雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

歴史散策  古代からのメッセージ ( 2 )

2015-04-21 19:22:42 | 歴史散策
            古代からのメッセージ ( 2 )

黄泉の国

イザナギノミコトとイザナミノミコトとの間に生まれたのは、十四の島と三十五の神であるが、二人の最後の子はヒノヤギハヤオノカミ(火之夜芸速男神)という火の神であった。
このため、イザナミノミコトは体を焼かれたため病となり、やがて亡くなる。この病の時に、イザナミノミコトの嘔吐物などからも何柱もの神が誕生している。イザナギノミコトの涙や、あるいは行動からも多数の神が誕生しているが、二人で生んだ神々との差異などはどう考えればよいのだろうか。

イザナギノミコトはイザナミノミコトの亡骸の枕元に腹這いとなり、さらに足元に腹這いとなり、
「いとしいわが妻の命よ、お前は子一人に代わろうというのか」
と、嘆き泣き悲しんだ。
その時流した涙からは生まれた神の名は、泣沢女神という。
そして、亡骸となったイザナミの神は、出雲国と伯耆国との堺にある比婆の山に葬ったのである。

その後で、イザナギノミコトは、腰に帯びていた十拳の剣(トツカノツルギ・ツカは、握った拳の長さを言い、十拳の剣は長剣を指す)を抜いて、子のヒノヤギハヤオノカミの首を斬ったのである。
その時、その御刀の切っ先に付いた血が神聖な石の群にほとばしり、そこから三柱の神が成り、御刀の鍔に付いた血もまた石の群にほとばしって三柱の神が成った。さらに、御刀の柄に集まった血が指の間から漏れ出て、そこから二柱の神が成った。
さらに、殺されたヒノヤギハヤオノカミの遺体からも、頭から、胸から、腹から・・と、次々に神が成った。

さて、イザナギノミコトは、亡き愛妻を忘れがたく、イザナミノミコトが向かった黄泉国(ヨモツクニ)へと追って行った。
イザナミノミコトは、御殿の戸を閉じたままで出迎えると、イザナギノミコトは、
「愛しきわが妻よ、吾と汝が作りし国は、まだ作り終わっていない。だから、帰ってきてほしい」という。
これに答えて、イザナミノミコトは、
「悔しきことかな。汝が早く来てくれなかったので、吾は黄泉国のかまどで煮たものを食べてしまった。されど、愛しいわが夫がこの国までおいでになるとは恐れ多いことですので、帰ろうと思います。しばし黄泉神(ヨモツカミ)と相談してきますので、その間、吾を見ないでください」
と言って、御殿の奥へ帰って行ったが、その後、なかなか戻ってこない。

待つ時間があまりに長くなり、待ちかねたイザナギノミコトは左の御みずらに刺していた神聖な櫛の端の太い歯を一本折り取り、それに火を灯して御殿の内に入っていった。
その時、彼が目にしたものは、イザナミノミコトの体には蛆がたかっていて、ころころと転がりうごめき、頭には大雷(オオイカズチ)がおり、胸には火雷(ホノイカズチ)がおり、腹には黒雷がおり、陰(ホト)には析雷(サクイカズチ)がおり、左の手には若雷がおり、右手には土雷がおり、左足には鳴雷(ナルイカズチ)がおり、右足には伏雷(フスイカズチ)がおり、合わせて八種の雷神が居たのである。

イザナギノミコトは、その姿のあまりの恐ろしさに、黄泉国の御殿から逃げ出したのである。
それに気づいたイザナミノミコトは、
「よくも吾に恥をかかせたのね」
と言って、ただちに黄泉国の醜女(シコメ)に命じて、その後を追いかけさせた。
それに気づいたイザナギノミコトは、黒い御かずらを取って投げすてると、たちまち山ぶどうの実がなった。それを見た醜女はその実を食べ始めたので、その間にイザナギノミコトは逃げ続けたが、また追いついてきた。
今度は右の御みずらに刺していた神聖な櫛の歯を折り取って投げすてると、たちまち竹の子が生えてきた。それを見た醜女が竹の子を抜き取って食べている間に、イザナギノミコトはようやく逃げ延びたのである。

しかし、その後、イザナミノミコトぱ、あの八種の雷神に黄泉の軍勢千五百を引き連れさせてイザナギノミコトを追わせたのである。
イザナギノミコトは、腰に帯びていた十拳の剣を抜いて、後ろ手に振りながら逃げていったが、雷神たちはなおも追いすがってきた。
黄泉ひら坂(ヨモツヒラサカ)の麓まで逃げてきたとき、イザナギノミコトはその坂の麓に生えていた桃の実を三個取って迎え撃つと、雷神たちはみな坂を逃げ帰っていった。
そこでイザナギノミコトは桃の実に、
「汝は、吾を助けたように、芦原中国(アシハラノナカツクニ)に住むすべての人々に、苦しい目に遭って患え悩む時には助けるように」
と申されて、桃の実にオオカムズミノミコトという名前を授けられた。

最後には、妻であるイザナミノミコト自らが追ってきた。
イザナギノミコトは、千人かかってようやく動くような巨大な岩を引っ張ってきて、黄泉ひら坂を塞いでしまった。二人はその岩をはさんで、それぞれ意見を交わしイザナギノミコトはかつての妻に離別を申し渡した。
「愛しきわが夫のミコトよ、汝がこのような事をするのなら、吾は、汝が住む国の人間を一日に千人ずつ殺しましょう」
と、イザナミノミコトが言うと、イザナギノミコトは、
「愛しきわが妻のミコトよ、汝がそのような事をするのなら、吾は、一日に千五百の産屋を建てよう」
と申された。
そのため、この国では、一日に必ず千人が死に千五百人が生まれるのである。

また、イザナミノミコトを名付けて黄泉津大神(ヨモツオオカミ)と言う。あるいは、イザナギノミコトに追いついたことから道敷大神(チシキノオオカミ)とも言う。
また、あの黄泉ひら坂を塞いだ岩は、道返之大神(チガエシノオオカミ)と名付けられ、塞いでおられる神を黄泉戸大神(ヨモツトノオオカミ)と言う。
なお、この黄泉ひら坂というのは、出雲国の伊賦夜坂(イフヤサカ)といわれる。

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