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一燈照隅

日本が好きな日本人です

「日本への警告」林房雄

2006年01月11日 | たまには読書
林房雄の著書「日本への警告」の後書きにこのように書かれている。

これからの日本には“軍事的膨張”によって自滅するおそれはまずない。他国を侵略し征服する必要も可能性も無いからだ。自滅の危険性は“経済的繁栄の過信”の方から生まれてくる。

敗戦後の日本は角を失った牛、牙を抜かれた豚として、ただ肥りつづけた。幸いに日米安保条約という牧場の柵があり、米軍というカウボーイがいてくれたので、赤い狼の餌食となることをまぬがれた。だが、カウボーイはいずれ故郷に引き揚げ、柵は取りはらわれる。米国には米国の“国益”と世界政策がある。ただ経済的に肥ったということだけで早くも増長し慢心して、ブーブー・モーモーの不平ばかりならべはじめたエコノミック・アニマルどもに愛想つかす時が必ずくる。

無防備の島に肥った食用獣だけが取り残される。その時になって、角を切り牙を抜いたのはマッカーサー占領軍ではないかなどと言っても間に合わぬ。おのれを守るのはおのれだけだ。「自分の国は自分の手で守らなければならなぬ」裸の食用牛は野牛の角をはやすがよい。ふとりすぎの食用豚は先祖にかえって猪の牙をはやさねばならぬ。元来、日本人は牛でも豚でもなかったはずだ。

この日本列島に住みついて、おそらく10万年、世界史に登場して約二千年、多くの貴重な文化を実らせながら、一度も独立を失わず、大東亜戦争の大敗戦によっても滅びることなく、結果としてヨーロッパ人の植民地主義に終止符を打って世界史を転換させた民族である。この伝統の光輝を忘れてはならぬ。

ただ敗戦の傷は深く、日本はいまだに“占領懲罰憲法”下の半国家半独立国にすぎない。前進のためには、この根本を正すことから始めなければならぬ。一日も早く“占領憲法”を廃止し、日本人自身の手による自主憲法を制定し、自衛隊を正規の国軍として独立国の国防体制を整えなければならぬ。それさえできれば、安保問題も沖縄問題も自ずから解決する。独立国日本は友好国と対等の軍事同盟を結び、国連に対する軍事的義務も果たすことが出来る。被占領教育が生んだ鬼っ子と奇形児どものゲバ棒革命ごっこもシャボン玉のように消える。

いろいろと“技術的な困難”はあることだろうが、時間はかかってもかまわぬ。まず根本を正すべきである。


昭和四十四年に書かれた本である。
日本とアメリカの関係を的確に表している。今もこの当時と何処が違うのだろうか。何か進歩したと言えるだろうか。



「日本への警告」より。
http://blog.goo.ne.jp/misky730/e/51ce4b7049ca0b516be3ad1881a00a1d

「日本への警告」林房雄著より Ⅱ
http://blog.goo.ne.jp/misky730/e/40ecd0b79b075920c200ca78adc8d240

読書でもどうですか。

2005年12月30日 | たまには読書
少し古い本もありますが、読んでみて参考になった本を何冊か掲載してみました。 


 


  


「大東亜戦争はアメリカが悪い」


鈴木敏明著 碧天舎


いまだに大東亜戦争日本悪玉論を主張してやまない外国人や日本人知識人に対する、凡人定年サラリーマンの挑戦です。


  


「日韓共鳴二千年史」


名越二荒之助編  明成社


そもそも歴史認識は国によって違う。当たり前のことなのだが、韓国のマスコミはそれが判らず、自国の立場を日本に押しつけようとする。韓国人として恥ずかしかったが、この本は双方の立場を公平に理解している。相手を理解することによって心が豊かになる。この本は日韓友好のバイブルだ


  


「東京裁判日本の弁明」


小堀桂一郎編  講談社学術文庫


東京裁判の法廷に提出すべく作成し、準備しておいたのに、検察官の異議乃至裁判長の裁量によって脚下処分され、法廷証として審理に供することを拒否された証拠資料、及び準備はしたものの脚下処分にあふ事を予想して法廷への提出を見合わせ、弁護人団の文庫の中に埋もれたままになってしまった資料…


  


