5月21日(月)、長崎県雲仙普賢岳噴火災害で起きた大火砕流と土石流の被災家屋を保存した「土石流被災家屋保存公園」を視察してきました。
この家屋は噴火した普賢岳からは約6キロも離れた所に建っていたにもかかわらず、土石流が2階建て家屋の1階部分を覆うほどの凄まじい被害です。
6キロといえば、宗像JC事務局を起点に半径6キロ圏内はというと、ほぼ宗像市全域がその圏内です。
あの災害が宗像市で起きていたと想定するならば、宗像市内全域が壊滅状態になっていたほどの大規模災害だったのです。
現在は、新しい家屋が建ち並び、噴火で誕生した平成新山(日本で一番新しい山)の麓はのどかな田園地帯が広がっています。
どんなに文明が発展し、科学技術が進歩しても、自然災害から逃れることはできません。
過去の悲惨な災害を教訓とし、防災や災害対策・被災者支援に人類の英知と善意を結集し、国や自治体は勿論、我々一般市民も進化していかねばならないのだと感じました。
<雲仙普賢岳の噴火と災害>
1991年6月3日、大火砕流が発生。取材に当たっていた報道関係者や火山学者(クラフト夫妻)、警戒に当たっていた消防団員、警察官など死者行方不明者43名を出す大惨事となった。(以上、Wikipediaより引用)
この家屋は噴火した普賢岳からは約6キロも離れた所に建っていたにもかかわらず、土石流が2階建て家屋の1階部分を覆うほどの凄まじい被害です。
6キロといえば、宗像JC事務局を起点に半径6キロ圏内はというと、ほぼ宗像市全域がその圏内です。
あの災害が宗像市で起きていたと想定するならば、宗像市内全域が壊滅状態になっていたほどの大規模災害だったのです。
現在は、新しい家屋が建ち並び、噴火で誕生した平成新山(日本で一番新しい山)の麓はのどかな田園地帯が広がっています。
どんなに文明が発展し、科学技術が進歩しても、自然災害から逃れることはできません。
過去の悲惨な災害を教訓とし、防災や災害対策・被災者支援に人類の英知と善意を結集し、国や自治体は勿論、我々一般市民も進化していかねばならないのだと感じました。