一燈照隅

日本が好きな日本人です

朝日新聞の言うとおり。但し昭和27年です。

2012年01月21日 | 国旗、国歌
昭和二十七年の朝日新聞コラム欄に、日本国民としての国旗国歌に対する態度としてまともなことが書かれています。

以前に掲載した内容ですが、何度掲載しても良いと思っています。


今日の問題 「君が代と礼儀」 昭和27年5月13日付朝日新聞
11日行われた鎌倉八幡宮の「やぶさめ」は、長い馬場をトンネルのようにおおうている木々の緑が、その下を埋める日米観衆の明るい服装に照りそい、その間をきらびやかな狩衣の騎手が馬を飛ばして矢を射る、と言ういかにも5月らしい壮快な催しであった。

特に独立回復後最初の本年の行事で、アメリカ側からも参加があり 横須賀基地からは軍楽隊もやってくるほどの盛況で、源氏の氏神であった八幡様が、ヘキ眼のサムライ達をどう照覧あったかはいざ知らず、日米両国の市民達はともに午後のひと時を「やぶさめ」に興じた物である。

定刻と同時に、八幡神社前にあった米軍軍楽隊は「君が代」を奏した。米国軍人はすべて挙手の礼、その家族達も、はやる子供達をおさえて直立不動のまま「君が代」に敬意を払った。

ところがどうであろう。当の日本側の観衆は、ただ物珍しげに軍楽隊や米人側の敬礼を見ているばかり。子供達は軍楽隊の周囲を群れをなして歩き回った。
一昨年の夏、日米対抗水泳大会の時も国旗掲揚に対するアメリカ側の厳粛な態度に引きくらべて、日本人観衆のだらしなさが批判されたことがあった。あのころはまだ占領下だったからと言うわけもあったかもしれないが、もう日本は独立した国である。いつまでもこんな態度でよいわけではない。

「君が代」のよしあしについては、いろいろ議論もあるようだ。しかし「君が代」 が国歌とされ、又各学校も文部省の勧告に従って祝祭日に歌うことになっているとすれば、国歌というものがどんな意味を持っているものか、従って「君が代」にたいする礼儀についても知らなければならない。学校でもこれを教えておいてもらいたい。「君が代」は歌うばかりが、そのすべてではないのである。


今の朝日新聞しか知らない人には想像もできないでしょう。

しかも戦後、占領政策から日本が独立した後のコラムです。

軍部に強制的に書かされた物ではありません。





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