「秘録 東京裁判」


清瀬一郎著  中公文庫


太平洋戦争終結後の極東国際軍事裁判において、弁護団の中心人物であり、また東條被告の主任弁護人でもあった著者による裁判秘録。文明の名の下に行われた空前の戦争裁判の不当性を突く、迫真のドキュメント。


  


「シナ大陸の真相 1931~1938」


K・カール・カワカミ著  展転社


この本の中で著者は、現在の日中間の不幸な戦争に直接あるいは間接に関連のある、そしてインドから日本までの広大なアジア地域での、今のところはまだあまり知られていない共産主義の脅威面を明らかにしてくれる重要な事実を提示している。彼は過去半世紀の日本の外交史を調べ、膨大な量の資料を分析し整理し、複雑な諸問題を簡潔で明快な鳥瞰図にして読者に提示している


  


「教室から消えた『物を見る目』、『歴史を見る目』」


小柳陽太朗著  草思社


21世紀を目指す教育という。それもよかろう。しかし、21世紀につきあうことは、過去20世紀の、いや、それどころか遠いはるかな古から積み重ねられてきた、人類の歴史の恩恵に身をひたしてはじめて可能だという簡明な事実を、どうしてもっと見つめようとはしないのだろう。


  


「今なぜ日本の神話なのか」


出雲井晶著  原書房


歴史教科書は独立回復後44年たった今なお、世界に類のない建国の理念、原典が消されたままである。「日本の神話」、「神武建国」を消してしまっては、建物の土台を取り外したのと同じ事である。土台を外された建物はおのずと歪むより仕方がない。


  


「弱者とはだれか」


小浜逸郎著  PHP新書


「弱者に優しい政治を」「差別のない明るい社会を」といった、だれも異議を唱えることのできないスローガン。しかし、現代社会における「弱者」とは、本当はどういう存在なのだろうか?


  


「被害者の人権」


児玉昭平著  小学館文庫


著者は93年1月の「山形マット死事件」で13歳の息子を亡くした。当初犯行を認めた中学生たちは、審判が進につれ、一転、非行事実を否定、無罪となる。事実は解明されず、彼らの発言も事件の全容さえも何ひとつ明らかにされないまま、被害者側の人権はなおざりにされた。


  


「美人の日本語」


山下景子著  幻冬舎


日本語には、美しい言葉がたくさんあります。                      
言葉には、言霊といって、魂があると信じられました。                 
美しい言葉の切れ端を、たくさん心に集めるだけで、魂が輝きだすかもしれませんね。
誰かに伝えたい言葉、自分の心にそっとしまっておきたい言葉、みんなで味わいたい言葉…。                                 
そんな言の葉を、ひとつずつあなたのもとにお届けします。
                                    

紹介文は各書籍より 


 


「美人の日本語」よりちなみに今日は「悲喜交々」です。


                         




 


 


 


 


 


「日出ずる国」の生徒よ!

2005年11月20日 | たまには読書
先日、ブッシュ大統領が来日して時に金閣寺で小泉総理が「日出ずる国」と英語でブッシュ大統領に言おうとしてました。
「愛国心の教科書」渡邊毅著の中に「日出ずる国の生徒よ」と言う話があります。


「日出ずる国」の生徒よ!
ジャーナリストの高木一臣さん。現在、アルゼンチンで邦字紙「らぷらた報知」の編集をされている方ですが、昭和26年大学を卒業して26歳でアルゼンチンに渡ったときは、スペイン語がうまくしゃべれませんでした。

当時、無一文だった高木さんは、無料の国立夜間小学校に通うことにしました。その学校での歴史の授業の時でした。歴史の先生は、「〇〇、前に出ろ」と生徒を指名して教壇に呼び出して、復讐してきたかどうかを確認します。 高木さんも呼ばれました。ところが、高木さんのときには、こういいました。

「『日出ずる国』の生徒よ!前に出ろ」 高木さんは言いました。
「先生『日出ずる国の生徒よ』という呼び方はやめてください」
「なぜだ?」
「先生、太陽は落ちたんです。日本はもう『日出ずる国』でなくなったんです」
「君が『太陽は落ちた』というのは、日本が戦争に負けたからなのか」
「そうです」

