一日中、小雨。12-10℃
一雨毎に、冬が深まってきた。
昨夜猫は、珍しく「お腹が空いた」と騒がなかったので、疲れた私も(それを幸いに)そのままそっとして置いた。
しかし、何を選択しても、私がもっと世話をしていれば、あの時に手を抜いたからだ、とか、
若しくは、猫を頑張らせ過ぎた、とか、どっちにしろ、後悔し続けるのである…。
動物と言葉が通じないもどかしさ…。
明け方から猫が騒いでいる、
「ああ、今日も無事に生きていた」とホッとしながらも、今日もまた同じことの繰り返し、しかも昨夜手抜きした分、今朝はその分、心が慌ただしいのだ。
一通りの世話が終わり、この顔や姿を見てしまえば、まだまだお世話も頑張れると思うし、コーヒーは美味しい。
しかし、疲れのせいか、コーヒー以外が何も美味しくない。カフェインに依存しているようなものだ。
身体がコチコチで、リウマチも悪化している。
近頃、猫の為に、余力が欲しくて、疲れる運動をしていない。それがまた私を疲弊させている。
窓の外は、我が家よりはるかに立派な家が壊されているし、「ただ、ただ、美しい光景が見たいなぁ」と切望。
さて、また、強制給餌の時間だ。
とにかく、忙しい。意思の疎通もない。
だけど、猫が私のところに、よろよろと余力を振り絞って、甘えに来るのは、私を信じるしかないからだ。
その期待を裏切れない。
【おまけ】 アッシジのフランチェスコ
ブラザー・サン シスター・ムーン Fratello sole, sorella luna (1972)
ブラザー・サン シスタームーン・エンディング
brother sun sister moon donovan demo 2 STEREO
ブラザーサン シスタームーン
その声はめったに私には届かない
自分の悩みだけに心を奪われて
兄である風よ 姉である空の精よ
私の目を開いておくれ
清く正しい心の目を
私を包む栄光が 目にうつるように
神に与えられた命 私にも神は宿る
その愛がいま この胸によみがえる
ブラザーサン シスタームーン
今こそ その姿に触れ その声を耳に
そして胸を打つ あふれるこの愛
ジョットの『小鳥への説教』は、聖フランチェスコが小鳥に説法を始めると、小鳥たちが木の枝から降りて話に聞き入ったというエピソードを描いています。