浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2020-04-30 00:49:44 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


師(ブッダ)はこのように説かれた。
修業僧たちは悦んで師の所説を歓喜して迎えた。
実にこの説明が述べられときに、
六十人の修業僧は執着がなくなって、
心が汚れから解脱した。

〔二種の観察の〕まとめの句
真理(諦)と、生存の素因と、無明と、諸々の形成力と、
第五に識別作用と、接触と、感受されるものと、妄執と、
執着と、起動と、諸々の食と、動揺における振動と、
物質的領域と、真理と苦とで、十六である。

〈大いなる章〉第三おわる

まとめの句
出家と、つとめはげむことと、みごとに説かれたことと、
スンダリカと、マーガと、サビヤと、セーラと、矢と、
ヴァーセッタと、コーカーリヤと、ナーラカと、
二種の観察と―――
これら十二の経が「大いなる章」と言われる。


明来闇去

2020-04-29 00:49:50 | 明来闇去

添付のお写真は二千有余年前イエス様がご生誕された馬小屋(洞窟)のその場所には
生誕教会が建立されています。
内部のまさにイエス様がお生まれになられた個所には銀の星状の輪がはめ込まれています。
星中央の穴の周囲にはラテン語で「ここに、救い主イエス、おとめマリアから生まれる」
と刻み込まれています。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


764、生存の貪欲にとらわれ、生存の流れにおし流され、
    悪魔の領主に入っている人々には、
    この真理は実に覚りがたい。

765、諸々の聖者以外には、
    そもそも誰がこの境地を覚り得るのであろうか。
    この境地を正しく知ったならば、
    煩悩の汚れのない者となって、
    まどかな平安に入るであろう。



明来闇去

2020-04-27 02:21:20 | 明来闇去

添付のお写真はイスラエルの聖墳墓教会内に安置されている聖母マリア様に
光を送られている恩師「長尾弘」先生です。
この後、先に投稿したお写真のように石膏で作られたマリア様のお顔の表情が変化し
瞳から涙が流れました。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


761、自己の身体(=個体)を断滅することが「安楽」である、
    諸々の聖者は見る。
      (正しく)見る人々のこの(考え)は、
    一切の世間の人々と正反対である。

762、他の人々が「安楽」であると称するものを、
    諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。
    他の人々が「苦しみ」であると称するものを、
    諸々の聖者は「安楽」であると知る。
    解し難き真理を見よ。
    無智なる人々はここに迷っている。

763、覆われた人々には闇がある。
    (正しく)見ない人々には暗黒がある。
    善良なる人々には開顕される。
    あたかも見る人々に光明のあるようなものである。
    理法が何であるかを知らない獣(のような愚人)は、
    (安らぎの)近くにあっても、それを知らない。


◆おしらせ
明日の28日にインターネットのメンテナンスをプロバイダーが計画しております。
ですから明日の投稿が出来ないかと思いますので先行してお知らせします。

明来闇去

2020-04-26 00:25:48 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく
観察することができるのか?』と、もしも誰かに問われたならば、
「できる」と答えなければならない。
どうしてであるか?
『神々と悪魔と伴る世界、道の人(沙門)・バラモン・神々・人間を
含む諸々の生存者が《これは安楽である》と考えたものを、諸々の聖者は
《これは苦しみである》と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』―――これが
一つの観察〔法〕である。

『神々と悪魔と伴る世界、道の人(沙門)・バラモン・神々・人間を
含む諸々の生存者が《これは苦しみである》と考えたものを、諸々の聖者は
《これは安楽である》と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』―――これが
第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、
専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの
果報が期待され得る。

―――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りが
あるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師はさらに
次のように説かれた。

759、有ると言われる限りの、色かたち、音声、味わい、香り、
    触れられるもの、考えられるものであって、好ましく愛すべく意に敵うもの、

760、それらは実に、神々並びに世人には‘「安楽」であると一般に
    認められている。
    またそれらが滅びる場合には、かれらはそれを「苦しみ」であると等しく
    認めている。



明来闇去

2020-04-25 01:00:54 | 明来闇去

添付のお写真はその昔、イエス様がゴルゴダの磔刑場にご自分が上がられる十字架を
背負われ歩かれた悲しみの路(ビアドロローサ)を観光客の方たちが歩かれています。
一体彼らの胸に去来するのは何であろうか。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


756、見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、
    〈名称と形態〉(個体)に執着している。
    「これこそ真理である」と考えている。

