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福岡県宗像市在住、井上正文のブログです。

「アリとキリギリス」

2008年02月22日 | 大会・対談・取材・講演・研修など
誰もがよく知っている「イソップ物語」の寓話のひとつです。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、

「アリとキリギリス」

元は『アリとセミ』だったが、セミはヨーロッパではあまりなじみが無い昆虫のため、ギリシアからアルプス以北に伝えられる翻訳過程で改編された。日本に伝わった寓話はアルプス以北からのものであるため、日本では『アリとキリギリス』で広まっている。

あらすじ
夏の間、アリたちは冬の間の食料をためるために働き続け、キリギリスは歌を歌って遊び、働かない。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、アリたちに頼んで、食べ物を分けてもらおうとするが、「夏には歌ってたんだから、冬には踊ったらどうだ」と断られる。
なお、日本においては、それでは残酷だというので、アリが食べ物を恵み「私は、夏にせっせと働いていた時、あなたに笑われたアリですよ。あなたは遊び呆けて何のそなえもしなかったから、こうなったのです」とキリギリスに告げる話に改変される場合もある。

教訓
将来のことを考えずに行動すると、その将来が訪れた時に、困ることになる。将来の事を考え、働ける好機を生かすことで、長期的に大きな効果を得ることができる。また、勤勉な人物や、誠実な人々はしばしば独善的で残酷な振る舞いをしがちだ、という戒めもある。

義務と権利
冬になるとキリギリスが死ぬパターンについては、いつ来るかも分からない非常事態に備えることは、大変な負担となる。それでも備えていた者は、非常事態には助かる権利がある。一方、備えていなかった者は、死ぬ義務がある。これは、備えていなかった者が生き残るために備えていた者を襲って蓄えを奪うようになれば、集団が崩壊してしまうからである。

先日、ある会合で講師の方が、現代日本の「倫理崩壊」と世相を『アリとキリギリス』の寓話になぞらえて解説されていました。

それで、あらためて『アリとキリギリス』を読んでみて、現代に通じる教訓と風刺を含んだ寓話であったことに驚きました。

“一方、備えていなかった者は、死ぬ義務がある。これは、備えていなかった者が生き残るために備えていた者を襲って蓄えを奪うようになれば、集団が崩壊してしまうからである”という一文にはゾッとしました。

“勤勉な人物や、誠実な人々はしばしば独善的で残酷な振る舞いをしがちだ。”

社会も人間も常に二面性を持っているものです。