学生時代、港区の愛宕山に住んでいた時期がある。
(この話はいずれ後日にでもします)
当時は貧乏だったこともあるが、よく歩いたものだ。
渋谷に行くときも歩いた。
愛宕山の中腹にある家を出て、長く急な山の斜面の階段を降りて、通りを渡ってホテルオークラの脇を抜けた。少し曲がった裏通りの先にあるアメリカ大使館を通り抜ければ六本木だ。
ぼくが若い頃は、アメリカ大使館から六本木に抜ける辺りに土の見える空き地があり、雑草の生えた土手から生えた木で蝉が鳴いていた。
ずっと昔、阿久悠さんとすれ違ったのは、六本木通りを西麻布に向かっう路上だった。
ぼくの友人の経営するショットバーの前を過ぎた辺りだった。
四角い大きなアタッシュケースを持ち、縦縞のダブルを来た眼光の鋭い人だった。
背が低く顔の大きな人で人を威圧するような雰囲気のある方だった。
都会の蝉の鳴き声を聞くと、その暑かった六本木通りを思い出す。
その外見とは異なり、数々の素晴らしい作品は燦然と昭和歌謡史に足跡を残し、多くの人の記憶に残り続ける。
ご冥福をお祈り申し上げます。
R-D1 Nokton35mmF1.2
(この話はいずれ後日にでもします)
当時は貧乏だったこともあるが、よく歩いたものだ。
渋谷に行くときも歩いた。
愛宕山の中腹にある家を出て、長く急な山の斜面の階段を降りて、通りを渡ってホテルオークラの脇を抜けた。少し曲がった裏通りの先にあるアメリカ大使館を通り抜ければ六本木だ。
ぼくが若い頃は、アメリカ大使館から六本木に抜ける辺りに土の見える空き地があり、雑草の生えた土手から生えた木で蝉が鳴いていた。
ずっと昔、阿久悠さんとすれ違ったのは、六本木通りを西麻布に向かっう路上だった。
ぼくの友人の経営するショットバーの前を過ぎた辺りだった。
四角い大きなアタッシュケースを持ち、縦縞のダブルを来た眼光の鋭い人だった。
背が低く顔の大きな人で人を威圧するような雰囲気のある方だった。
都会の蝉の鳴き声を聞くと、その暑かった六本木通りを思い出す。
その外見とは異なり、数々の素晴らしい作品は燦然と昭和歌謡史に足跡を残し、多くの人の記憶に残り続ける。
ご冥福をお祈り申し上げます。
R-D1 Nokton35mmF1.2
ぼくも若い頃はぜんぜん注目してませんでした。
顔もいかついし、言葉もきつい。とにかく顔がでかい人でした。その頃、西田俊之さんがぼくの勤務する医学部でロケをして、この人も顔が大きいなあと感心しました。同時期に細川俊之さんにも会いましたが、この人も顔が大きかった。顔の話題ばかりですね。^^;