母が、84歳で永眠いたしました。ここ数ヶ月にわたり病状が改善されず私もマニラ~日本を行き来しておりました関係でフィリピン仰天ニュースを発信できませんでした。無事初七日も済みマニラへ帰ってきました。また少しずつニュースを発信したいと思っております。 *母の思い出* 昭和25年、私が4歳の時に伝染病の「ジフテリヤ」が大流行しました。私も感染し病院に入院したくも隔離病棟が不足し、やっと見つけた横須賀の元海軍病院の隔離病棟に入院しました。二人部屋で隣のベットでは、同じぐらいの子供が1日おき、2日おきに変わります。後日聞いたところ皆死んでいったそうです。真冬の最中、高熱の為冷たい物が食べたく上の空で「アイスキャンデー」が食べたいと訴えていたそうです。現在と違ってあの頃は、夏以外には手に入らない物でした。しかし、母が大きなアイスクリームの缶を大事そうに抱えて来て「好きなだけ食べなさい」と言って食べさせてくれました。隣のベットの女の子にも食べさせてやっていました。女の子は、美味しい、美味しいと食べていましたが、翌朝はベットが空になっていました。。。深夜、苦しくて息が出来なくなり無意識に手を喉の奥まで突っ込み掻き毟ったところ血と一所に肉片のような物を吐き出しました。翌朝医者が母に言ったそうです。昨夜死ぬところだったが、自分で喉を塞ぐ病巣を取り出したとの事でした。その後快方に向かい一命をとりとめ現在にいたっております。後日、母にどこからどのようにしてアイスクリームを手に入れたのか聞きましたところ医者が2,3日の命だと言ったので、横須賀のアメリカ軍のベース前で軍の通訳をやっている日本人に事情を話して頼み込んだところ、その日本人女性が、軍の将校に頼んでくれてその将校が、お金は要らないから早く子供に食べさせてやりなさいと言ってベース前で待っていた母に手渡してくれたそうです。今でもアイスクリームを食べる度にこの時のことが思い出されます。私は、大病の為に4歳時の記憶が鮮明に残っております。 * ゆっくり休んでください*