「君は間違っている! 
日本が『日出ずる国』であるのは、戦争に強かったからではない。日本はアジアで最初に西洋文明を採り入れて、わがものとし、世界5大強国の仲間入りをした。
『西洋文明』と『東洋文明』というまったく異質の文明を統一して、一つの世界文明を創り上げる能力を持った唯一の国だ。この難事業をやり遂げたのは、日本をおいて他にない。日本がこの能力を持ち続ける限り、日本は『日出ずる国』であるのだ。戦争の勝ち負けなどという問題は、『西洋文明』と『東洋文明』の統一という大事業の前には、取るに足りないことだ。君は日本が戦争に負けたからといって、卑屈になる必要は毫もない。俺は『日出ずる国』の人間なのだという誇りと精神を失わず、胸を張って歩きたまえ」

異国の先生から、こんな言葉を聞こうとは―。高木さんは、このとき溢れ出る涙を抑えきれなかったそうです。


戦後日本には国に誇りを持てない人が蔓延しています。中にはどこの国の人なのかと思えるような発言をする人もいます。
日本は世界に誇れる文化が有り、文明の国です。胸を張って歩きましょう。



「在日日本人」

2005年10月25日 | たまには読書
「さらば、在日日本人 祖国を忘れし者に告ぐ」山下正仁著 展転社より

「占領政策の害悪は、日本人を常識から乖離した幼稚な人種、すなわち子供っぽい善悪二元論の観点でしか物事を計れない人間を多量に生み出した。国民意識調査などが示すように、世界のレベルで見れば非常に偏った特殊な国民を作り出してしまった。

国民とは言えないような国民、日本人でありながら自分自身を日本人と自覚できない人たち、または国家観念の非常に乏しい、奇妙な「在日日本人」とも言えるような人種を生み出した。

このような人民がはびこる国がまともなはずはない。著しく偏った歪な社会を形成してしまったと言える。その状況が長く続けば、国家は内側から崩壊する。」


反日政治家や反日マスコミは在日日本人です。

台湾人と日本精神。

2005年10月24日 | たまには読書
平成11年9月21日台湾大地震がおきました。マグニチュード7.6もの揺れで、死者は二千四百名、負傷者一万人を超え、全・半壊した家は十万戸にものぼりました。
10月21日東京大手町サンケイホールで「加油台湾チャリティーシンポジウム」(加油=がんばれの意)が開催されました。 その時のパネリストの一人の金美齢さんの言葉です。


「戦後、台湾では、〝日本精神〟なるものが薄れてゆき、自分さえよければよいと言う〝中国式〟に染まりつつある現状を憂いています。ぜひ、皆さんも歴史的に、伝統的に持っていた日本人の徳目、日本人の素晴らしさを再評価して、それを何とか次の世代に伝えてゆくという仕事に、日本人ひとり一人が参加して、ほしいのです。それが、台湾のためになるのです。日本がちゃんとしていなければ、台湾は、存在できない。日本と台湾は運命共同体だと考えています。  
もともと台湾と日本は、非常に近いものがありました。今度の大地震で、これだけの方が台湾に思いを寄せてくださいました。そして当日、マスコミの取材と一緒に救援隊が午後2時の飛行機で羽田から飛び立ったというあの出来事、今まで潜在的にあった、台湾と日本の近さが行動によって表に現れたと私は思っています。このいい関係をずっと続けていってほしい。日本は、責任を持ってこの地域のリーダーであるというその使命を果たしてほしい。日本以外にはないのです。覇権主義国家の中国にこの地域のリーダーシップをとってもらっては、皆が迷惑するのです。
ですから皆さん、〝覚悟〟を決めて、この地域のリーダーを担えるような国をつくりあげていってください」
「台湾人と日本精神 日本人よ胸を張りなさい」蔡焜燦著 

