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JR福知山線事故から1年

2006年04月25日 | Weblog
JR福知山線事故から1年 慰霊式典に遺族ら1800人参加

107人が死亡し550人以上の負傷者を出した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故から丸1年を迎えた25日午前、亡くなった乗客106人を追悼する「追悼慰霊式」が尼崎市の総合文化センター(アルカイックホール)で営まれた。  

合同の慰霊行事は、事故から5カ月の昨年9月25日に開かれた「慰霊と安全のつどい」に続き二回目。  

この日の式典には87組567人の遺族、負傷者や犠牲者の友人ら166組316人をはじめ総勢1825人が出席した。遺族の意向により追悼の対象者は、事故車両の高見隆二郎運転士=当時(23)=を除き106人とされた。  

六甲山の山並みをかたどった祭壇を設置。犠牲者の芳名帳を囲むように100本以上のろうそくを点灯し開会、脱線事故が起きた午前9時18分に全員で黙祷(もくとう)をささげた。  

最初に北側一雄国交相が「再発防止に万全を尽くすことが務めであり追悼の証。公共交通機関への信頼が回復するよう全力を尽くす」と追悼の言葉を述べた。  

JR西日本の山崎正夫社長は「事故から1年だが、ご遺族の心の時計は止まったまま。改めて深くおわびします」と謝罪するとともに、「安心、信頼してもらえる鉄道を作り上げることが、ご遺族の無念に報いる唯一の道。安全第一に取り組むことをお約束したい」と述べ、2度と惨事を繰り返さないことを誓った。  

遺族や被害者の代表として、妻の山田博子さん=当時(54)=を亡くした冨士男さん(56)は「天国はどうですか?」と祭壇に呼び掛け、「人前では泣かない。おまえの分まで長生きする」と涙をこらえ頭を下げた。  

母と叔母を亡くし、自らも大けがをした浅野奈穂さん(33)は「どうして自分だけが生かされてしまったのか。できれば一緒に死にたかった」と声を震わせた。  

また、卒業生らが亡くなった同志社女子大学の音楽学会「頌啓会(しょうけいかい)」が、追悼の音楽などを演奏。最後に参列者が1人ずつ祭壇にユリの花を手向けて終了した。
(04/25 14:04)産経新聞


一年前の今日、突然のニュース映像に我が目を疑いました。
まだ事故が発生して時間も経っていなかったので、犠牲者の数が少なかったですが、映像を見て頭の中を信楽高原鉄道の惨事が甦り、それ以上の犠牲者が出るとおもいました。
事故発生直後から、仕事を於いてでも救助活動に当たった方々の甲斐もなく107人もの犠牲者が出てしまいました。いや逆に救助活動があったからこれ以上の犠牲者が出なかったのかもしれません。
昨年の今日は、この時期にしては暑かったのを覚えています。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。

 


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