浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2020-05-31 00:20:55 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第四 八つの詩句の章 

               10、死ぬよりも前に


851、未来を願い求めることなく、
    過去を思い出して憂えることもない。
    〔現在〕感官で触れる諸々の対象について
    遠ざかり離れることを観じ、
    諸々の偏見に誘われることがない。

852、(貪欲などから)遠ざかり、偽ることなく、
    貪り求めることなく、慳(ものおし)みせず、
    傲慢にならず、嫌われず、両舌(かげぐち)を
    事としない。

853、快いものに耽溺せず、また高慢にならず、
    柔和で、弁舌さわやかに、信ずることなく、
    なにかを嫌うこともない。



明来闇去

2020-05-30 00:26:07 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第四 八つの詩句の章 

                10、死ぬよりも前に


848、「どのように見、どのような戒律をたもつ人が
    『安らかであるか』と
    言われるのか?
    ゴータマ(ブッダ)よ。
    おたずねしますが、
    その最上の人のことをわたくしに説いてください。」

849、師は答えた、「死ぬよりも前に、妄執を離れ、
    過去にこだわることなく、
    現在においてもくよくよと思いめぐらすことがないならば、
    かれは(未来に関しても)特に思いわずらうことがない。

850、かの聖者は、怒らず、おののかず、誇らず、
    あとで後悔するような悪い行いをなさず、
    よく思慮して語り、そわそわすることなく、
    ことばを慎む。



明来闇去

2020-05-29 00:16:14 | 明来闇去

 ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

                九、マーガンディヤ


844、家を捨てて、住所を定めずにさまよい、
    村の中で親交を結ぶことのない聖者は、
    諸々の欲望を離れ、未来に望みをかけることなく、
    人々に対して異論を立てて談論をしてはならない。

845、竜(修業完成者)は諸々の(偏見)を離れて
    世間を遍歴するのであるから、
    それらに固執して論争をしてはならない。
    たとえば汚れから生える、茎に棘のある蓮が、
    水にも泥にも汚されないように、
    そのように聖者は平安を説く者であって、貪ることなく、
    欲望にも世間にも汚されることがない。

846、ヴェーダの達人は、見解についても、思想についても、
    慢心に至ることがない。
    かれの本性はそのようなものではないからである。
    かれは宗教的行為によっても導かれないし、
    また伝統的な学問によっても導かれない。
    かれは執着の巣窟に導き入れられることがない。

847、想いを離れた人には、結ぶ縛めが存在しない。
    智慧によって解脱した人には、迷いが存在しない。
    想いを偏見とに固執した人々は、互いに衝突しながら、
    世の中をうろつく。」



明来闇去

2020-05-28 02:00:03 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第四 八つの詩句の章 

                九、マーガンディヤ


841、師は答えた、
    「マーガンディヤよ。あなたは(自分の)
    教義にもとづいて尋ね求めるものだから、
    執着したことがらについて迷妄に陥ったのです。
    わなたはこの(内心の平安)について
    微かな想いをさえもいだいていない。
    だから、あなたは(わたくしの説を)
    『ばかばかしい』と見なすのです。

842、『等しい』とか『すぐれている』とか、
    あるいは『劣っている』とか
    考える人、―――かれはその思いによって
    論争するであろう。
    しかしそれらの三種に関して動揺しない人、―――
    かれには『等しい』とか、『すぐれている』とか、
    (あるいは『劣っている』とか)
    いう思いは存在しない。

843、そのバラモンはどうして『(わが説は)真実である』と
    論ずるであろうか。
    またかれは『(汝の説は)虚偽である』といって
    誰と論争するであろうか?
    『等しい』とか『等しくない』とかいうことのなくなった人は、
    誰に論争を挑むであろうか。



明来闇去

2020-05-27 00:22:32 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

                九、マーガンディヤ


838、マーガンディヤがいった、
    「聖者さま。あなたは考えて構成された偏見の定説を
    固執することなしに、〈内心の安らぎ〉ということを
    お説きになりますが、そのことわりを諸々の賢人は
    どのように説いておられるのでしょうか?」

839、師は答えた、マーガンディヤよ。
    『教義によって、学問によって、知識によって、
    戒律や道徳によって
    清らかなることはできる』とは、わたくしは説かない。
    『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、
    戒律や道徳を守らないでも、
    清らかなることができる』、とも説かない。
    それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、
    平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。
    (これが内心の平安である。)」

