ウガンダと暮らす  

ウガンダと日本の、日々の暮らし

Be strong

2011-01-02 21:07:17 | ウガンダ / 日々のこと
12月の30日、私はカンパラからソロティへと向かうバスの中。

病院セクレタリーのアイリンから電話。
本当は今夜に送別会を予定してくれていたみたいだけど、私のソロティ到着が遅くなりそうだったので明日に。
続いて看護部長から電話。
明日の朝8時にオフィスへ来れるか?と。口調が少々きつくて最後の最後に何か仕事か?と思う。

31日、約束通りのじかんに看護部長のオフィスへ。

カンパラはどうだった?といつもの会話。レポートが遅れてるので最終日に提出したいとか、いつもの会話。
看護部長も、病院は普通の日なのにスタッフはニューイヤーのことでディスオーガナイズだよ~とか言っている。
今日の送別会のことでアイリンに詳細を聞きに行きたいんだけど~・・・早く帰ってレポートと荷造りしなきゃだし~・・・
アイリンとこ行く前にちょっとだけAntenatal Clinic来て、ちょっと助けてくれない?
ANC?また何か故障?あっ、もしかして小児用の体重計(過去依頼多し)?もう私、工具とかしまっちゃったよ?

とかとか話しながら看護部長と一緒にANCへ行ってみる。

・・・とそこに待っていてくれたのはいつも見慣れた顔ぶれ・・・(涙



いったい何がなんだか分からなかったけど、私のために集まってくれているんだ、ということが一瞬に分かって
一気に涙ですよ、本当。
これまであまり見ようとしていなかった「別れ」、を一気に感じてしまいました。

いつも私がCMEでユーザートレーニングをしていた場所。
シスターと私の出会いはここから始まったと言ってもいいくらい、2年間の活動の拠点となった場所。
そして今日は、、おなじ場所でシスターから送り出されて私の2年間は本当に終わる。

司会をしてくれたSr. Maryに深呼吸して、と抱きかかえられながらのじかんだった。
ひとりひとりシスターからことばをもらい、歌を歌い、ソーダで乾杯し、最後にはギフトと
「信頼」「希望」を意味するアテソネームまでもらった。





普段、モノをくれくれ・・と言っているウガンダ人。
じぶんがウガンダ人からモノをもらうなんて、思ってもいなかった。

普段、GodがGodが・・と言っているウガンダ人。
この日ばかりは、Godがミチコをウガンダに、ここソロティ病院に導いてくれ2年間私たちと一緒にいてくれた
と言われると、本当にそうなんじゃないかと思わずにはいられない。

母の病態悪化で日本一時帰国を余儀なくされたとき、ミチコはもう帰ってこないんじゃないかと思っていた
でも帰ってきて活動を続けた。帰ってきてからの活動の方がむしろ活発になった
ミチコの母は、ミチコが日本へ向かう飛行機の中で亡くなった。それでも私たちと一緒に・・
看護部長のことばに一気に母のことも思い出され、私はまた涙した。

「ちょっとぉ~!もうなによぉ~!ANCて言うからまた体重計が壊れたんだと思って来たんだよ~」
「ミチコだってひどいよぉ~!私たちみんなを泣かして~」
今日集まったシスターはみんな涙していた。グッバイセレモニーが終了して涙が笑いに変わった。
本当にいいじかんが過ごせたな、と心からそう思う。
ありがとう、と心からそう思う。

明日はちゃんと笑ってソロティを離れることができるだろうか。