日韓共鳴二千年史

2005年08月15日 | たまには読書
靖国神社に総理大臣が参拝するのに韓国が反対するのがまったくわかりません。
靖国神社には朝鮮人21.000余、台湾人28.000余の人々が合祀されています。その内、朝鮮人15名が特攻隊として戦死しています。
しかも、朝鮮においては志願兵制度でした。逆に昭和17年に国民総力朝鮮連盟が朝鮮の青年に対しても徴兵制度を要望する「朝鮮徴兵制度実施宣誓式」が朝鮮神宮前で行われています。
大東亜戦争が始まったとき、戦後韓国の国会議員にも選出された詩人の朱耀翰は「正義人道の仮面をかぶり、搾取と陰謀をほしいままにしている世界の放火魔、世界第一の偽善君子、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト君。・・・君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、パリ講和会議の序文に、人種差別撤廃文案を挿入しようとしたとき、これに反対し削除したのはどこの国であり、黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせず、アフリカ大陸で奴隷狩りを、あたかも野獣狩りをするがごとくしたのはどこの国の者であったか。・・・しかし君等の悪運は最早尽きた。・・・一億同胞・・・なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦の勇士とならんことを誓っている。」と演説しています。
大東亜戦争が始まったとき朝鮮人は朝鮮人のために戦ったのです。
「実は私は、教頭になる前に視学官をやっていました。各地を巡回していたとき、韓国では珍しい女性の小学校長を訪ねたことがあります。なかなか立派な人柄で、男性教師からも尊敬されていました。 ところがその校長は未亡人で、子供がいないのです。校長のご主人は、どんな人だったと思いますか。韓国ではあまり吹聴できませんが、実は特攻隊員として、沖縄で戦死したんです。
 そのご主人は航空隊員になると、死を覚悟していたんでしょう。出身小学校を訪ねて、校庭に桜の木を植えたんです。その桜は今は大きな樹に成長しています。未亡人は奇しくもご主人が桜を植えた学校の校長として赴任したんです。校長は言っていました。“淋しいときは桜の木の下に立つと心が安まる”と  私はこの話を日本人には知って貰いたいと思って、ソウルにいる日本の新聞記者にそれとなく知らせました。
 A新聞の記者が、早速小学校長を取材しました。校長は記者を桜の木の下に案内しました。すると記者は“日本の軍国主義が、ご主人をダマして申し訳ないことをしました”と言ったのです。いつも謙虚な校長でしたが、ダマした”と言う言葉には激怒しました。“私の主人はダマされるような人ではありません。自分の意志で出撃したのです。 ダマされたというのは、人間に対する侮辱です。取材はお断りです”と。これが私の大東亜戦争論です。」

(「日韓共鳴二千年史」 名越二荒之助編 明成社)
このように、総理大臣が靖国神社を参拝しないのは、これら朝鮮や、台湾の人々の御霊も蔑ろにしていることになりますし、韓国が自国の英霊に参拝することにどこが反対なのでしょうか。むしろ、この事を知らないで騒いでいるとしか思えません。

ブラジルの中高生からの手紙

2005年08月10日 | たまには読書
  「素晴らしい国、素晴らしい文化」    
第14回訪日使節団 生徒代表  ブルノ 大川村 マドエニョ シルバ(18才)

 私たちはいろいろな目的を持って日本に来ました。一番大事なことは、その中の日本の文化について学び、ブラジルの文化との違いを比べてみて、悪いことを忘れ、良いことをブラジルに持って帰ることです。私たちは皆さんと同じように、私たちの祖先の国・日本を守りたいです。  
 それに、私たちの国、ブラジルを守らなければいけません。私たちは“魂の兄弟”です。国も違い、毎日使う言葉も違い、習慣も違います。でも心は一つです。  
 靖国神社の問題を聞いたとき、本当に悲しくて作文を書きました。その作文には、僕の悲しい気持ちと、「なぜだ、わからない」と言う気持ちを表しました。
 靖国神社にいる魂は、日本のために命を捧げた方たちの魂です。その方たちを尊敬しなければならないと思います。僕はその方々のことを誇りに思います。  
 この交流でいろんな学校に行くことが出来ました。いろいろな高校の学生を見て、私たちと同じ年齢の生徒と話し合ってみたら、その「日本を守ろう」という気持ちが見られなかった。髪の毛の色も自然でないし、外国のことがいっぱい流行っています。それはとても残念なことだと思います。  
 日本は素晴らしい国です。素晴らしい国は必ず、素晴らしい文化を持っています。  
 日本の歴史には、戦争がいっぱいありました。原爆資料館で涙をこぼしながら、いろいろ新しいことを学びました。「75年間、広島では何も生えないだろう」と思われていました。でも、あの秋には緑が生え、その緑は日本の人々に勇気と希望を与えました。 以下略

(日本の皆様、靖国神社を守ってください 真倫子 川村編 明成社)


