一燈照隅

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朝鮮戦争で戦死した日本人

2005年08月11日 | 日本の戦後
昭和27年11月13日付朝日新聞に載った記事です。

「日本がまだ占領下の昭和25年11月16日マッカーサー元帥宛に出した上申書によると、東京都に住む平塚重治君は同年1月20日米騎兵第1師団E8中隊にペンキ塗りで呼ばれ、そのまま帰ってこなかった。・・・
重治君と一緒に中隊で働いていた友人の話で7月10日米軍の制服を着て、中隊と共に朝鮮に渡ったと聞いた父の元治さんは驚いて警視庁に届けついで法務省事務所で内地送還手続きを取った。
ところが10月10日中隊長ウィリアム・マックレーン大尉夫婦が高原有一通訳を同道「ネオ・平塚(マ大尉がつけた重治君の呼び名)は8月30日南鮮某基地付近の戦闘で相当数の敵兵を倒して戦死した。自分は10月13日戦地に戻るが、ネオと共に戦った生き残りの米兵2.3人を連れて帰りさらに詳しい事情を話す。ネオは国連軍将兵として手続きするから待っているように」と話した。」


重治氏を米軍のペンキ塗りとして雇ったが、朝鮮に連れて行きマックレーン大尉の証言から戦闘に参加して戦死したのである。
 しかし米軍当局はこの事に関して、26年1月から3月までこの件につき徹底的に調べてみたが、重治君が中隊に雇われた使用人かマ大尉個人の使用人であるかは判からなかった。
 というのは、マ大尉自身が25年11月2日以来行方不明となっているからである。死亡は確認されているが、遺骨も遺品についての手がかりもない。


この米軍の調査発表はどう見てもおかしい。
 占領下の日本人が簡単に戦場になっている朝鮮に渡ることが出来るのか、軍隊に関係してなければ出来ないでしょう。
 死亡は確認されているわけです、だからマ大尉の言ったことが本当だと思います。マ大尉が行方不明と言うのも都合が良いように思えます。どこで行方不明になったか発表されていません。
 このほかにも大分県で同様なことで3人が戦死しています。
 朝鮮戦争で日本人も犠牲になっている事、そしてなぜかアメリカはこの事を公にしたくない事を知っておいてください。



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