雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

成信の中将は

2014-05-02 11:00:10 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第二百七十四段  成信の中将は

成信の中将は、入道兵部卿宮の御子にて、容貌いとをかしげに、心ばへもをかしうおはす。
伊予守兼資が女(ムスメ)忘れで、親の、伊予へ率(イ)て下りしほど、「いかにあはれなりけむ」とこそ、おぼえしか。「暁にいく」とて、今夜おはして、有明の月に帰りたまひけむ直衣姿などよ。
その君、常にゐてものいひ、人の上など、わるきは、「わるし」など、のたまひしに・・・。
     (以下割愛)


成信の中将は、入道兵部卿宮(致平親王)の御子にて、容貌はとても美しく、性格も優雅でいらっしゃいます。
伊予守兼資の息女が忘れられず(「忘れで」の意味については諸説ある)、父親が、伊予へ連れて行ってしまったので、「どんなに悲しいことだったろう」とねえ、思ったことでしたよ。「夜明けに出発する」というので、当夜はお訪ねになり、有明の月の光の下を帰って行かれたでしょうが、その直衣姿を思いますとねぇ。
その君(成信)は、いつも私の局に坐り込んでお話をされ、人の批評も、悪いものは、「悪い」とはっきりと、おっしゃっていましたのに・・・。

うるさく縁起を担いで、鶴・亀などを立てて(諸説あるも、吉兆を占うことの意ととる)、食べる物をまずかい欠きなどする物の名(よく分からないが、箸のことを指し土師氏のことをほのめかしているらしい)を、姓にしている女房がいて、他の人の養女になって、「平」などといっても、その人の旧姓を、若い女房たちは、話の種にして笑う。容貌も取り立てて言うほどでもないし、風情のある方というにはほど遠いが、それでも一人前に人付き合いをして、その気でいるのを、成信の君は、
「お前渡りも見苦し」(中宮さまの御前に伺候するのは目障りだ)
などと、はっきりと仰せになられるが、他の人は意地が悪いのか、当人に告げる人はいない。

一条院に増築なされた一間の所には、嫌な人は絶対に近づけさせない。東の御門に向かい合っていて、大層しゃれた小さな廂の間に、式部のおもとと私は一緒に、夜も昼もいるので、天皇も、しょっちゅう、人の動きなどを御覧になるため、お入りになられる。
ある時、「今夜は、奥の方で寝よう」ということになり、南の廂に二人して寝てしまった後で、大きな声で呼ぶ人があるので、
「面倒だわ」
などと、二人ともが同じように言って、寝ているふりをしていたので、ますますひどく、やかましく呼ぶのを、
「その者を、起こせ。そら寝をしているのでしょう」
と、中宮さまが仰ったらしいので、この兵部(土師姓?から平姓に変わったと説明している女房)が私たちを起こすのですが、すっかり寝込んでいる様子なので、
「全然お起きにならないようです」
と、命じられた人の所に行ったのですが、そのまま坐り込んで話をしているらしい。

「ほんの少しの間か」と思っていたのですが、夜がたいそう更けてしまいました。
「権の中将(成信)なんだわ、きっと。これは、一体何事を、こんなに坐り込んで話すのかしら」
と、私と式部とは、声を殺して、笑い転げているのを、当人たちは気がつかないでしょう。(いつも、成信は兵部の悪口をさんざん言っているのに、何を話すことがあるのかと笑っている)
権の中将は、暁まで語り明かして帰って行った。
「あの方は、ほんとにけしからぬ方だったのね。もう絶対に、そばにお出でになっても、口をききますまい。一体何を、あんなに語り明かすのかしら」
などと、私たちが再び、言いながら笑っていると、遣戸を開けて、その兵部が入ってきました。

翌朝早く、いつもの小廂で、女房たちが話しているのを聞いていたら、兵部が、
「雨がひどく降る時に訪ねてきた御方にはね、心がひかれるわ。日ごろ、幾日も便りがなくて、怨めしいことがあっても、そんなふうにびしょ濡れでやってきたら、辛いことも、みな忘れてしまいますわ」
とは、どんなつもりで言っているのでしょう。
ねえ、そうでしょう。夕べも、昨日の夜も、そのまた前日の夜も、ともかく、近頃頻繁に訪ねて来る男が、当夜どんなに雨がひどくても物ともしないで来るのなら、『やはり、一夜だって離れまい』とまで思ってくれている」と、心がひかれるものでしょう。
そうではなくて、幾日も顔を見せず、あてにもならないで過ごすような男が、そんな雨降りの時に限って来たからといって、「絶対に、愛情があるとはしない」と、私なら思う。

