徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

ラフマニノフ・ピアノコンチェルト2番

2007年10月22日 | オハイオ・お出かけ
週末に地元のオーケストラのコンサートに出かけた。
ブログラムは、「ヨハン・シュトラウス二世・オペレッタ"こうもり"より序曲」「ラフマニノフ・ピアノのコンチェルト二番」「ブラームス・シンフォニー四番」だった。
指揮はマエストロ・広上淳一氏だった。

二曲目のピアノコンチェルトを弾いたピアニストは、アレクサンダー・コブリン。1980年、モスクワ生れの若手ピアニストだ。
彼は、四年に一度行われるヴァン・クライバーン・国際ピアノコンテクールの2005年の優勝者だ。
2003年には日本の浜松国際ピアノコンクールでも二位に輝いてる。ただし、この時は1位が居なかったので、実質1位とも言える。

余談だが、このヴァン・クライバーン・国際ピアノコンテクールの名前にもなっている、ヴァン・クライバーンはアメリカ人のピアニストで、現在73歳。23歳の時に第一回チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、その後、旧ソビエトとアメリカとの橋渡しをした人物としても高く評価されている。彼をそこまで導いた母親が亡くなってからは、第一線からは退いた物の未だに彼は有名だ。

最初の「こうもりの序曲」はとても有名なので、オペレッタの物語を知らない人でも、きっと耳にしていると思う。とても楽しい音楽で、これからパーティーが始まると言うワクワクした気持ちが伝わってくるようだ。このオペラも、人と人との騙し合いをコミカルに描いていて、物語としても面白いのでお勧めです。

二曲目のピアノコンチェルトは、ピアニストの若さが目立った。オーケストラが一所懸命ピアニストを引っ張っているような気持ちにさえなった。指揮者の広上さんは、ピアニストにまで指揮をする。曲が終わってからも、真っ先に広上さんが握手をしたのは、ピアニストではなくオーケストラ団員だった。
それでも、彼がアンコールで弾いたピアノのソロは繊細でキレイだった。やはり、ラフマニノフは彼には大曲過ぎたのだろうか。でも、ピアニストたる者、通らなければならない関門の曲だそうだ。まして、クライバーコンクールの優勝者は、ラフマニノフを弾いて当然と思われている所がある。クライバーはラフマニノフの名手だっからね。音楽の世界って、厳しい・・・。
ラフマニノフのピアノコンチェルトは難曲中の難曲。実力・体力・集中力がなくては弾けないと思う。彼にとっては、チャレンジだったのだろう。
彼はステージ上でも場慣れしていないように見えたし、終わってからサインをしていても頼りなさ気だった。きっと、今回の経験は彼の糧になると思う。こんな厳しい経験が、ピアニストとして成長するためには必要なのだろうし、これからのアレクサンダー君に期待しよう。この秋には、日本でリサイタルを開くらしい。

三曲目のシンフォニーは三楽章しか私は聞いた事が無く、わりと静かな曲。周りの方々はウトウトし始め、途中でけビクッ!として膝の上に乗せていたパンフレットを落としてしまう方もいらっしゃいました。
でも、リズミカルなコウモリ序曲、パワフルなラフマニノフがつづいた後には、これくらいの曲でバランスが良かったのではないかな・・・と思いました。

さて、次に行こうと思っているのは、リン・ハレルによるドボルザークのチェロコンチェルト。リン・ハレルはヨーヨーマの兄弟子にも当たるそうです。
彼は両親を亡くした後、チェロとスーツケースだけを持つ生活をし、オーケストラ団員として公には音楽活動始めた。その後、実力が認められソロへ転向したという珍しい経歴の持ち主。オーケストラの団員としては考えられないくらいの音量でチェロをかき鳴らしていたらしい。(笑)
リン・ハレルのコンサートはオープンリハーサルも予定されていて、$10で聞けるので、お時間のある人、もっと気軽に音楽を聞きたい人にはいいかも知れませんね。

またその次には、日本人バイオリニスト竹澤恭子さんによるブラームスのバイオリンコンチェルトも予定されています。
これも凄く難しい曲で、バイオリン三大コンチェルトに数えられる曲です。

もちろん、その間にもいくつかコンサートが予定されていて、私が好きなAlbert-George Schramさんが指揮をするポップスや、モーツアルトやハイドンの曲も演奏するようです。
コメント
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