浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2020-03-31 00:28:54 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」の書「明来闇去」です。
この書は日展書道の部で最優秀賞を授与されたものです。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
     
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ


711、聖者は、村に行ったならば、
    家々を荒々しくガサツに廻ってはならない。
    話をするな。
    わざわざ策して食を求めることばを発してはならない。

712、『(施しの食物を)得たのは善かった』
    『得なかったのもまた善かった』と思って、
    全き人はいずれの場合にも平然として還ってくる。
    あたかも(果実をもとめて)樹のもとに赴いた人が、
    (果実を得ても得なくても、
    平然として)帰ってくるようなものである。

713、かれは鉢を手にして歩き廻り、
    啞者と思われるようにするのだ。
    施物が少なかったからとて軽んじてはならぬ。
    施してくれる人を侮ってはならない。


明来闇去

2020-03-31 00:28:54 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」が学びの友の方から贈呈された白衣の着物を
身につけられてお写真を撮られたものでありますが、ご覧のように腰の辺りに
白色の霞のようなものがかかっています。
不思議写真の一枚です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
     
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ


708、その聖者は托鉢にまわり歩いてから、
    林のほとりにおもむき、
    樹の根もとにとどまって、
       座につくべきである。

709、かれは思慮深く、瞑想に専念し、
    林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、
    大いにみずから満足すべきである。

710、ついで夜が明けたならば、
    村里のほとりに去るべきである。
    (信徒から)招待を受けても、
    また村から食物をもらってきても、
    決して喜んではならない。


明来闇去

2020-03-30 00:29:39 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生の隠し芸「皿回し」です。
浄心庵「心の道場」にて。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ


705、『かれらもわたくしと同様であり、
    わたくしもかれらと同様である』と思って、
    我が身に引き比べて、
    (生きものを)殺してはならぬ。
    また他人をして殺させてはならぬ。

706、凡夫は欲望と貪りとに執着しているが、
    眼ある人はそれを捨てて道を歩め。
    この(世の)地獄を超えよ。

707、腹を減らして、食物を節し、小欲であって、
    貪ることなかれ。
    かれは貪り欲望に厭きて、無欲であり、
    安らぎに帰している。


明来闇去

2020-03-29 00:32:07 | 明来闇去

添付のお写真はインドのクシナガラに建立されている
お釈迦様の涅槃堂にて恩師「長尾弘」先生がお祈りされた時に
空中からヒラヒラと舞い落ちた金箔です。

手の平に乗せてお示しになられているのは恩師「長尾弘」先生ご自身です。
この涅槃堂を恩師は八回ほどご訪問になられておられますが、
その度毎に常に金粉・金箔が沢山降ってきます。

この金粉・金箔はいつまでも消えてなくなりません。
純度百パーセントの金です。
(学びの友が金の純度を調べたそうです。
   ご講演会で恩師がそのようにおっしゃっていました。)


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ


702、村にあっては、罵られても、敬礼されても、
    平然とした態度で臨め。
    (罵られても)こころに怒らないように注意し、
    (敬礼されても)冷静に、高ぶらずにふるまえ。

703、たとい園林のうちにあっても、
    火災の燃え立つように種々のものが現れ出でくる。
    婦女は聖者を誘惑する。
    婦女をしてかれを誘惑させるな。

704、婬欲のことがらを離れ、
    さまざまの愛欲をすてて、弱いものでも、
    強いものでも、諸々の生きものに対して、
    敵対することもなく、愛着することもない。


明来闇去

2020-03-28 00:37:22 | 明来闇去

添付のお写真はお釈迦様の終焉の地インドのクシナガラに建立されている涅槃堂です。
この中にお釈迦様の涅槃像が安置されており、恩師「長尾弘」先生がこの涅槃像の前で
お祈りすると空中から金粉・金箔がたくさん舞い降ります。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

              序文の詩句は終わった。


699、〔ナーラカは尊師にいった〕、
    「アシタの告げたこのことばは
    そのとおりであるということを了解しました。
    故に、ゴータマよ、一切の道理の通達者
    (ブッダ)であるあなたにおたずねします。

700、わたくしは出家の身となり、
    托鉢の行を実践しようと願っているのですが、
    おたずねします。
    聖者よ、聖者の境地、最上の境地を説いて下さい。」

701、師(ブッダ)はいわれた、
    「わたくしはあなたに聖者の境地を教えてあげよう。
    これは行いがたく、成就し難いものである。
    さあ、それをあなたに説いてあげよう。
    しっかりとして、堅固であれ。



明来闇去

2020-03-27 00:23:05 | 明来闇去

添付のお写真はお釈迦様の終焉の地インドのクシナガラに建立されている
涅槃堂の中に安置されているお釈迦様の涅槃像です。
恩師「長尾弘」先生がこの涅槃像でお祈りすると必ず金粉・金箔が空中から
ヒラヒラと舞い降ります。
ご覧のようにお釈迦様の衣の上に金箔が舞い降りているのが視認できるかと思います。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ


