みやまいの「ぷりてぃ~ウーマン」プロジェクト

カッコいい女を目指した私の奮闘記だったり、つぶやきだったり、愚痴だったり・・・

名前を残す人。

2009-05-27 01:08:39 | ちょっと論じる
何年か前に亡くなったじいちゃんは、元大学教授で
娘である母いわく「変人」だったそうな。
研究に没頭するがあまり社会性や社交性ないということを
指して「変人」と評していたので、言ってみれば
分野は異なるもののドラマ『ガリレオ』みたいなものか。
・・・見た目はかなりの乖離がありますが。


可愛い孫をそれなりに愛しつつもそれ以上の愛と情熱を
研究に捧げていたたじいちゃんは、書斎にこもっては調べ物や
執筆をされていたという印象が強く、それを裏付けるように
じいちゃんの名前をWEB検索するとじいちゃんが執筆または
監修したその道の本の情報が多数表示される。


先日、フト思い付いて久々にじいちゃんの名前を
ヤホー(ナイツ風)で検索したら、ナントじいちゃんの名前が
Wikipediaに載っていることが判明。

早速読んでみると、そこそこ長い記述があった。

出生や、私も知らない歴任情報、今や「数年前」としか
覚えていなかった亡くなった年などが書いてあった。


私の知らないじいちゃんの一面に今になって触れたようで、
懐かしいような嬉しいような、不思議な気持ちになりました。

てかすごいね、Wikipedia・・・。



関連した別のお話。

少しだけお知り合いだった、渋谷某BARの常連さんが
少し前に亡くなっていたという話を聞いた。

とてもやんちゃで魅力的なおじさまで、これまた「その道」
では有名な方とのことでした。

有名だかなんだか知らんが私にとってはただの常連仲間の
可愛いおっちゃんだ、と生前は思っていたが、亡くなられたと
知ってからふと、彼の飲み以外の面を知らな過ぎたことが憚られ
遅まきながら彼の来し方を知れないものかと検索してみるものの、
思った以上に情報が引っ掛からなかった。



ワカモノの野望とかで「歴史に名を残したい」っていうけど、
あれってどういうことなんだろ?、なんてギモンが沸いた。

WEB検索だけを比べると、じいちゃんの方が名前を残してる。
でも彼は、前述のとおり「変人」で、知り合いと言えば教授仲間と
教え子くらいしかいなかったのではないかと言ってもそんなに過言では
ないと思われるくらい、交友関係は狭かった。

常連オジサマは、WEB検索数は少ないけど、その人間性や破天荒ぶりは
業界を初め多くの人を惹きつけ、果てにはワタシのような分野違いの
ニンゲンをも虜にしている。



どっちがいいか、という問題ではないけど、自分という存在の
残し方は1つじゃないんだな、ってのを改めて感じた。
その人の生き様を反映した、名前の残し方だ。

一瞬だけ、「ワタシならどういう風に名を残したいか」、
なんて考えた。
(そもそも名を残したい願望も野望もないヒトですが・・・。)
けど、そう思うことが無意味だと思った。
名前なんて狙って残せるワケがない。
狙った段階で、自分が湾曲するだけですもの。

じいちゃんもオジサマも、自分の美学を貫いて生き、
それがそれそれ記録や記憶として刻まれるに至ったわけだ。
つまり、結果はあとからついてくる、ってモンじゃないかな?


努力と魅力が成せること。
努力ができて、魅力のある人に与えられる勲章。
それが、記録だったり、記憶だったりで「名を残す」って
ことなんだろうな。



「残したい」ってだけじゃ残せないよ、絶対。
(分かったか、ワカモノ(※)め!!)




※ワカモノといっても、趣味や部活で青春時代を謳歌している
 学生さんがたの野望は、個人的には応援したい。
 社会人になってからも尚、中身もなければ身の丈にもあっていない
 抽象的な野望を掲げている未熟なワカゾーたちが許せないだけさ。
 ・・・結果的には今日もワカモノ批判??(笑)