フィリピン仰天ニュース

フィリピン在住の為日本では信じられないような出来事を紹介します。

NO173.シャブシャブ通り。

2008年03月28日 14時28分55秒 | アジヤ・ニュース
我が家があるST.(ストリート)から4本ほど離れて並行に走るST.(ストリート)があります。なんとなく不思議な通りです。車がやっと通行出来るほどの一方通行ですが、昼間は閑散としていて殆ど通行人、車も見かけません。しかし夜10時を過ぎた頃から俄然、通行人、車でゴッタかえします。一様、この道は大通りに抜ける抜け道になっているのですが、、、、、近所の「A横丁」の住人に聞いてみるとニヤリと笑って「あそこはシャブシャブST.(ストリート)と言うんだヨ」  夜10時を過ぎると警察官もメッキリ少なくなり、シャブの売買がしやすくなり、また客が集まってくると言う次第です。警察も実情は分かっていて手入れの時は閑散となってしまいます。全ての情報が漏れている訳です。フィリピンでは覚せい剤の事を「シャブ」と日本流に呼びます。何十年も前に日本のヤクザ達がフィリピンで覚せい剤を密造していた時に「シャブ」呼んでいたのがそのまま現在も使用されているわけです。それで通称シャブシャブ通りです。

NO172.思い出*アイスクリーム

2008年03月18日 09時40分25秒 | アジヤ・ニュース
母が、84歳で永眠いたしました。ここ数ヶ月にわたり病状が改善されず私もマニラ~日本を行き来しておりました関係でフィリピン仰天ニュースを発信できませんでした。無事初七日も済みマニラへ帰ってきました。また少しずつニュースを発信したいと思っております。  *母の思い出* 昭和25年、私が4歳の時に伝染病の「ジフテリヤ」が大流行しました。私も感染し病院に入院したくも隔離病棟が不足し、やっと見つけた横須賀の元海軍病院の隔離病棟に入院しました。二人部屋で隣のベットでは、同じぐらいの子供が1日おき、2日おきに変わります。後日聞いたところ皆死んでいったそうです。真冬の最中、高熱の為冷たい物が食べたく上の空で「アイスキャンデー」が食べたいと訴えていたそうです。現在と違ってあの頃は、夏以外には手に入らない物でした。しかし、母が大きなアイスクリームの缶を大事そうに抱えて来て「好きなだけ食べなさい」と言って食べさせてくれました。隣のベットの女の子にも食べさせてやっていました。女の子は、美味しい、美味しいと食べていましたが、翌朝はベットが空になっていました。。。深夜、苦しくて息が出来なくなり無意識に手を喉の奥まで突っ込み掻き毟ったところ血と一所に肉片のような物を吐き出しました。翌朝医者が母に言ったそうです。昨夜死ぬところだったが、自分で喉を塞ぐ病巣を取り出したとの事でした。その後快方に向かい一命をとりとめ現在にいたっております。後日、母にどこからどのようにしてアイスクリームを手に入れたのか聞きましたところ医者が2,3日の命だと言ったので、横須賀のアメリカ軍のベース前で軍の通訳をやっている日本人に事情を話して頼み込んだところ、その日本人女性が、軍の将校に頼んでくれてその将校が、お金は要らないから早く子供に食べさせてやりなさいと言ってベース前で待っていた母に手渡してくれたそうです。今でもアイスクリームを食べる度にこの時のことが思い出されます。私は、大病の為に4歳時の記憶が鮮明に残っております。 * ゆっくり休んでください*

NO171.近所の噂話~偽札

2008年03月02日 07時11分32秒 | アジヤ・ニュース
偽札。。。ドル、円、ペソ、元!!!兎も角、偽札が横行しております。なぜか??フィリピンでは街の角々に両替商が有ります。ここで外貨をペソに、ペソをドル、円などに換金出来る為、偽札が横行する原因になっています。北朝鮮の本物と殆ど変わらない精巧なものからフィリピン製のお粗末なものまで色々あります。「A横丁」の住人の話です。ローカル新聞での取り上げられていましたが、ジプニー(乗り合い自動車)の客が100ペソ(約260円)紙幣で支払いお釣を貰いました。運転手はこのお札が偽札と気付いたのでジプニーを、何処もストップさせず警察署に乗りつけこの客を突き出しました。 「A横丁」の住人はたまたまこのジプニーに乗っていたそうです。客が車を止めてくれ!と言っても車を一切止めなかったそうです。ジプニーは客の要望で何処にでも止まります。