私もお話し合いをしてまいりました。その中で言っていることは、まさか十五年間以上も貝殻島のコンブ漁をやってきて、日ソ交渉の中であそこのコンブがとれなくなるとは思わなかったということが率直な意見でしたし、ことし一年間とれなかったことによって大変な打撃を受け、同時に、前浜の漁もふるわなかったということで、いろいろあるけれども、とにかく貝殻島のコンブ漁ができるようにというのがまず第一の願いでありました。
 そして、その中で具体的に出されていたのは、貝殻島のコンブというのは実は一般の天然コンブと違って、潮の流れの関係か、とってもやわらかい棹前コンブと言うんだそうですね。それで、これは二十キログラムですと、一般のコンブに比べましても三千円から高値だということで、本当に損失というのが大きい。そしてこれで生活できなくなった皆さんが沖合の方に船に乗って出かけていって実は四十代、五十代の働き盛りの人が命を奪われているという悲惨な事故も聞いてまいりましたし、その留守家族がいまどんな思いで暮しているかという切々と訴えられた婦人の声も聞いてまいりました。それから、だんなさんが漁に、奥さんが近所に通勤出かせぎということで、子供たちは本当に両親の手がかけられない状況の中で、いろいろ家族ぐるみ困っているというふうなお話が出されまして、私も胸いっぱいで聞いてきたわけなんですけれども、こうした歯舞のコンブ漁民の切実な声を具体的に解決していく上で、幾つか具体的に対策をお伺いしたいわけです。
 

○下田京子君 そういう主張をとられていても、現に実際にはもう線引きされて、漁ができなくなっているわけでしょう。だから主張していることと現実が違うわけですよ。ですから、本当に現実に合ったそこの地域の皆さんのことを考え、それに正しく対処していくということならば、かねてから私たちが言っておりますように、やっぱりこの領土問題に対しての正しい解決を迫ると同時に、漁業問題で主張すべきは主張すべきだと、こういうふうに思います。
 また、そういう点からして、いま大きな問題になっております領土のことにつきまして、共産党がかねてから主張しておりますように、千島全体ですね、すなわち歯舞、色丹はもちろん、国後、択捉、南千島を含む全千島の返還と領有権、これをまずはっきり主張すべきだ。そういう点から見れば、サンフランシスコ条約の第二条(C)項の千島放棄の条項を関係国に廃棄通告して、そしてこの千島列島全体の領有権をはっきりと主張すべきであるというふうな態度をとっておりますし、さらに歯舞、色丹の問題につきましても、このことについては本当に日本側が国後、択捉の南千島一括返還でなきゃだめだと、こう言っているし、一方、ソビエトは、安保条約がある間は、米軍基地がある問はだめだと、こういうことで双方が相譲らないというような状況の中で、これはやっぱり本当に安保条約破棄まで待つというんじゃなくて、北海道の一部である歯舞、色丹については即刻返還するよう、そういう主張をすべきではないかというふうな主張をし、そのことについては、ソ連も、平和条約を結べば返す、あるいは沖繩が返還されたら返すと過去言ってきたこともあるわけでして、こういうふうな共産党の主張について知っているかどうかということが一つ。
 それから同時に、この主張に基づきながら、過去一九五九年一月のことですけれども、ソ連共産党の第二十一回臨時大会に、当時の共産党の書記長である宮本現委員長が団長で日本共産党の代表団が行ってこの話をしておりますし、さらに一九七一年の三月にも再度共産党の代表団、交渉団が行っておるわけです。さらには、ことしの春に超党派国会議員団として参加したわが党の津川衆議院議員、小笠原参議院議員が領土問題についてもきちっと主張すべきは主張してきたということ。そしてまた、ことしの五月の二十七日には、先ほどの主張に基づいてソ連への公開書簡を送っているというようなこと、こういうことについてまず知っているかどうかということをお尋ねしたいわけです。・・・・・・・・・・