枕草子 第二百四十九段 世の中に
世の中に、なほいと心憂きものは、人に憎まれむことこそあるべけれ。
誰てふもの狂ひか、われ「人にさ思はれむ」とは思はむ。されど、自然に、宮仕え所にも、親・同胞のうちにても、想はるる・想はれぬがあるぞ、いとわびしきや。
よき人の御事は、さらなり。下種などのほどにも、親などのかなしうする子は、目立て、耳立てられて、いたはしうこそおぼゆれ。見るかひあるは、ことわり、「いかが想はざらむ」とおぼゆ。ことなることなきは、また、「これを『かなし』と思ふらむは、親なればぞかし」と、あはれなり。
親にも、君にも、すべてうち語らふ人にも、人に想はれむばかり、めでたきことはあらじ。
人生で、何といっても不愉快なことは、人に憎まれているらしいということが一番に違いありません。
どこのどんな気がふれている人でも、自分から、「人に憎まれたい」とは思いますまい。けれども、自然に、宮仕えに出ている所でも、親兄弟の間でも、愛される者と愛されない者とがあるのが、実に辛いことです。
高貴な方の場合は、申すまでもありません。下々の身分の者でも、親などが可愛がっている子供は、周囲の人目を引き注目されて、大事にしたくなるものです。見た目にも良い子は、もちろん、「この子を可愛がらぬはずがない」と思われます。何の取り柄もない子の場合は、それはそれで、「この子を『可愛い』と思うらしいのは、親なればこそだ」と、しんみりしてきます。
親にも、ご主君にも、すべてのつきあう人は誰にでも、人に愛されることほど、すばらしいことはありますまい。
現代の私たちとて全く同じことで、少納言さまにしては極めて素直に表現されている気がします。
『想はるる・想はれぬがあるぞ、いとわびしきや』といった部分が、個人的には大好きです。
世の中に、なほいと心憂きものは、人に憎まれむことこそあるべけれ。
誰てふもの狂ひか、われ「人にさ思はれむ」とは思はむ。されど、自然に、宮仕え所にも、親・同胞のうちにても、想はるる・想はれぬがあるぞ、いとわびしきや。
よき人の御事は、さらなり。下種などのほどにも、親などのかなしうする子は、目立て、耳立てられて、いたはしうこそおぼゆれ。見るかひあるは、ことわり、「いかが想はざらむ」とおぼゆ。ことなることなきは、また、「これを『かなし』と思ふらむは、親なればぞかし」と、あはれなり。
親にも、君にも、すべてうち語らふ人にも、人に想はれむばかり、めでたきことはあらじ。
人生で、何といっても不愉快なことは、人に憎まれているらしいということが一番に違いありません。
どこのどんな気がふれている人でも、自分から、「人に憎まれたい」とは思いますまい。けれども、自然に、宮仕えに出ている所でも、親兄弟の間でも、愛される者と愛されない者とがあるのが、実に辛いことです。
高貴な方の場合は、申すまでもありません。下々の身分の者でも、親などが可愛がっている子供は、周囲の人目を引き注目されて、大事にしたくなるものです。見た目にも良い子は、もちろん、「この子を可愛がらぬはずがない」と思われます。何の取り柄もない子の場合は、それはそれで、「この子を『可愛い』と思うらしいのは、親なればこそだ」と、しんみりしてきます。
親にも、ご主君にも、すべてのつきあう人は誰にでも、人に愛されることほど、すばらしいことはありますまい。
現代の私たちとて全く同じことで、少納言さまにしては極めて素直に表現されている気がします。
『想はるる・想はれぬがあるぞ、いとわびしきや』といった部分が、個人的には大好きです。