浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2019-09-29 23:13:23 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
              第二 小なる章 

              二、 なまぐさ

248、 これら(生けるものども)に対して貪り求め、
     敵対して殺し、常に(害を)なすことにつとめる人々は、
     死んでからは暗黒に入り、
     頭を逆さまにして地獄へ落ちる、
     ―――これがなまぐさである。
     肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

249、 魚肉・獣肉(を食わないこと)も、
     断食も、裸体も、剃髪も、塵垢にまみれることも、
     粗い鹿の皮(を着ることも)、
     火神への献供につとめることも、
     あるいはまた世の中でなされるような、
     不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、
     季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、
     その人を清めることができない。

250、 通路(六つの機官)を守り、機官にうち勝って行動せよ。
     理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ、
     執着を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は、
     見聞したことに汚されない。」


明来闇去

2019-09-28 23:46:00 | 明来闇去

添付のお写真は今を去ること二千五百有余年前にお釈迦様が好んで衆生に
「法」をお説きになられ、瞑想されたと言われているたインドの霊鷲山(りょうじゅせん)
の山頂の同じ場所で恩師「長尾弘」先生が瞑想されているとことです。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
              第二 小なる章 

              二、 なまぐさ

245、怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、
    極端の高慢、不良の徒と交わること、
    ―――これがなまぐさである。
    肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

246、この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し、密告をし、
    法定で偽証し、正義を装い、邪悪を犯す最も劣等な人々、
    ―――これがなまぐさである。
    肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

247、この世でほしいままに生ものを殺し、他人のものを奪って、
    かえってかれらを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、
    粗暴で無礼な人々、
    ―――これがなまぐさである。
    肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

 

明来闇去

2019-09-27 23:48:42 | 明来闇去

 ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~


              第二 小なる章 

              二、 なまぐさ

242、「生物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、
     嘘をつくこと、詐欺、だますこと、邪曲を学習すること、
     他人の妻に親近すること、
     ―――これがなまぐさである。
     肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

243、この世において欲望を制することなく、
    美味を貪り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ、虚無論をいだき、
    不正の行いないをし、頑迷な人々、
    ―――これがなまぐさである。
    肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

244、粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、
    極めて傲慢であり、ものおしみする性で、
    なんびとにも与えない人々、
    ―――これがなまぐさである。
    肉食することが〈なまぐさい〉のではない。



明来闇去

2019-09-26 23:21:51 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
               第二 小なる章

 
              二、 なまぐさ

239、「稷(きび)・ディングラカ・チーナカ豆・野菜・球根・
     蔓の実を善き人々から正しいしかたで得て食べながら、
     欲を貪らず、偽りを語らない。

240、 よく炊がれ、よく調理されて、
     他人から与えられた純粋で美味な米飯の食物を
     舌鼓うって食べる人は、なまぐさを食うのである。
     カッサバよ。

241、 梵天の親族(バラモン)であるあなたは、
     おいしく料理された鳥肉とともに米飯を味わって食べながら、
     しかも(わたくしはなまぐさものを許さない)と称している。
     カッサバよ、わたくしはあなたにこの意味を尋ねます。
     あなたの言う〈なまぐさ〉とはどんなものなのですか。」


明来闇去

2019-09-26 02:28:34 | 明来闇去

添付のお写真は大阪岸和田に建立されている浄心庵の正門に
朝日が差し込んでいる様子をカメラにと収めたものです。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
             第二 小なる章 
 
       
               一、 宝

237、われら、ここに集まった諸々の生きものは、
    地上のものでも、空中のものでも、
    神々と人間とのつかえるこのように完成した
    〈教え〉を礼拝しよう。
    幸せであれ。

238、われら、ここに集まった諸々の生きものは、
    地上のものでも、空中のものでも、
    神々と人間とのつかえるこのように完成した
    〈つどい〉を礼拝しよう。
    幸せであれ。


 

明来闇去

2019-09-24 23:46:35 | 明来闇去

添付のお写真はお釈迦様のご生誕地ルンビニにある法華ホテルの中庭に安置された天上天下の
ポーズをとられたお釈迦様の像を前にして「法」を説かれている恩師「長尾弘」先生です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

 
             第二 小なる章

           
             一、 宝

234、勝れたものを知り、勝れたものを与え、
    勝れたものをもたらす勝れた無上の人が、
    妙なる教えを説き給うた。
    この勝れた宝が〈目覚めた人〉(ブッダ)のうちに存する
    この真理によって幸せであれ。

235、古い(業)はすでに尽き、新しい(業)はもはや生じない。
    その心は未来の生存に執着することなく、
    種子をほろぼし、それが生長することを欲しないそれらの賢者は、
    灯火のように滅びる。
    この勝れた宝が〈つどい〉のうちに存する。
    この真理によって幸せであれ。

