浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

「ブッダのことば」より。

2015-01-31 00:45:13 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

              12、並ぶ応答――小篇

884、真理は一つであって、第二のものは存在しない。
       その(真理)を知った人は、争うことがない。
       かれらはめいめい異った真理をほめたたえている。
       それ故に諸々の<道の人>は同一の事を語らないのである。

885、みずから真理に達した人であると自称して語る論者たちは、
       何故に種々異った真理を説くのであろうか?
       かれらは多くの種々異った真理を(他人から)聞いたのであるか?
       あるいはまたかれらは自分の思索に従っているのであろうか?

886、世の中には、多くの異った真理が永久に存在しているのではない。
       ただ永久のものだと想像しているだけである。
       かれらは、諸々の偏見にもとづいて思索考究を行って、
       「(わが説は)真理である」
       「(他人の説は)虚妄である」と二つのことを説いているのである。


               ~ 感謝・合掌 ~



「ブッダのことば」より。

2015-01-30 01:24:30 | 日記

          ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

              12、並ぶ応答――小篇

881、またもしも自分の見解によって清らかとなり、
       自分の見解によって、真理に達した人、
       聡明な人となるのであるならば、かれらのうちには知性のない者は
       だれもいないことになる。
       かれらの見解は(その点で)等しく完全であるからである。

882、諸々の愚者が相互に他人に対して言う言葉を聞いて、
       わたくしは「これは真実である」とは説かない。
       かれらは各自の見解を真実であるとみなしたのだ。
       それ故にかれらは他人を「愚者」であると決めつけるのである。

883、或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその(見解)をば、
       他の人々が「虚偽である、虚妄である」と言う。
       このようにかれらは異なった執見をいだいて論争をする。
       何故に諸々の〈道の人〉は同一の事を語らないのであろうか?


               ~ 感謝・合掌 ~



「ブッダのことば」より。

2015-01-29 01:30:31 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

              12、並ぶ応答――小篇

878、(世の学者たちは)めいめいに見解に固執して、
        互いに異った執見をいだいて争い、(みずから真理への)
        熟達者であると称して、さまざまに論ずる。
        ―――「このように知る人は真理を知っている。
        これを非難する人はまだ不完全な人である」と。

879、かれらはこのように異った執見をいだいて論争し、
       「論敵は愚者であって、真理に達した人ではない」と言う。
       これらの人々はみな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、
       これらのうちで、どの説が真実なのであろうか?

880、もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、
       低級な者であり、智慧の劣った者であるならば、
       これらの人々はすべて(各自の)偏見を固執しているのであるから、
       かれらはすべて愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。


               ~ 感謝・合掌 ~




「ブッダのことば」より。

2015-01-28 00:44:47 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

                11、争闘

874、「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、
         想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。
         ―――このように理解した者の形態は消滅する。
         けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起こるからである。」

875、「われらがあなたにおたずねしたことを、
         あなたはわれわれに説き明かしてくださいました。
         われらは別のことをあなたにおたずねしましょう。
         どうか、それを説いてください。
         ―――この世における或る賢者たちは、「この状態だけが、
         霊(たましい)の最上の清浄の境地である」とわれらに語ります。
         しかしまた、それよりも以上に、『他の(清浄の境地)がある』と説いく
         人々もいるのでしょうか?」

876、「この世において或る賢者たちは、
         『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。
         さらにかれらのうち或る人々は断減を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅する
         ことのうちに(最上の清浄の境地がある)と、巧みに語っている。

877、かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って、
         諸々のこだわりを熟考し、知った上で、解脱せる人は論争に赴かない。
         思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない。」


                  ~ 感謝・合掌 ~




「ブッダのことば」より。

2015-01-27 01:03:30 | 日記

          ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

                 11、争闘

871、「世の中で感官による接触は何にもとづいて起こるのですか?
       また所有欲は何から起こるのですか?
       何ものが存在しないときに、〈わがもの〉という我執が存在しないのですか?
       何ものが消滅したときに、感官による接触がはたらかないのですか?」

872、「名称と形態とに依って感官による接触が起こる。
       諸々の所有欲は欲求を縁として起こる。
       欲求がないときには、〈わがもの〉という我執も存在しない。
       形態が消滅したときには〈感官による接触〉ははたらかない。」

873、「どのように修業した者とって、形態が消滅するのですか?
       楽と苦とはいかにして消滅するのですか?
       どのように消滅するのか、その消滅するありさまを、わたくしに説いてください。
       わたくしはそれを知りたいものです。
       ―――わたくしはこのように考えました。」


              ~ 感謝・合掌 ~




「ブッダのことば」より。

2015-01-26 03:47:13 | 日記

          ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

    
               第四 八つの詩句の章 

                  11、争闘

868、怒りと虚言と疑惑、―――これらのことがらも、(快と不快との)
       二つがあるときに現れる。
       疑惑ある人は知識の道に学べ。
       〈道の人〉は、知って、諸々のことがらを説いたのである。」

869、「快と不快とは何にもとづいて起こるのですか?
       また何がないときにこれらのものが現れないのですか?
       また生起と消滅ということの意義と、それの起こるもととなっているものを、
       われに語ってください。」

870、「快と不快とは、感官による接触にもとづいて起こる。
       感官による接触が存在しないときには、
       これらのものも起こらない。
       生起と消滅ということの意義と、それの起こるもととなっているもの
       (感官による接触)を、われは汝に告げる。」