697、その聖者は、人のためをはかる心があり、
    未来における最上の清らかな境地を予見していた。
    その聖者に教えられて、
    かねて諸々の善根を積んでいたナーカラは、
    勝利者(ブッダ)を待望しつつ、
    みずからの感官をつつしみまもって暮らしていた。

698、〈勝れた勝利者が法輪をまわしたもう〉との噂を聞き、
    アシタという(仙人)の教えのとおりになったときに、
    出かけて行って、最上の人である仙人(ブッダ)に
    会って信仰の心を起こし、
    いみじき聖者に最上の聖者の境地をたずねた。



明来闇去

2020-03-26 00:26:29 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生の書「愛」です。


恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
     
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ


694、ところが、この世におけるわたくしの余命は
    いくばくもありません。
    (この方が悟りを開かれるまえに)中途で
    死んでしまうでしょう。
    たくしは比なき力ある人の教えを聞かないでしょう。
    だから、わたくしは、悩み、悲嘆し、苦しんでいるのです。」

695、かの清らかな修行者(アシタ仙人)はシャカ族の
    人々に大きな喜びを起こさせて、宮廷から去っていった。
    かれは自分の甥(ナーラカ)をあわれんで、
    比なき力ある人の教えに従うようにすすめた。―――

696、「もしもお前が後に『目覚めた人あり、
    さとりを開いて、真理の道を歩む』
    という声を聞くならば、そのときこそこへ行って
    かれの教えをたずね、その師のもとで清らかな行いを行え。」


明来闇去

2020-03-25 00:13:14 | 明来闇去

添付のお写真は「モーセの御足を慕って」の恩師「長尾弘」先生の
旅でエジプトからシナイ半島を渡りヨルダンに入って
モーセの終焉の地「ネボ山」に建立されているモーセの
教会を見学して後、カイロ国際空港へバスで移動していた時、
バスの車窓より天空にご覧のようなアラビア語を
この旅に同行されていた学びの友が見られ、
カメラに収められました。
意味は「何かが出現する」との意味だそうです。
キリスト教ではイエス様の再臨を伝道の大切な一つとして
説かれていますよね。
このことに関係することかな(?)とも思ったりもしています。
お写真は恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」
にも紹介されています。(261ページ)


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

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691、ときに仙人は自分の行く末を憶うて、ふさぎこみ、
    涙を流した。
    仙人が泣くのを見て、シャカ族の人々は言った、―――
    「われらの王子に障りがあるのでしょうか?」

692、シャカ族の人々が憂いているのを見て、仙人は言った、―――
    「わたくしは、王子に不吉の相があるのを
    思いつづけているのではありません。
    またかれらに障りはないでしょう。
    この方は凡庸(ぼんよう)ではありません。
    よく注意してあげてください。

693、この王子は最高のさとりに達するでしょう。
    この人は最上の清浄を見、多くの人々のためをはかり、
    あわれむが故に、法輪をまわすでしょう。
    この方の清らかな行いはひろく弘(ひろ)まるでしょう。


明来闇去

2020-03-24 00:43:26 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生の書「心」です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

688、神々は、多くの骨ある千の円輪ある傘蓋
    (さんがい)を空中にかざした。
    また黄金の柄のついた払子(ほっす)で
    〔身体を〕上下に扇いだ。
    しかし払子や傘蓋を手にとっている者どもは
    見えなかった。

689、カンハシリ(アシタ)という結髪の仙人は、
    こころ喜び、嬉しくなって、その児を抱きかかえた。
    ―――その児は、頭の上に白い傘をかざされて
    白色がかった毛布の中にいて、
    黄金の飾りのようであった。

690、相好と呪文(ヴェーダ)に通暁
    (つうぎょう)しているかれは、
    シャカ族の牡牛(のような立派な児)を抱きとって、
    (特相を)検(しら)べたが、心に歓喜して声を挙げた。
    ―――「これは無上の方です。
    人間のうちで最上の人です。」


明来闇去

2020-03-23 00:17:06 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生が少年を舞台で
癒しをされているのを学びの友の方がカメラに
収めたものですが、
ご覧のように少年が着ていた衣類は視認できますが、
少年の肉体は消えてしまっています。
幽体(肉体)離脱なのでしょうか。
また、飾ってある花々も歓喜に躍動しています。
不思議(奇跡)写真の一枚です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

 
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

685、仙人は(神々の)その声を聞いて急いで
    (人間世界に)降りてきた。
    そのときスッドーダナ王の宮殿に近づいて、そこに坐して、
    シャカ族の人々に次のようにいった、
    「王子はどこにいますか。わたくしもまた会いたい。」

686、そこで諸々のシャカ族の人々は、その児を、
    アシタという(仙人)に見せた。
    ―――溶炉で巧みな金工が鍛えた黄金のようにきらめき
    幸福に光輝く尊い顔の児を。

687、火炎のように光り輝き、
    空行く星王(月)のように清らかで、
    雲を離れて照る秋の太陽のように輝く児を見て、
    歓喜を生じ、昂(たか)まる喜びでわくわくした。



