今日のブログは、あるグループLINEへの投稿を、そのまま転載します。
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“我々”はこれからどこに向かうのだろう、、、
昨日は久々に家内と一緒に、西武新宿線に乗って小平へ。
スキーが縁で47年の付き合いになる仲間たちがいます。
その中の一人が昨年亡くなり、その奥さんが落ち着くのを待って、7人で自宅に香典を持って行きました。
最近、同年代の人間に再会すると、みんな人生の終わりのような余生感に、ガッカリすることが続いてます。
しかし、この仲間たちは違っていて、“精神”は現役なので救われます。
彼等と知り合った時期に家内と出会い、それから、それぞれが結婚して家族ぐるみの付き合いです。
私の“我々”と、他の人の我々は違います。
家内(正室)といる時は、側室のことを常に考え、側室と呑んで語る時は、正室のことを考えます。
この境地で生活を営む人は中々いないでしょうし、その分、発想が他の人から異次元的になり、理解されない分、孤高にならざるを得ません。
家内からはもう10年?も前に、外に女性を作っても構わないと、古風な面を持った人なので、口ではそう言われてます。
しかし、ヤキモチ焼きなので、このことは絶対言わないというのが、このことを知ってる女性仲間たちとの約束事です。
ここまで落ち着いて?書けるのは、彼女の言い方を恋人?、愛人?と迷いながら、今まで人に話していたのを、ある女性たちからアドバイスで、「側室」の言い方にしたからです。
それを彼女に話したら安心?したのか、正室の話しも先日などは彼女の方から出ました。
少なくとも彼女と私の間では、正室と合わせて3人で生きてる感覚があります。
その分、我々の先は誰にも分かりません。
“結果”だけが“正解”でしょうから。
『二人』‐ 赤い鳥