枕草子 第二百五十七段 大蔵卿ばかり耳敏き人はなし
大蔵卿ばかり、耳敏き人はなし。まことに、蚊の睫の落つるをも、ききつけたまひつべうこそありしか。
職の御曹司の西面に住みしころ、大殿の新中将、宿直にて、ものなどいひしに、そばにある人の、
「この中将に、扇の絵のこといへ」と、ささめけば、
「いま、かの君の起ちたまひなむにを」と、いとみそかにいひ入るるを、その人だに得ききつけで、
「何とか。何とか」と、耳を傾け来るに、遠くゐて、
「憎し。さのたまはば、今日は起たじ」とのたまひしこそ、
「いかでききつけたまふらむ」と、あさましがりしか。
大蔵卿(藤原正光、正四位下、四十二歳の頃)ほど、耳の敏感な人はおりませんわ。ほんとに、蚊のまつげが落ちる音さえ、聞き取ってしまわれたそうですよ。
私たちが職の御曹司の西面に住んでいました頃、大殿の新中将(前段にも登場している成信が、道長の猶子となり中将に任じられた頃こう呼ばれていた)殿が宿直で、私が応対していた時に、そばにいる女房が、
「この中将に、扇の絵のことを頼んでよ」と、ささやくので、
「もうすぐ、かの君(大蔵卿正光のこと)がお帰りになられますからね」と、とても小さな声で耳打ちするのを、その女房さえ聞き取れないで、
「何て言ったの。何て言ったの」と、耳を傾けて来るのに、大蔵卿は遠くに坐っているのに、
「けしからん。そんなことをおっしゃるなら、今日は帰りませんぞ」と、おっしゃったのには、
「どうして聞き取ることが出来たのだろう」と、みんな、あきれてしまいましたわ。
この章段も、大蔵卿という人物の思い出です。
もっとも、今回の場合は逸話というより、少納言さまの経験談といったところです。
「地獄耳」という言葉がありますが、それとは意味が違うのでしょうか。
大蔵卿ばかり、耳敏き人はなし。まことに、蚊の睫の落つるをも、ききつけたまひつべうこそありしか。
職の御曹司の西面に住みしころ、大殿の新中将、宿直にて、ものなどいひしに、そばにある人の、
「この中将に、扇の絵のこといへ」と、ささめけば、
「いま、かの君の起ちたまひなむにを」と、いとみそかにいひ入るるを、その人だに得ききつけで、
「何とか。何とか」と、耳を傾け来るに、遠くゐて、
「憎し。さのたまはば、今日は起たじ」とのたまひしこそ、
「いかでききつけたまふらむ」と、あさましがりしか。
大蔵卿(藤原正光、正四位下、四十二歳の頃)ほど、耳の敏感な人はおりませんわ。ほんとに、蚊のまつげが落ちる音さえ、聞き取ってしまわれたそうですよ。
私たちが職の御曹司の西面に住んでいました頃、大殿の新中将(前段にも登場している成信が、道長の猶子となり中将に任じられた頃こう呼ばれていた)殿が宿直で、私が応対していた時に、そばにいる女房が、
「この中将に、扇の絵のことを頼んでよ」と、ささやくので、
「もうすぐ、かの君(大蔵卿正光のこと)がお帰りになられますからね」と、とても小さな声で耳打ちするのを、その女房さえ聞き取れないで、
「何て言ったの。何て言ったの」と、耳を傾けて来るのに、大蔵卿は遠くに坐っているのに、
「けしからん。そんなことをおっしゃるなら、今日は帰りませんぞ」と、おっしゃったのには、
「どうして聞き取ることが出来たのだろう」と、みんな、あきれてしまいましたわ。
この章段も、大蔵卿という人物の思い出です。
もっとも、今回の場合は逸話というより、少納言さまの経験談といったところです。
「地獄耳」という言葉がありますが、それとは意味が違うのでしょうか。