徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

帰国子女だった我が家の子供達―小学校編入

2006年02月04日 | アメリカ学校/教育事情
我が家の子供達も帰国子女と呼ばれていた事があった。彼等が初めてのアメリカでの生活を終えて帰国したのは、それぞれ小学4年、3年、幼稚園年少の8月。2学期からは晴れて日本の小学生、幼稚園生になったわけだ。

が、それぞれ通った学校はバラバラ。長女は、国立の小学校の帰国子女クラスへ。
そのクラスの事は、に書いたので、そちらをどうぞ。

長男も長女と同じ学校に行かせたかったのだが、帰国子女クラスは4年生からしかないので、初めは公立の小学校に行った。
編入の手続きをしてくれた教頭先生も担任の先生も不安そうではあったが、編入した彼にとても優しく色々説明してくれたようだ。通い始めて2ヶ月ほど経ち、担任の先生との初めての面談の時に、「私の言っている事、理解してくれるようになりました。」と言われた事がとても印象に残っている。
それから察するに、やはり幼稚園の年長までを日本で過ごした彼も、2年9ヶ月のアメリカ暮らしの後、日本の小学校に戻った時には、先生の行っている事はあまり分からなかったのだろうか・・・
もちろん、アメリカで暮らしていても、家の中では日本語だし、日本語補習校にも通い、何をかくそうKumon(公文)にも通っていたし、家でも私が付きっきりでかなり勉強させていたつもりだった。たかが2年と9ヶ月のアメリカ生活では日本語の理解力にそんなに影響はないと思っていた。でも、日本の学校や先生から見ると、最初は特別な存在だったのであろう。

せっかく慣れた三学期の終わり頃、やはり長女と同じ小学校の帰国クラスに転入させるべく、手続きを始めた。公立の小学校に通っている者が、国立の小学校に編入する場合には、公立小学校の校長先生の許可証が必要だと言う事で、兄弟そろって同じ小学校に通わせたい旨を話し、担任の先生を通して、校長先生からの書類を作ってもらった。先生も「せっかく慣れた所なのに、残念です。」と言ってくれたが、その頃の私には「子供達二人同じ学校だと楽だ」という気持ちと、”国立小学校”というブランド意識があったのは否めない。

そして、長女も長男も国立の小学校を卒業する事になる。
結局は中学から二人とも公立の中学に行く事になるのだが、この小学校の選択が子供達にどう影響していくのか・・・それはわからない。

同じ帰国子女クラスのクラスメイトは、私立中学を帰国子女枠で受験する子供達が多かった。塾に通い、英語検定を受け、必死だったと、それを見ていた我が子達は言う。でも、晩ご飯にお弁当を持って塾に通い、夜中まで勉強する姿は、とてもかわいそうだったとも言っていた。
それはそれで、彼等が選んだ選択なのだから、私は否定も肯定もしない。ただ、私にはそこまで子供達をヘルプする気力が無かったのである。
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