840、マーガンディヤがいった、
    「もしも、『教義によっても、学問によっても、
    知識によっても、戒律や道徳によっても
    清らかになることができない』と説き、
    また『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、
    戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができない』と
    説くのであれば、それはばかばかしい教えである、と
    わたくしは考えます。
    教義によって清らかになることができる、と或る人々は考えます。」



明来闇去

2020-05-26 00:31:19 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第四 八つの詩句の章 

                九、マーガンディヤ


835、(師(ブッダ)は語った)、
    「われは(昔さとりを開こうとした時に)、
    愛執と嫌悪と貪欲(という三人の悪女)を見ても、
    かれらと婬欲の交わりをしたいという欲望さえも
    起こらなかった。
    糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何ものなのだろう。
    わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。」

836、(マーガンディヤがいった)、
    「もしもあなたが、多くの王者が求めた女、
    このような宝、が欲しくないならば、
    あなたはどのような見解を、どのような戒律・道徳・生活法を、
    またどのような生存状態に生まれかわることを説くのですか?」

837、師は答えた、「マーガンディヤよ。
    『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。
    諸々の事物に対する執着であると確かに知って、
    諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、
    省察しつつ内心の安らぎわたくしは見た。」



明来闇去

2020-05-25 00:20:07 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

                 八、パス―ラ


833、またかれらは対立を離脱して行い、
    一つの見解を〔他の〕諸々の偏見と
    抗争させない人々なのであるが、
    かれらに対して、あなたは何を得ようとするのか?
    パスーラよ。かれらの間で「最上のもの」として
    固執されたものは、ここには存在しない。

834、さてあなたは(「自分こそ勝利を得るであろう」と)
    思いをめぐらし、心中にもろもろの偏見を考えて、
    邪悪を掃い除いた人(ブッダ)と論争しようと、
    やって来られたが、あなたも実にそれだけならば、
    それを実現することは、とてもできない。



明来闇去

2020-05-24 00:25:24 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

                 八、パス―ラ


830、心の高ぶりというものは、かれの害われる場所である。
    しかるにかれは慢心・増上慢心の言をなす。
    このことわりを見て、論争してはならない。
    諸々の熟達せる人々は、「それによって清浄が達成される」
    とは説かないからである。

831、たとえば王に養われてきた勇士が、相手の勇士を求めて、
    喚声を挙げて進んでゆくようなものである。
    勇士よ。かの(汝にふさわしい、
    真理に達した人の)いるところに到れ。
    相手として戦うべきものは、あらかじめ存在しないのである。

832、(特殊な)偏見を固執して論争し、
     「これのみが真理である」と言う人々がいるならば、
    汝はかれらに言え、
    ―――「論争が起こっても、汝と対論する者はここにいない」と。



明来闇去

2020-05-23 00:28:20 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

                 八、パス―ラ


827、諸々の審判者がかれの所論に対し
    「汝の議論は敗北した。論破された」というと、
    論争に敗北した者は嘆き悲しみ、
    「かれはわたしを打ち負かした」といって悲泣する。

828、これらの論争が諸々の修行者の間に起こると、
    これらの人々には得意と失意とがある。
    ひとはこれを見て論争をやめるべきである。
    称賛を得ること以外には他に、
    なんの役にもたたないからである。

829、あるいはまた集会の中で議論を述べて、
    それについて称賛されると、
    心の中に期待したような利益を得て、
    かれはそのために喜んで、心が高ぶる。



明来闇去

2020-05-22 00:37:51 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第四 八つの詩句の章 

                 八、パス―ラ


824、かれらは、「ここにのみ清らかさがある」と言い張って、
    他の諸々の教えは清らかでないと説く。
    「自分が依拠しているもののみ善である」と説きながら、
    それぞれ別々の真理に固執している。

825、かれらは論議を欲し、集会に突入し、
    相互に他人を〈愚者である〉と烙印し、
    他人(師など)をかさに着て、
    論争を交わす。
    ―――みずから真理に達した者であると称しながら、
    自分が称賛されるようにと望んで。

826、集会の中で論争に参加した者は、
    称賛されようと欲して、おずおずしている。
    そうして敗北してはうちしおれ、(論敵の)
    あらさがしをしているのに、
    (他人から)論難されると、怒る。