236、われら、ここに集まった諸々の生きものは、
    地上のものでも、空中のものでも、
    神々と人間とのつかえるこのように完成した
    〈目覚めた人〉(ブッダ)を礼拝しよう。
    幸せであれ。


                 

明来闇去

2019-09-23 23:47:08 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~


                 第二 小なる章          
 
                   一、 宝

231、〔i〕 自身を実在とみなす見解と
    〔ii〕 疑いと
    〔iii〕外面的な戒律・誓いという三つのことがらが
     少しでも存在するならば、かれが知見を成就するとともに、
    それらは捨てられてしまう。
    かれは四つの悪い場所から離れ、
    また六つの重罪をつくるものとはなり得ない。
    このすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。
    この真理によって幸せであれ。

232、またかれが身体によって、ことばによって、
    またはこころの中で、
    たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、
    かれはそれを隠すことができない。
    隠すことができないということを、
    究極の境地を見た人は説き給うた。
    そのすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。
    この真理によって幸せであれ。

233、夏の月の初めの暑さに林の茂みでは枝が花を咲かせたように、
    それに誓うべき、安らぎに赴く妙なる教えを
    (目覚めた人、ブッダが)説き給うた、
    ―――ためになる最高のことがらのために。
    このすぐれた宝が目覚めた人(ブッダ)のうちに存する。
    この真理によって幸せであれ。



明来闇去

2019-09-23 00:50:32 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がお釈迦様のご生誕地ネパールの
ルンビニを訪問された時、購入された木彫りの釈尊像を磨かれているところです。
浄心庵「心の道場」にて。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
             第二 小なる章 

          
             一、 宝

228、ゴータマ(ブッダ)の教えにもとづいて、
    堅固な心をもってよく努力し、欲望がなく、
    不死に没入して、達すべき境地に達し、代償なくして得て、
    平安の楽しみを享けている。
    この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。
    この真理によって幸せであれ。

229、城門の外に立つ柱が地の中に打ち込まれていると、
    四方からの風にも揺るがないように、
    諸々の聖なる真理を観察して見る立派な人は、
    これに譬えられるべきである、とわれは言う。
    この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。
    この真理によって幸せであれ。

230、深い智慧ある人(ブッダ)みごとに説き給うた
    諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々は、
    たとい大いになおざりに陥ることがあっても、
    第八の生存を受けることはない。
    この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。
    この真理によって幸せであれ。



明来闇去

2019-09-21 23:12:12 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~


             第二 小なる章

          
              一、 宝

225、心を統一したサキヤムニは、
    (煩悩の)消滅、・離欲・不死・勝れたものに到達された、
    ―――その理法と等しいものは何も存在しない。
    このすぐれた宝は理法のうちに存する。
    この真理によって幸せであれ。

226、最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、
    ひとびとは「〔さとりに向かって〕間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。
    この〈心の安定〉と等しいものはほかに存在しない。
    このすぐれた宝は理法の(教え)のうちに存する。
    この真理によって幸せであれ。

227、善人のほめたたえる八輩の人はこれらの四双の人である。
    かれらは幸せな人(ブッダ)の弟子であり、
    施与を受けるべきである。
    かれらに施したならば、大いなる果報をもたらす。
    この勝れた宝は〈つどい〉のうちにある。
    この真理によって幸せであれ。


明来闇去

2019-09-20 23:30:18 | 明来闇去

添付のお写真はその昔、モーセが出エジプト記でお馴染みのエジプトで奴隷として
使われていたユダヤの同胞約四十万人を助け出し神より授かったと言われている
カナンの地(今のイスラエル)へ旅する途中で水に困り、手にしていた杖で岩を叩き水を
得たと言われている正にその岩の前に立ち両手を高く揚げられて祈りのポーズを取られている
恩師「長尾弘」先生です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~


             第二 小なる章          
 
             一、 宝

222、ここに集まった諸々の生きものは、
    地上のものでも、空中のものでも、すべて歓喜せよ。
    そうしてこころを留めてわが説くところを聞け。

223、それ故に、すべての生きものよ、耳を傾けよ。
    昼夜に供物をささげる人類に、慈しみを垂れよ。
    それ故に、なおざりにせずに、かれらを守れ。

224、この世また来世におけるいかなる富であろうとも、
    天界における勝れた宝であろうとも、
    われらの全き人(如来)に等しいものは存在しない。
    この勝れた宝は、目覚めた人(仏)のうちに存する。
    この真理によって幸せであれ。


  

