前回からのつづき
昼食後は国道39号線を西へと進み、
さらに留辺蘂から国道242号線を北上しました。
そして、その道中にある生田原のオホーツク文学碑公園で休憩しました。
ちなみに平成の大合併により、
留辺蘂町は北見市へと、生田原町は遠軽町へと変わっております。
さてさて、この文学碑公園には、納沙布岬から宗谷岬までにいたる、
オホーツク圏を舞台にした文学の碑や句碑や歌碑が
19基も建立されております。
園内はとっても広いという訳ではありませんが、
その一つ一つを見ていけば、ここで結構な時間を過ごせそうです。
ただし、文学に縁のない私には文学者の名前を見ても、
ほとんどが知らない方々ばかり・・・
聞いた事がある名前と言えば、三浦綾子、原田康子ぐらいでしょうか。
19人中2人とは何ともお恥ずかしい限りです。
ちなみに三浦綾子の碑は「野付半島」、
原田康子の碑は「宗谷岬」となっておりました。
もちろん、どちらも読んだ事はありません・・・
公園はさらに奥へと続いておりました。
進んで行くと、小高い所に東屋が見えました。
どうやら、ここが展望広場のようです。
しかし、東屋からの眺めは木々に阻まれてしまい、ほとんど展望は望めません。
おまけに、くもの巣に引っかかるし、散々です(泣)
むしろ眺めは、公園の脇にある駐車場からのほうが良かったですね。
静かに川が流れる、のどかな光景でした。
<この日の走行距離>釧路からここまで188キロ(「レスト&カフェ カルネ」から41キロ)
↓一日一回ポチッとクリックしてね
(北海道部門130位あたりにおりましたが、今日はどうでしょう?)
↓こちらもよろしく
昼食後は国道39号線を西へと進み、
さらに留辺蘂から国道242号線を北上しました。
そして、その道中にある生田原のオホーツク文学碑公園で休憩しました。
ちなみに平成の大合併により、
留辺蘂町は北見市へと、生田原町は遠軽町へと変わっております。
さてさて、この文学碑公園には、納沙布岬から宗谷岬までにいたる、
オホーツク圏を舞台にした文学の碑や句碑や歌碑が
19基も建立されております。
園内はとっても広いという訳ではありませんが、
その一つ一つを見ていけば、ここで結構な時間を過ごせそうです。
ただし、文学に縁のない私には文学者の名前を見ても、
ほとんどが知らない方々ばかり・・・
聞いた事がある名前と言えば、三浦綾子、原田康子ぐらいでしょうか。
19人中2人とは何ともお恥ずかしい限りです。
ちなみに三浦綾子の碑は「野付半島」、
原田康子の碑は「宗谷岬」となっておりました。
もちろん、どちらも読んだ事はありません・・・
公園はさらに奥へと続いておりました。
進んで行くと、小高い所に東屋が見えました。
どうやら、ここが展望広場のようです。
しかし、東屋からの眺めは木々に阻まれてしまい、ほとんど展望は望めません。
おまけに、くもの巣に引っかかるし、散々です(泣)
むしろ眺めは、公園の脇にある駐車場からのほうが良かったですね。
静かに川が流れる、のどかな光景でした。
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