枕草子 第二百五十五段 十月十余日の
十月十余日の、月のいと明かきに、「歩きて見む」とて、女房十五、六人ばかり、みな濃き衣を上に着て、ひきかへしつつありしに、中納言の君の、紅の張りたるを着て、領より髪をかき越したまへりしが、あたらし、卒塔婆にいとよくも似たりしかな。
「雛の典侍」とぞ、若き人々つけたりし。しりに立ちて笑ふも、知らずかし。
十月十余日、月が大変明るいので、「歩きながら眺めよう」ということになり、女房十五、六人ばかり、全員が濃い紅の衣を上に着て、地面を引きずって汚れないように長い衣の裾を折り返していましたが、中納言の君(三十歳前後の女房で、道隆の従妹にあたる。とても小柄だったらしい)が、紅の糊がよくきいているのを着て、襟もとから髪を前に廻していらっしゃったのが、お気の毒なことに、卒塔婆にとてもよく似ているんですよ。
「ひひなのすけ」(雛は人形。典侍は次官にあたる地位。「お人形の典侍さん」といった意味)
と、若い女房たちはあだ名を付けていました。後ろに立って、背比べをして笑っているのを、本人はご存じなしなのです。
中納言の君という女房は、時々登場しています。この時典侍だったようですから、上臈女房か、そうでなくても身分としては高いわけです。
厳しい身分社会ですが、若い女房たちは、案外に自由に振舞っていたようです。
少納言さまは、中宮直属の女房だったようで、典侍などへの登用はありえなかったでしょうし、女房たちの中での位はそれほど高くないままだったようです。
それでも、中宮にごく近くで接することも多く、大臣や天皇とさえ近く接しているようですから、厳しい身分社会の中であっても、日頃は私たちが考えるほど距離を取っていたわけでもないようです。
十月十余日の、月のいと明かきに、「歩きて見む」とて、女房十五、六人ばかり、みな濃き衣を上に着て、ひきかへしつつありしに、中納言の君の、紅の張りたるを着て、領より髪をかき越したまへりしが、あたらし、卒塔婆にいとよくも似たりしかな。
「雛の典侍」とぞ、若き人々つけたりし。しりに立ちて笑ふも、知らずかし。
十月十余日、月が大変明るいので、「歩きながら眺めよう」ということになり、女房十五、六人ばかり、全員が濃い紅の衣を上に着て、地面を引きずって汚れないように長い衣の裾を折り返していましたが、中納言の君(三十歳前後の女房で、道隆の従妹にあたる。とても小柄だったらしい)が、紅の糊がよくきいているのを着て、襟もとから髪を前に廻していらっしゃったのが、お気の毒なことに、卒塔婆にとてもよく似ているんですよ。
「ひひなのすけ」(雛は人形。典侍は次官にあたる地位。「お人形の典侍さん」といった意味)
と、若い女房たちはあだ名を付けていました。後ろに立って、背比べをして笑っているのを、本人はご存じなしなのです。
中納言の君という女房は、時々登場しています。この時典侍だったようですから、上臈女房か、そうでなくても身分としては高いわけです。
厳しい身分社会ですが、若い女房たちは、案外に自由に振舞っていたようです。
少納言さまは、中宮直属の女房だったようで、典侍などへの登用はありえなかったでしょうし、女房たちの中での位はそれほど高くないままだったようです。
それでも、中宮にごく近くで接することも多く、大臣や天皇とさえ近く接しているようですから、厳しい身分社会の中であっても、日頃は私たちが考えるほど距離を取っていたわけでもないようです。