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福岡県宗像市在住、井上正文のブログです。

MADE IN KYUSHU「九州発銘品」

2006年05月06日 | 九州・福岡発!日本の偉人
土曜朝9時放送の「九州経済NOW」(TVQ)という番組があります。この番組の中で「九州発銘品~INVENTION~」という「九州で発明された銘品や隠れた逸品・商品」の開発秘話などを取り上げたコーナーがスタートしました。
その第1回目、4月22日放送分で「日本の国産自動車のルーツが九州・福岡にあった」ということが紹介されていました。

自動車生産の盛んな北部九州、この地域での車づくりの原点、それは大正時代にまでさかのぼります。
福岡県新宮町にある矢野特殊自動車。大型冷凍車やタンクローリーなど特殊な車輛の製造や販売では全国的に高いシェアを誇る企業。そのルーツは現社長・矢野羊祐氏の父親である創業者・矢野倖一氏が開発した一台の国産自動車にあります。
矢野倖一氏は少年時代、ある模型飛行機の大会に、ただ一人ガソリンエンジンを搭載した飛行機を出品。他はゴム動力のものばかり、見事最優秀賞に輝きます。
このことを知り、多いに感心したのが実業家の村上義太郎氏でした。
村上氏から「日本の国に合った自動車を造ろうではないか」と諭された倖一少年は自動車づくりの道に進みました。
試行錯誤を繰り返すこと3年半、輸入車を参考に様々な工夫が施されました。
「4人乗りの車は4人で持ち上げられる軽さでないとだめだ」と、今で言う軽量化のはしりで、和紙で車体をつくりアルミ板を外張りにし軽くしたそうです。
地方にも工業化の波が押し寄せていた大正5年(1916年)、その車は完成しました。矢野の「矢」にちなみアロー号(写真上)と名付けられました。
しかし、その後は資金的な事情もあり、止む無く自動車の開発を断念。それでも矢野倖一氏の「ものづくり」の情熱が途切れることはありませんでした。
ダンプカーや消防ポンプなど、あまりお金がかからないよう方向へと変え、特殊車メーカーとして出発したのです。

今、アロー号は現存する最も古い国産自動車として福岡市博物館に展示されています。

古きをたずねて、新しきを知る。矢野倖一氏が好きだった言葉「温故知新」。
自動車産業の集積が進み、年間生産台数が100万台を越える見通しとなった北部九州。
その原点はアロー号が築いてくれたのかもしれません。

日本の車づくりの原点が九州・福岡にあったとは・・・
素晴らしいことですね。

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