すべては愛する宗像のため

福岡県宗像市在住、井上正文のブログです。

3月例会(その1)

2007年03月12日 | 大会・対談・取材・講演・研修など
3月7日(水)、宮地嶽神社で開催された(社)宗像青年会議所3月例会の中で、立部瑞真理事長が理事長挨拶の中で触れられた、あるお話を紹介させていただきます。
社団法人宗像青年会議所3月例会・理事長挨拶より

立部理事長:先日、アカデミーの開校式がありました。その時の印象に残った話がございますので、その話をさせていただきたいと思います。
アカデミーの開校式は2月24日、シーホークホテルであったのですが、その時の講演会の講師の先生が占部賢志先生という高校の先生をされている方でした。
各地で講演をされている方なのですが、その講演のほんの一部を今日は紹介させていただきます。

1、テヘランで孤立した日本人

1985年3月、今から20数年前、イランイラクが戦争をしていた頃の話です。
イランとイラクは戦争を続けていましたが、その長い戦争の間、理由があってお互いの首都とか大都市には攻撃をしなかったのです。
何故かと言いますと首都とか大きな都市には外国からの技術者であるとかそういう優秀な人達が来ていましたので、そういう都市は暗黙の了解で攻撃をしなかったのです。

ところが長い戦争にしびれをきらしたイラクのサダム・フセイン大統領が、「48時間後にイランの首都テヘランを攻撃する、そして上空を飛んでいる飛行機は民間機であろうが軍用機であろうが全てミサイルで撃ち落とす」という声明を発表したのです。

全世界はパニックに陥りました。

ただちに各国は自分達の同胞が待っているテヘランに飛行機を出して迎えに行ったのです。
そして自分達の国の仲間達すべてを連れて帰ったのです。

日本でももちろん、そういうことをしました。
まず自衛隊機を出そうということで自衛隊機を飛ばしてテヘランに残っている日本人を救おうとしたのですが、当時20数年前といいますと、そういったことをすれば、すぐに軍国主義だとか、戦争を始めるのではないかという議論が起こっていた時代です。
ですから自衛隊を出すのを断念しました。

そこで政府は日本航空に打診し、すぐに飛行機を2機スタンバイさせたのです。
そして政府で様々な調整を行い、さていよいよテヘランに行ってくださいという時には、時すでに遅し。
今、行きますとちょうどテヘランでミサイルの的になります。
だから涙を飲んで断念したのでした。

日本は同胞達を救うすべての手段を失ってしまったのです。

そしてタイムリミットの1時間20分前になろうという時にテヘランの飛行場には日本人だけが取り残されていたのです。
他の国の人達はみな自国の人に助けられ帰国していたのですが、取り残されていた日本人の多くは女性とか子ども達です。

総勢250名が肩を寄せ合って自分の国の飛行機が来るのを待っていたのです。

ところが日本からの救援機は一向に来ない。

そこへ2機の飛行機が助けに来て、テヘランの日本人全員を成田空港まで連れて帰って降ろし、その飛行機は再び自分の国に帰っていったのです。

その飛行機はトルコ航空の飛行機だったのです。

何故、トルコの航空機が日本人を助けたのだろうか?
当時の日本人は誰も解りませんでした。

新聞にもトルコはODA(政府開発援助:先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のこと)が欲しかったのではないかというような記事が出ていたそうです。

ところがこれの本当の理由は、実はさらにさかのぼること100年前に真実はあるのです(次回へつづく)。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (OBしまんチュウ)
2007-03-12 09:04:40
続き!早く聞きてぇ~!
上手いところで止めちゃうなぁ
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しまんちゅうさん (1073)
2007-03-12 10:54:54
しまんちゅうさん他のページを見てくださいよ
地下室とか戸波本舗とか・・・
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みた!みた! (OBしまんチュウ)
2007-03-12 15:22:43
確認しました!素晴らしい!
これぞ武士道精神やね!
確かに日本人はこの精神が薄らいでいる・・・
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話のつづきは (井上)
2007-03-12 16:37:17
OBしまんチュウさま、こんにちは。
そう、1073さまもブログで書かれていますし、
知っているという方も少なくないのかもしれません。

とても感動的な話です。

この話をまだ知らない方のため、
続きは早急にアップしますのでお楽しみに。
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