人は、それぞれで、心はさまざまなのでしょうか。経験が豊かで、思慮深い女性で、「情緒も解する」といったふうなのと深い仲になっているのに、他にも通う女の所がたくさんあり、長年連れ添う妻などもあるのだから、当の女性の所には繁々とは現れないのに、「『それでも、あんなひどい雨降りの日に来たんだ』などと、世間にも噂を広めさせ、褒めてもらおう」と思うのが、男の性分というものですからねぇ。

もっとも、全然愛情のない女の所へは、確かに、何のために、作り事にせよ、「顔を見せよう」とは思わないでしょう。
けれども、私は、雨の降る時には、ただ気がむしゃくしゃして、「今朝まで晴れ晴れとしていた空」とさえ思われず、憎らしくて、すばらしい細殿でさえ、「結構な所」とは感じません。まして、それほどでもない家などでは、「早く降りやめばいいのに」とばかり気にはなっても、しゃれたことも、しんみりとしたことも、ありはしませんわ・・・。

それに引きかえ、月の明るい時こそ、過去のことから、行く末のことまで、思い残すことなく浮かんできて、気もそぞろになり、素晴らしく情緒的なことは、喩えようもない気分がします。
そのような日に来る男性は、「十日、二十日、ひと月、あるいは一年でも、さらに七、八年経ってから思い出したら、ほんとに楽しいものだ」と思われて、とても逢えないような都合の悪い場所や、他人の目を憚らねばならない事情があっても、必ず、ほんの立ち話でもいいから、お話をして帰したり、また、泊まっていけそうな男性は、引きとめたりもしてしまうでしょう。

明るい月を眺める時くらい、何もかもはるか遠くまで思いやられて、過ぎ去った昔のことが、情けなかったことも、嬉しかったことも、「をかし」と感じたことも、たった今の出来事のように思い出される時がありますでしょうか。
狛野の物語(第百九十八段にも登場している)は、たいして気の利いた筋書でもないし、表現も陳腐で、見せ場も少ないが、月に昔を思い出して、虫の食った蝙蝠扇(カワホリオオギ)を取り出して、「もと見し駒に」と男が詠いながら、女の家を訪ねたのが、感動的なのです。
(「もと見し駒に」は、後撰集などにある「夕闇は道も見えねど古里は もと来し駒にまかせてぞ来る」の第四句を誤って引用したか、誤伝されたものらしい)

雨というものは、「風情のないもの」と、私が思い込んでいるからでしょうか、ほんのしばらく降るのさえ、実に憎らしいのです。
畏れ多い宮中の儀式でも、楽しいはずの行事でも、尊くすばらしいはずの法会でも、雨が降りさえすれば、言うかいもなく残念なのに、どうして、男が、雨に濡れて文句を言いながら訪ねて来たのが、結構なものでありますか。

交野の少将を非難した荻窪の少将などは、情緒があります。しかし、それも、昨夜、一昨夜と続けて通ってきていたからこそ、雨の夜も情緒があるのです。
ただ、足を洗っているのは、感心しません。さぞ、汚かったのでしょう。

風などが吹いて、荒れ模様の夜に、男が通って来たのは、頼もしくもあり、嬉しいことでしょう。

雪の夜の訪れこそ、すばらしいものです。
「忘れめや・・」などと、一人口ずさんで、人目を忍んで通ってくるのは当然のことで、それほど人目を憚らない所でも、しゃれた直衣姿はもちろん、衣冠姿や六位蔵人の青色姿などが、すっかり冷たそうに濡れているようなのは、実に風情があることでしょう。
たとえ六位が着る緑衫(ロウサウ)の袍であっても、雪に濡れさえすれば、腹も立ちません。(清少納言は、六位蔵人が固苦しい青色を嫌って緑衫を着るのを嫌っている)
昔の蔵人は、夜など、女房の局でも、いつも青色の袍を着て、雨に濡れても、しぼったりしたとかいうことです。近頃は、昼間でさえ着ないらしい。いつも、緑衫の袍のみひっかぶって通ってくるのですから。
衛府の役人などが青色の袍を着た姿は、まして、とびきりしゃれたものでしたのに・・・。

こういう意見を聞いたからには、雨天には女の所に出歩かない男も出てくることでしょうよ。
月のとても明るい夜、紙がまた、とても赤いのに、ただ、「あらずとも」と書いてあるのを、廂に差し込んだ月の光に当てて、女の人が見ていたのときたら、実にいい姿でした。
雨が降るような時には、そう上手くはいきませんでしょうに。



なお、最後の部分の「あらずとも」は、拾遺集の「月の明かかりける夜、女のもとに遣はしける、 恋しきは同じ心にあらずとも 今宵の月を君見ざらめや」からの引用です。

兵部に対する不満から始まって、「雨」が気に入らないと展開させる少納言さま、少々ご機嫌が悪かったような気がしてしまいます。
そのせいではないのでしょうが、分かりにくい部分がいくつかある章段です。
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