757、或るものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、
    そのものはそれとは異なったものとなる。
    何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。
    過ぎ去る者は虚妄なるものであるから。

758、安らぎは虚妄ならざるものである。
    諸々の聖者はそれを真理であると知る。
    かれらは実に真理をさとるが故に、快を貪ることなく平安に帰して
    いるのである。



明来闇去

2020-04-24 01:18:54 | 明来闇去

添付のお写真はその昔、イエス様がガリラヤ湖の岸辺を歩いておられるとシモン(別名ペテロ)
とアンデレの二人の兄弟が舟に乗り、網で漁をしているのに出会いました。
彼らは漁師でした。イエス様が「私について来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と、
声をお掛けになると、二人はすぐに網を捨て、イエス様についていきました。と聖書に書かれています。
そのガリラヤ湖を背景に周辺の景色をカメラで撮影されている恩師「長尾弘」先生です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく
観察することができるのか?』と、もしも誰かに問われたならば、
できると答えなければならない。
どうしてであるか?
『神々と悪魔と伴る世界、道の人(沙門)・バラモン・神々・人間を
含む諸々の生存者が《これは真理である》と考えたものを、諸々の聖者は《これは虚妄である》と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』―――これが一つの観察〔法〕である。
『神々と悪魔と伴る世界、バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者が
〈これは虚妄であると〉考えたものを、諸々の聖者は〈これは真理である〉と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』―――これが第二の
観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか一つの
果報が期待され得る。
―――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りが
あるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師はさらに
次のように説かれた。

明来闇去

2020-04-23 00:35:00 | 明来闇去

添付のお写真は聖墳墓教会内の壁に描かれていたイエス様のお顔(?)の
ような絵(写真)です。
この絵についての特に説明文のようなものはありませんでしたが、
取り敢えずカメラに収めたものです。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


754、物質的領域に生まれる諸々の生存者と
    非物質的領域に住む諸々の生存者とは、
    消滅を知らないで、再びこの世の生存に戻ってくる。
    
755、しかし物質的領域を熟知し、非物質的領域に安住し、
    消滅において解脱する人々は、死を捨て去ったのである。


明来闇去

2020-04-22 02:42:55 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がイエス様についてのご講演中恩師の
お顔がお写真のように変貌されました。
このご講演を聴かれていた学びの友の方がカメラに収めたものです。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを正しく
観察することができるのか?』と、もしも誰かに問われたならば、
できると答えなければならない。
どうしてであるか?『物質的領域よりも非物質的領域のほうが、
より一層静まっている』というのが一つの観察〔法〕である。
『非物質領域よりも消滅のほうが、より一層静まっている』というのが、
第二の観察〔法〕である。

このように二種の〔観察法を〕を正しく観察して、怠らず、
つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、
二つの果報のうちのいずれか一つの果報が期待され得る。
―――すなわち現世における〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。



明来闇去

2020-04-21 00:44:51 | 明来闇去

添付のお写真は先日投稿しました聖墳墓教会内に安置されている聖母マリア様に
恩師「長尾弘」先生が心の中で対話され、光を送られました。
すると、ご覧のように石膏で作られた聖母マリア様が涙を流されました。
この情景はビデオにも収録されています。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


752、従属することのない人はたじろがない。
    しかし従属することのある人は、この状態からあの状態へと
    執着していて、輪廻を超えることがない。

753、「諸々の従属の中に大きな危険がある」と、この禍を知って
    修行僧は、従属することなく、執着することなく、
    よく気をつけて、遍歴すべきである。



明来闇去

2020-04-20 00:36:41 | 明来闇去

添付のお写真は先日投稿しました聖母マリア様のお顔の部分を拡大したものです。
恩師「長尾弘」先生がこの聖母マリア様に心の中でお話をされた時、マリア様が涙を
流されました。(この時のお写真は明日投稿する予定です。)


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


750、およそ苦しみが起こるのは、すべて動揺を縁として起こる。
    諸々の動揺が消滅するならば、もはや苦しみが生ずることもない。

751、「苦しみは動揺の縁から起こる」と、この禍いを知って、
    それ故に修行僧は(妄執の)動揺を捨て去って、諸々の潜在的形成力を
    制止して、無動揺・無執着で、よく気を付けて、遍歴すべきである。



    
    