靖国神社に代わる追悼施設建設のニュースを聞いて、ブラジルの12才から18才の子供達が書いた手紙を一冊の本にまとめた中の一部です。
 彼らは訪日使節団として京都、奈良以外にも靖国神社、広島、江田島、日本海側から北海道まで強行日程で日本を見て回ります。そこで見た自分の祖父母の国がどのような国であったか、自分の目で見てあらためて誇りに思っていることがよく分かります。
 だからこそ、追悼施設建設などと言う事は間違っていると自分達の気持ちを手紙にしたためたのです。
 この手紙は一つ一つ気持ちがこもっていて、読んでて涙が出そうになりました。 地球の反対側の子供達がこれほど靖国神社のことを思っているのです。
 政治家は小手先だけで批判をかわすことを考えるのでなく、将来のことを考えて行動すべきです。


「南十字星に抱かれて」

2005年08月03日 | たまには読書
この本はBC級戦犯裁判で有罪とされ処刑された本間雅晴中将と山下奉文大将を中心に、日英同盟の締結から解消までと、戦後の自虐史観が国内に広まったわけが書いてあります。
BC級戦犯裁判はいかにいい加減な裁判か。裁判という名を借りた単なる復讐劇でしかなかったのがよくわかります。こんなバカげた裁判を有り難がって受け入れている日本人がいることに腹が立ちますし情けなく思います。
マニラで行われたBC級戦犯裁判で本間雅晴中将夫人の富士子さんが法廷で次のように述べられています。


「わたくしは東京からこのマニラへ、夫のために参りました。私の主人は、アメリカでは人にして人に非ずと申されているそうでありますが、私は今もなお本間雅晴の妻であることを誇りに思っております」
「わたくしには二人の子どもがおります。娘は今十九になりますが、いずれは家庭をもつことになりましょう。その時は本間雅晴のような男性とめぐり合い、結婚することを心から望んでおります。本間雅晴とはそのような人でございます」


1970年代イギリスは国民の間に悲観主義、絶望感が蔓延し「英国病」に架かっていました。1979年首相に就任したサッチャーは自国の歴史や文化、宗教に対して誇りを持てる教育へと修正し、「英国病」を克服し、自虐史観から脱却させることによって、学力の向上、少年犯罪の減少、若者の就職率の好転を実現するのである。
自虐史観がいかに国を駄目にするか、自分の国に誇りを持つことがどれだけ大切かイギリスが経験しています。



朝鮮半島での土木工事。

2005年07月30日 | たまには読書
「 昭和初年、著者が見た朝鮮半島の山河はいまだ荒れ果てていた。この地を豊かな水田に改良して米の増収をはかるため、著者は朝鮮人の人達とともに各地を渡り歩いて水利工事に取り組む。貯水池を設け、水路やトンネルを掘り、道をつくり、橋を架ける。戦時色の強まるなか、鉄道工事にも手をそめる。そして、鴨緑江に橋を架け、平安南道安州の大規模な農業開発に着手して二年後、突然の終戦。もし、あの水利事業と干拓工事が完成していたなら、現在の北朝鮮の食糧不足はかなり防ぐことができたのではなかったか・・日本が朝鮮半島で行った土木事業の実態を当事者が回顧したきわめて貴重な記録。」表紙の見返り文より

この本は18才で朝鮮半島に渡り、終戦後収容所を逃亡して日本に引き揚げて来るまでのあいだ、朝鮮半島でおこなった土木工事の貴重な記録です。
土木工事を幾らで請け負ったか、あるいは給料は幾ら払ったかなど細かなことまで書いてあります。朝鮮半島の近代化のために日本政府はお金をつぎ込んでいました。その遺産によって今の韓国が有るのです。
今、反日の人達は日本が本当に悪いことしかしてなかったと言うなら、朝鮮総督府の建物のように当時造った橋、鉄道、 道路、農地すべて壊して韓国人で造り替えるべきです。こういう事をしていたのをもっと知るべきです。
また、終戦後日本に帰ってくるまでの事を詳しく書いてあるので、当時同じように朝鮮半島や満州から逃げてきた人達がどのような事にあったかが少しでもわかると思います。



江原道平安橋の竣工式で恒例の「三代渡り初め」。祖父母とその子夫婦、孫夫婦の三代の夫婦が朝鮮の正装で揃った珍しい写真(昭和9年12月)