明来闇去

2020-03-22 00:28:39 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
                第三 大なる章 

                11、ナーラカ

682、かれらは叫び、歌い、楽器を奏で、手を打ち、
    踊っています。
    須弥山(しゆみせん)に頂きに住まわれるあなたがたに、
    わたくしはおたずねします。
    尊き方よ、わたくしの疑いを速やかに除いてください。」

683、(神々は答えて言った)、
     「無比のみごとな宝であるかのボーディサッタ
    (菩薩、未来の仏)は、
    もろびとの利益安楽のために人間世界に生まれ給うたのです、
    ―――シャカ族の村に、ルンビニーの聚落に。
    だからわれらは嬉しくなって、非常に喜んでいるのです。

684、生きとし生ける者の最上者、最高の人、牡牛のような人、
    生きとし生けるもののうちの最高の人(ブッダ)は、
    やがて〈仙人(の集まる所)〉と
    いう名の林で(法)輪を回転するであろう。
    ―――猛き獅子が百獣にうち勝って吼えるように。」


明来闇去

2020-03-21 01:02:46 | 明来闇去

添付のお写真はイスラエルに建立されている
聖墳墓教会内に安置されている聖母マリア様です。
恩師「長尾弘」先生がこの聖母マリア像に
光を送られて、そして心の中で対話をされた時、
聖母マリア様が涙を流されました。

聖墳墓教会はその昔、イエス様が磔刑に処せられた
場所ゴルゴダの丘に建っていると云われていましたが、
考古学発見が進むにつれて正確な磔刑場は今では
この場所ではないと云われています。

この聖母マリア様の像は向かって
イエス様の磔刑に処せられたものを模倣して
建てられた十字架の右横に飾りケースに
入れられて安置されています。

お写真ですからあまりクリアではありませんが、
聖母マリア様の瞼のあたりをよくご覧下さい、
涙で瞳が潤んでいるのが視認できるかと思います。

勿論、この像の材質は現地の石灰岩か
その類の物で造られています。
お写真は恩師のご著書
「真理を求める愚か者の独り言」にも紹介されて
います。(172ページ)


明来闇去

2020-03-20 00:53:52 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

                  〔序〕


679、よろこび楽しんでいて清らかな衣をまとう
    三十人の神々の群れと帝釈天とが、恭(うやうや)しく
    衣をとって極めて讃嘆しているのを、
    アシタ仙は日中の休息のときに見た。

680、こころ喜び踊りあがっている神々を見て、
    ここに仙人は恭しくこのことを問うた、
    「神々の群れが極めて満悦しているのは何故ですか?
    どうしたわけでかれらは衣をとってそれを
    振り廻しているのですか?

681、たとえ阿修羅との戦いがあって、
    神々が勝ち阿修羅が敗けたときにも、
    そのように身の毛の振い立つほど喜ぶことは
    ありませんでした。
    どんな稀なできごとを見て神々は喜んでいるのですか?



明来闇去

2020-03-19 01:04:42 | 明来闇去

添付のお写真は「モーセの御足を慕って」の旅を終えて、
恩師(故)長尾弘先生を始めとし多くの学びの友の方たちとカイロ国際空港へ
バスで向かう際、学びの友の方が天空にご覧のように十字架が
出ているのをカメラに収めたものです。
このお写真は恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」の
挿絵としても紹介されています。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
                第三 大なる章 

               10、コーカーリヤ

675、そこには黒犬や黒烏の群や野狐がいて、
    泣きさけぶかれらを貪り食うて飽くことがない。
    また鷹や黒色ならぬ鳥どもまでが啄(ついば)む。

676、罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、
    実に悲惨である。
    だから人は、この世において余生のあるうちに
    なすべきことをなして、
    忽(ゆるが)せにしてはならない。

677、紅蓮地獄に運び去られた者(の寿命の年数)は、
    荷車につんだ胡麻の数ほどある、
    と諸々の智者は計算した。
    すなわちそれは五千兆年とさらに
    一千万の千二百倍の年である。

678、ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど永く続こうとも、
    その間は地獄にとどまらねばならない。
    それ故に、ひとは清く、温良で、立派な美徳をめざして、
    常にことばをつつしむべきである。



明来闇去

2020-03-18 00:52:07 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

 
               第三 大なる章 

               10、コーカーリヤ

672、また蛆虫(うじむし)の棲む水釜があり、
    罪を犯した人はその中で煮られる。
    出ようにも、つかむべき縁がない。
    その釜の上部は内側に彎曲(わんきょく)していて、
    まわりが全部一様だからである。

673、また鋭い剣の葉のついた林があり、
    (地獄に堕ちた者どもが)
    その中に入ると、手足を切断される。
    (地獄の獄卒どもは)
    鉤を引っかけて舌をとらえ、引っ張りまわし、
    引っ張り廻しては叩きつける。

674、また次に(地獄に堕ちた者どもは)、
    越え難いヴェータラニー河に至る。
    その河の流れは鋭利な剃刀の刃である。
    愚かな輩は、悪いことをして罪を犯しては、
    そこに陥る。