明来闇去

2019-09-20 00:12:36 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
             第一 蛇の章  
         
 
             十二、 聖者

219、世間をよく理解して、最高の神理を見、
    激流を超え海を渡ったこのような人、束縛を破って、
    依存することなく、
    煩悩の汚れのない人、―――諸々の賢者は、
    かれを〈聖者〉であると知る。

220、両者は住所も生活も隔たっていて、等しくない。
    在家は妻を養うが、善く誓戒を守る者(出家者)は
    何ものをもわがものとみなす執着がない。
    在家者は、他のものの生命を害って、
    節制することがないが、聖者は自制していて、
    常に生命ある者を守る。

221、譬えば青頸の孔雀が、空を飛ぶときには、
    どうしても白鳥の速さに及ばないように、
    在家者は、世に遠ざかって林の中で
    瞑想する聖者・修行者に及ばない。

〈蛇の章〉第一おわる
まとめの句
蛇とダニヤと〔犀の〕角と耕す人と、
チュンダと破滅と賤しい人と、
慈しみを修めることと雪山に住む者とアーラヴァカと、
勝利とまた聖者と、―――
これらの十二の経が「蛇の章」といわれる。


明来闇去

2019-09-19 01:29:25 | 明来闇去

添付のお写真はお釈迦様が菩提樹下で悟りを開いた後、ヴァーラーナスィーの
サールナートにおいて、5人の修行仲間(五比丘)に初めて仏教の教義を説きました。
この初転法輪の地を見学・訪問された時の恩師「長尾弘」先生です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~


             第一 蛇の章          
 
             十二、 聖者

216、自己を制して悪をなさず、若い時でも、中年でも、
    聖者は自己を制している。
    かれは他人を悩になやまされることなく、
    また何びとをも悩まさない。
    諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

217、他人から与えられたもので生活し、
    〔容器の〕上の部分からの食物、
    残りの食物を得ても、
    (食を与えたくれた人を)ほめることもなく、
    またおとしめて罵(ののし)ることもないならば、
    諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

218、婬欲の交わりを断ち、いかなるうら若き女人にも
    心をとどめず、驕りまたは怠りを離れ、
    束縛から解脱している聖者―――
    かれを諸々の賢者は(真の)〈聖者〉であると知る。


明来闇去

2019-09-16 23:31:38 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~


             第一 蛇の章  
         
 
             十二、 聖者

213、独り歩み、怠ることのない聖者、非難と称讃とに心を動かさず、
    音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、
    水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、
    他人を導く人、
    ―――諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

214、他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、
    水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち、欲情を離れ、
    諸々の感官をよく静めている人、
    ―――諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。     

215、梭(ひ)のように真直ぐにみずから安立し、
    諸々の悪い行為を嫌い、正と不正とをつまびらかに
    考察している人、
    ―――諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。



明来闇去

2019-09-15 23:32:48 | 明来闇去

添付のお写真は「モーセの御足を慕って」の旅の途中でバスを下車されモーセが
同胞のユダヤ人約四十万の人々を導き歩かれたであろう岩の砂漠をご覧になられている
恩師「長尾弘」先生です。(シナイ半島にて)

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~



              第一 蛇の章           
 
              十二、 聖者

210、あらゆる執着の場所を知り終わって、
    そのいずれもを欲することなく、貪りを離れ、
    欲のない聖者は、作為によってもとめることがない。
    かれは彼岸に達しているからである。

211、あらゆるものにうち勝ち、
    あらゆるものを知り、いとも聡明で、
    あらゆる事物に汚されることなく、
    あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人、
    ―――諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

212、智慧の力あり、戒めと誓いをよく守り、
    心がよく統一し、瞑想(禅定)を楽しみ、
    落ち着いて気をつけていて、執着から脱して、
    荒れたところなく、煩悩の汚れのない人、
    ―――諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。


明来闇去

2019-09-15 00:30:02 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~


             第一 蛇の章  
         
 
             十二、 聖者

207、親しみ慣れることから恐れが生じ、
    家の生活から汚れた塵が生ずる。
    親しみ慣れることもなく家の生活もないならば、
    これが実に聖者のさとりである。

208、すでに生じた(煩悩の芽を)断ち切って、
    新たに植えることなく、
    現に生ずる(煩悩)を長ぜしめることがないならば、
    この独り歩む人を(聖者)と名付ける。
    かの大仙人は平安の境地を見たのである。

209、平安の境地、(煩悩の起こる)基礎を考究して、
    そのためを弁え知って、
    それを愛執する心を長ぜしめないないならば、
    かれは、実に生を滅ぼしつくした終極を見る聖者であり、
    妄想をすてて(迷える者の)部類に赴かない。