ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

comfort

2019-11-03 22:59:12 | 時は輝いている

午前中曇っていた空は、午後から小雨に変わる。18-13℃

友人の保護したさくら耳の猫ちゃんは、今朝、静かに息を引き取った、

TNRした猫がようやく家猫になれた、

その最期を幸せにしてくれて、本当にありがとう。

 

私は朝からミルクまみれ。そして、ホムセンでペットフードの補給。

今日の午後は一年前から楽しみにしていた、無料コンサートだ。

自分の納得いく洋服(UNIQLOだがw)を出し、一か月に4回位しかしないお化粧をし、少し早めに家を出た。そごうで時間を潰す。

冠水した千葉駅で何かの工事をしている。

有名なフクロウの交番。

 

本屋に用事があった。この噴水の下では、電子ピアノフェア。全てを習いたい、人生は短すぎる。

loftではクリスマスツリー。普通のツリーもあったが、大人カラーだけ撮影。

 

 

 

SW特設コーナー

 

 

 

飾りもアレレだが、天辺の星が、デススターwwww 

きゃわわ。

毎回師匠に、汚い音を出すと「バイオリンに『チューバッカ』が棲んでいて困っていますぅうう」と言う私。

先生「そんなものは、い・ま・せ・ん! ( ー`дー´)キリッ」

 

 

本屋で、体の柔軟性に関する本を購入した、姿勢と柔軟性は外見だけでなく、音に重要だからだ。さぁ、コンサートに向かおう。

スケルトンのエレベーターはお子さんたちが大喜び。しかし休日なのに、以前より人の出が少ないと思う。

 

会場にて。

台風21号の時は、帰宅難民の宿泊施設になった、隣接した東千葉駅は15号で屋根が吹き飛んだ。だが、沢山の人達が訪れていて良かったと思う。

何時もの席は埋まっており、ギター、ゴンドラバス側の席を取る。

実際、去年から、松脂と弓を使う楽器、ここではゴンドラバスが気になって、先生からはもう、バイオリン側の人間になったと言われている。ともあれ、弦楽器なら何でも好きなのは変わらない。

この楽器、鐘が、第三部では大活躍。今回はパーカッション大活躍。

【一部】

・ハンガリー狂詩曲 作品68

・コンチェルトカプリチオーゾ

【二部】

(ソニード・ギターアンサンブル)

・鐘の響@かねのねと読む

・エスパニアカーニ

(ロシアの調べ)

・ロシア民謡メドレー

・黒い瞳

・二つのロシアの旋律による幻想曲

【三部】

・劇的序曲「細川ガラシャ」 鈴木静一 作曲

・パストラルファンタジー2010 藤掛廣幸 作曲

 

私は今回は三部が楽しみでしたが、この三部をやるには沢山の奏者が必要で、沢山の賛助の方が集まっておられた。

全体を通しても、プロの客演も多く、マンドセロ、マンドリン、ドムラ、バラライカ、アコーディオンの独奏が際立つ、また、賛助のパーカッションの見事な事、これが無くては「細川ガラシャ」は出来ない。

どれも素晴らしい、だが、キリがないので、ざっくり、第三部だけ紹介。 

劇的序楽「細川ガラシヤ」(鈴木静一)

ざっくりすぎるが、明智光秀の娘、細川ガラシャの生涯を描いたもの。

冒頭から父が起こした本能寺の変で騒がしく始まります、3日天下で父は亡くなります、その後の天下の不穏な動乱をあらわす音楽が続きます。5分23秒あたりが「ガラシャの優美」を歌い、やがて人質になるのを拒む葛藤が7分29分、クリスチャン故に自殺できず、史実では家来に「屏風の虎を打て」と言って、自分は裏に居て亡くなるわけです。8分2秒「天に召され」て登っていく行く様子が、その後屋敷に火をつけ全てが終わります。※鐘は死と天をあらわしている。ざっくり過ぎかw

 

Pastoral Fantasy 完全新版2010

さて、私が学生の時には、鈴木静一先生は亡くなられていたのですが、次は藤掛先生と言われ、次々と発表される曲は、こんなに美しい曲があるのかと思っていたものです。(私はセレナーデ№2とスタバート・マーテルが好き)

先生が千葉市在住とも思っていなくて、再びコンサートに行くようになってから、先生の指揮を拝見できるようになって嬉しく思っておりましたが、去年までお元気そうなお姿だったのに、今年は左半身が上手くいかないご様子で、介助されて舞台に登場し、でも最後まで指揮をされ、アンサンブルの方も阿吽の呼吸で合奏されていました。

舞台の袖で、奥様らしき方が心配そうに見守り、ハンカチを出して号泣されていました、最後の満場の拍手とブラボーに泣き笑いされていたのが印象的です。

先生のお話しで印象的だったのは、

自分は作曲家であり、書いたものは白い紙に印字された、ただの死んだ物にしか過ぎない⇒確かに楽譜が読める一部の人にはわかるかもしれない⇒それを読み解いて曲想をつけて生きた物にして、人に届けるのが演奏者であり⇔音楽を愛して聞いてくれる人がいて、初めて成り立つ仕事。

これって、全ての学問、芸術に当てはまりませんか?

全ての人が作家にはなれないけれど、両方可能でも、書き手と読み手に別れても、絵画でも、書道でも、音楽でも、まずは文化を愛する受け手の気持ちが大切なのだと思う。それは、腹の足しにはならないですけど。

動画は、若い頃の藤掛廣幸氏が指揮されています。 今も弁舌が優れ、気力が充実されている事にはお変わりありませんが、どうか体調の戻られる事をお祈りします。

また先生は人生100年、マンドリニストの皆さんも100年、自分も100年頑張ると!

 

開場は空席などなく、誰もが熱心で最後まで立ち上がりません、ブラボーとアンコールの嵐です。お金を出した東京フィル、青のオーケストラの幕張総合と変わりません。

名残惜しく会場を後にしました。

 

 

 

 

帰宅すれば、猫の世話が待っています。

 

そして、今日は練習をしていません。

猫でも弾くかぁああwwww

2020年には女性の二人に一人は50代と言われています。

しかし、演奏者の皆さんの格好良かったこと!!美とは、失われゆく若さだけではないのだと思い知らされます。

(※勿論、演奏でなくても、友人たちのように小さな命を救うとか、様々な、あらゆる方面に美は存在しています。)

コメント (4)
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