雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

来べき宵なり

2022-04-09 08:03:32 | 古今和歌集の歌人たち

     『 来べき宵なり 』

    衣通姫の独りゐて帝を恋ひ奉りて

 わが背子が 来べき宵なり ささがにの
         蜘蛛のふるまひ かねてしるしも

                 作者  衣通姫

( 墨滅歌  NO.1110  ・ 巻第十四 恋歌四 NO.688の次にあった歌 )
         わがせこが くべきよひなり ささがにの
                   くものふるまひ かねてしるしも 


* 歌意は、「 今夜は わたしの恋しい人が 訪ねてきてくれそうな夜です それを 蜘蛛の動きが あらかじめ教えてくれています 」といった、現代人にも分かりやすい恋歌といえましょう。
なお、「ささがにの」は蜘蛛にかかる枕詞。「墨滅歌」は、「家々に証本と称する本に書き入れながら、墨を以ちて滅(ケ)ちたる歌」と説明されています。つまり、説明しているのは藤原定家で、父・藤原俊成から受け継いだ本に、書かれている和歌を、墨で消してはいるが読める状態のものを指しています。全部で十一首あります。

* 作者の衣通姫(ソトオリヒメ)は、実在と伝説上との狭間にいる女性のように感じています。
この和歌では、「帝を恋ひ奉りて」とありますので、「日本書紀」に記録されている女性と推定できます。
この帝は、第十九代允恭天皇のことです。允恭天皇は、仁徳天皇の第四皇子で、五世紀に実在した天皇と考えられています。
衣通姫は、允恭天皇の皇后である忍坂大中姫の妹・弟姫(オトヒメ)とされています。美貌は並ぶ者とてなく、その肌の美しさは、衣を通して外にあらわれて輝いて見えたことから、衣通姫と呼ばれたそうです。
やがて天皇の寵愛を受け、藤原宮(奈良県橿原市)に住みましたが、皇后の嫉妬のため茅渟宮(チヌノミヤ・大阪府泉佐野市)に移りました。その後も天皇は狩猟にかこつけて衣通姫の許に通いましたが、それも皇后の知るところとなり、天皇に強く諫言、以後疎遠になっていったという・・。

* 一方、「古事記」にもよく似た女性が登場しています。
こちらは、允恭天皇の皇女軽大郎女(カルノオオイラツメ)の別名が衣通姫だとしています。正しくは、衣通郎女・衣通王と記録されています。
そして、同母兄の木梨之軽王(キナシノカルノキミ)と相思相愛の仲になります。当時、異母兄妹の結婚はごくふつうのようでしたが、同母の兄妹の結婚は禁忌とされていました。その為もあって、父天皇の崩御後、その罪を問われ(おそらく、政変があったと考えられますが。)伊予に流されます。衣通姫もその後を追い、二人は再会を果たしますが、そののち心中します・・。
後世、衣通姫伝説としてさまざまに取り上げられているのは、こちらの説話がベースになっています。

* 藤原定家は、古今和歌集の仮名序の中で、「小野小町は、古の衣通姫の流なり。」と記しています。
小野小町の上を行くほどの美女であり、歌の上手であったと言いたかったのでしょうか。
また、衣通姫は本朝三美人の一人とされているようです。後の二人は小野小町と藤原道綱母だそうです。
さらに、和歌三神の一柱とされているようです。こちらは様々な選ばれ方があるようですが、衣通姫を入れる場合の後の二柱は、柿本人麻呂と山部赤人です。

* さて、それでは、古事記と日本書紀に登場してきている二人の衣通姫は同一人物なのでしょうか。それとも別人なのでしょうか。
同一人物という説も少なくないようですが、単純に混同している例も見られます。別人だという説は、明らかに違う二つの説話があることを根拠にしているようです。

* 筆者個人といたしましては、同一人物と考えています。その理由は、允恭天皇の皇后の妹と皇女によく似た絶世の美女がいたというのが不自然に感じられます。おそらく、二人は同一人物で、片方の説話が作られた物と考えられると思うのです。その仮定に立った場合、古事記と日本書紀の成立の過程から推定すれば、古事記の記録が正当で、日本書紀の方が歪められているように思うのです。その理由は、日本書紀がより公文書的であることから、天皇の皇子に関する禁忌は消し去りたいと考えたことでしょうし、記録したくないような政争があったのかもしれないと思うからです。
そうであれば、日本書紀は、衣通姫に関する部分を省けば良いと思うのですが、それが出来ないほど、衣通姫の存在が大きかったのではないかと想像しています。
いずれにしても、そのようなことは些末なことで、古墳時代と呼ばれる遠い昔、絶世の美女として生まれ、道ならぬ恋に命を燃やし、短い生涯を終えた一人の女性がいましたが、その女性は、今日にまで歌を伝えてくれている・・・、と考えたいと思うのです。

     ☆   ☆   ☆
    


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大谷サアーン | トップ | 脱ロシア »

コメントを投稿

古今和歌集の歌人たち」カテゴリの最新記事