明来闇去

2020-05-21 00:23:47 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第四 八つの詩句の章 

               七、ティッサ・メッテイヤ


820、独りでいる修行をまもっていたときには
    一般に賢者と認められていた人でも、
    もしも婬欲の交わりに耽ったならば、愚者のように悩む。

821、聖者はこの世で前後にこの災いのあることを知り、
    独りでいる修業を堅くまもれ。
    婬欲の交わりに耽ってはならない。

822、(俗事から)離れて独り居ることを学べ。
    これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。
    (しかし)これだけで『自分が最上の者だ』と
    考えてはならない。
    ―――かれは安らぎに近づいているのだが。

823、聖者は諸々の欲望を顧みることなく、
    それを離れて修業し、激流を渡りおわっているので、
    諸々の要望に束縛されている人々はかれを羨むのである。」



明来闇去

2020-05-20 01:11:48 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
     
               第四 八つの詩句の章 

               七、ティッサ・メッテイヤ


817、かつてかれのもっていた名誉も名声も、
    すべて失われる。
    このことわりをも見たならば、
    婬欲の交わりを断つことを学べ。

818、かれは諸々の(欲の)想いに囚われて、
    困窮者のように考えこむ。
    このような人は、他人からのとどろく
    非難の声を聞いて恥じ入ってしまう。

819、そうして他人に詰(なじ)られたときには虚言に陥る。
    すなわち〔自らを傷つける〕刃(悪行)をつくるのである。
    これがかれの大きな難所である。



明来闇去

2020-05-19 00:28:22 | 明来闇去

 ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~<
     
             第四 八つの詩句の章 

            七、ティッサ・メッテイヤ


813、邪悪を掃い除いた人は、観たり学んだり思索した
    どんなことでも特に執着して考えることがない。
    かれは他のものによって清らかになろうとは望まない。
    かれは貪らず、また嫌うこともない。

814、ティッサ・メッテイヤさんがいった、―――
    「きみよ。婬欲の交わりに耽る者の破滅を説いて下さい。
    あなたの教えを聞いて、
    われらも独り離れて住むことを学びましょう。」

815、師(ブッダ)は答えた、「メッテイヤよ。
    婬欲の交わりに耽る者は教えを失い、邪な行いをする。
    これはかれのうちにある卑しいことがらである。

816、かつては独りで暮らしていたのに、
    のちに婬欲の交わりに耽る人は、
    車が道からはずれたようなものである。
    世の人々はかれを『卑しい』と呼び、また『凡夫』と呼ぶ。


下記URLに恩師「長尾弘」先生読誦の「父母恩重経」を投稿しております。
https://www.facebook.com/37sun4970/videos/169408024477143/
皆様の訪問をお待ちしております。



明来闇去

2020-05-18 00:25:24 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

                   六、老い


810、遠ざかり退いて行ずる修行者は、
    独り離れた座所に親しみ近づく。
    迷いの生存の領域のうちに自己を現わさないのが、
    かれにふさわしいことであるといわれる。

811、聖者はなにものにもとどこおることなく、
    愛することもなく、憎むこともない。
    悲しみも慳(ものおし)みもかれを汚すことがない。
    譬えば(蓮の)葉の上の水が汚されないようなものである。

812、たとえば蓮の葉の上の水滴、
    あるいは蓮華の上の水が汚されないように、
    それと同じく聖者は、
    見たり学んだり思索したどんなことについても、
    汚されることがない。


下記URLに恩師「長尾弘」先生読誦の「父母恩重経」を投稿しております。
https://www.facebook.com/37sun4970/videos/169408024477143/
是非訪問下さい。



明来闇去

2020-05-17 02:08:58 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
  
               第四 八つの詩句の章 

                   六、老い


807、夢の中で会った人でも、目がさめたならば、
    もはやかれを見ることができないない。
    それと同じく、愛した人でも死んでこの世を去ったならば、
    もはや再び見ることができない。

808、「何の誰それ」という名で呼ばれ、かつては見られ、
    また聞かれた人でも、死んでしまえば、
    ただ名が残って伝えられるだけである。

809、わがものとして執着したものを貪り求める人々は、
    憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。
    それ故に諸々の聖者は、
    所有を捨てて行って安穏を見たのである。