明来闇去

2020-04-19 00:23:47 | 明来闇去

添付のお写真は先に投稿しました聖墳墓教会内にイエス様が磔刑に掛かられた十字架の
レプリカに向かって右側に安置されている聖母マリア様の銅像です。
恩師「長尾弘」先生がこの聖母マリア様に光を送られ心の中で対話をされた時、
この聖母マリア様がまるで生きている人間のように涙を流されました。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを
正しく観察することができるのか?』と、もしも誰かに問われた
ならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?
『およそ苦しみが生ずるのは、すべて動揺に縁って起こるものである』
というのが、一つの観察〔法〕である。

『しかしながら諸々の動揺が残りなく離れ消滅するならば、
もはや苦しみの生ずることはない』というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種の〔観察法〕を正しく観察して、怠らず、
つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちの
いずれか一つの果報が期待され得る。

―――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りが
あるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」―――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらに次のように説かれた。

明来闇去

2020-04-18 01:06:42 | 明来闇去

添付のお写真は磔刑場ゴルゴダの丘に建立された聖墳墓教会の一部を
カメラに収めたものです。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


748、「苦しみは食料の縁から起こる」と、この禍いを知って、
    一切の食料を熟知して、一切の食料に頼らない、

749、諸々の煩悩の穢れの消滅の故に無病の起こることを正しく
    知って、省察して(食料を)受用し、理法に住するヴェーダーの
    達人は、もはや(迷いの生存者のうちに)数えられることはない。


明来闇去

2020-04-17 00:26:53 | 明来闇去

添付のお写真は先に投稿しました鞭打ちの教会(第一留)で鞭打ちの刑を終えられ、
その隣にある裁判所からイエス様が十字架を背負われてゴルゴダの磔刑場に向かって
歩かれる少し前の情景をレプリカで形作られた物です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ。『また他の方法によっても二種のことがらを
正しく観察することができるのか?』と、もしもだれかに問われた
ならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?
『およそ苦しみが生ずるのは、すべて動揺に縁って起こるものである』
というのが、一つの観察〔法〕である。

『しかしながら諸々の動揺が残りなく離れ消滅するならば、もはや
苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ
励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちのいずれか
一つの果報が期待され得る。―――すなわち現世における〈さとり〉か、
あるいは煩悩の残りがあるならば、
この迷いの生存に戻らないことである。」―――

師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらに次のように説かれた。

747、およそ苦しみが起こるのは、すべて食料を縁として起こる。
    諸々の食料が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。


明来闇去

2020-04-16 01:19:43 | 明来闇去

添付のお写真は先に投稿しました鞭打ちの教会から出てイエス様がご自分が上がられる
十字架を背負わされ磔刑場に向かって歩かれた悲しみの路(ビアドロローサ)を示す標識です。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


745、「苦しみは起動の縁から起こる」と、この禍いを知って、
    一切の起動を捨て去って、起動のないことにおいて解脱し、

746、生存にたいする妄執を断ち、心の静まった修行僧は、
    生を繰り返す輪廻を超える。
    かれはもはや生存を受けることはない。



明来闇去

2020-04-15 01:07:34 | 明来闇去

添付のお写真は「イエス様の御足を慕って」の旅で見学に訪れた
イスラエルに建立されている「鞭打ちの教会」です。
二千有余年の前、イエス様が無実の罪で当時のローマ兵に捕らえられ、
裁判の後、鞭打ちを受けられた建物が「鞭打ちの教会」となっております。
恩師「長尾弘」先生がこの教会の正面前でカメラに周辺の遺跡や建物を
撮られているところです。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第三 大なる章 

              12、二種の観察


「修行僧たちよ、『また他の方法によっても二種のことがらを
正しく観察することができるのか?』と、
もしも誰かに問われたならば、『できる』と答えなければならない。
どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、すべて起動に縁って
起こるものである』というのが、一つの観察〔法〕である。
『しかしながら諸々の起動が残りなく離れ消滅するならば、
苦しみの生ずることがない』というのが第二の観察〔法〕である。
このように二種の〔観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ
励んで、専心している修行僧にとっては、二つの果報のうちいずれか
一つの果報が期待され得る。

―――すなわち現世における(さとり)か、あるいは煩悩の残りが
あるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」――
師(ブッダ)はこのように告げられた。
そうして、幸せな師はさらに次のように説かれた。
744、およそ苦しみが起こるのは、すべて起動を縁として起こる。
諸々の起動が消滅するならば、苦しみ生ずることもない。