             ~ 感謝・合掌 ~




「ブッダのことば」より。

2015-01-25 01:25:05 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

                11、争闘

865、「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、
       欲望にもとづいて起こる。
       また人が来世に関していだく希望とその成就とは、
       それにもとづいて起こる。」

866、「さて世の中で欲望は何にもとづいて起こるのですか?
       また(形而上学的な)断定は何から起こるのですか?
       怒りと虚言と疑惑と及び〈道の人〉(沙門)の説いた諸々のことがらは、
       何から起こるのですか?」

867、「世の中で〈快〉〈不快〉と称するものに依って、欲望が起こる。
       諸々の物質的存在には生起と消滅とのあることを見て、
       世の中の人は(外的な事物にとらわれた)断定をくだす。


              ~ 感謝・合掌 ~



「ブッダのことば」より。

2015-01-24 05:09:39 | 日記

          ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

                 11、争闘

862、「争闘と争論と悲しみと憂いと慳(ものおし)みと
        慢心と傲慢と悪口とは、どこから現れ出できたのですか?
        これらはどこから起こったのですか?
        どうか、それを教えてください。」

863、「争闘と争論と悲しみと憂いと慳(ものおし)みと
        慢心と傲慢と悪口とは愛し好むものにもとづいて起こる。
        争闘と争論とは慳(ものおし)みに伴い、
        争論が生じときに、悪口が起こる。」

864、「世間において、愛し好むものは何にもとづいて起こるのですか。
        また世間にはびこる貪りは何にもとづいて起こるのですか。
        また人が来世に関していだく希望とその成就とは、
        何にもとづいて起こるのですか?」


              ~ 感謝・合掌 ~





「ブッダのことば」より。

2015-01-23 04:40:32 | 日記

           ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

              10、死ぬよりも前に

860、聖者は貪りを離れ、慳(ものおし)みすることなく、
      『自分は勝れたものである』とも、『自分は等しいものである』とも、
      『自分は劣ったものである』とも論ずることがない。
      かれは分別を受けることのないものであって、
      妄想分別におもむかない。

861、かれは世間において〈わがもの〉という所有がない。
      また無所有を嘆くこともない。
      かれは〔欲望に促されて〕、諸々の事物に赴くこともない。
      かれは実に〈平安なる者〉と呼ばれる。


                ~ 感謝・合掌 ~




「ブッダのことば」より。

2015-01-22 01:31:33 | 日記

           ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

    
               第四 八つの詩句の章 

              10、死ぬよりも前に

857、諸々の欲望を顧慮することのない人、
       ―――かれこそ〈平安なる者〉である。
       とわたくしは説く、かれには締めの結び目は存在しない。
       かれはすてに執着を渡り了(お)えた。

858、かれには、子も、家畜も、田畑も、地所も存在しない。
       すでに得たものも、捨て去ったものも、かれのうちには認められない。

859、世俗の人々、または道の人・バラモンどもがかれを非難して
       〈貪りなどの過ち〉があるというのであろうが、
       かれはその(非難)を特に気にかけることはない。
       それ故に、かれは論議されても、動揺することがない。


               ~ 感謝・合掌 ~



「ブッダのことば」より。

2015-01-21 01:27:12 | 日記

        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

                10、死ぬよりも前に

854、利益を欲して学ぶのではない。
       利益がなかったとしても、怒ることがない。
       妄執のために他人に逆らうことがなく、
       美味に耽溺することもない。

855、平静であって、常によく気を付けていて、
       世間において(他人を自分と)等しいとは思わない。
       また自分が勝れているとも思わないし、また劣っているとも思わない。
       かれには煩悩の燃え盛ることがない。

856、依りかかることのない人は、
       理法を知ってこだわることがないのである。
       かれには、生存のための妄執も、
       生存の断滅のための妄執も存在しない。


             ~ 感謝・合掌 ~




「ブッダのことば」より。

2015-01-20 02:22:26 | 日記

          ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

    
               第四 八つの詩句の章 

               10、死ぬよりも前に

851、未来を願い求めることなく、
      過去を思い出して憂えることもない。
      〔現在〕感官で触れる諸々の対象について遠ざかり離れることを観じ、
      諸々の偏見に誘われることがない。

852、(貪欲などから)遠ざかり、偽ることなく、
      貪り求めることなく、慳(ものおし)みせず、傲慢にならず、
      嫌われず、両舌(かげぐち)を事としない。

853、快いものに耽溺せず、また高慢にならず、
      柔和で、弁舌さわやかに、信ずることなく、
      なにかを嫌うこともない。


             ~ 感謝・合掌 ~




「ブッダのことば」より。

2015-01-19 00:54:49 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

                10、死ぬよりも前に

848、「どのように見、どのような戒律をたもつ人が『安らかであるか』と
        言われるのか?
        ゴータマ(ブッダ)よ。
        おたずねしますが、その最上の人のことをわたくしに説いてください。」

849、師は答えた、「死ぬよりも前に、妄執を離れ、過去にこだわることなく、
        現在においてもくよくよと思いめぐらすことがないならば、
        かれは(未来に関しても)特に思いわずらうことがない。

850、かの聖者は、怒らず、おののかず、誇らず、
        あとで後悔するような悪い行いをなさず、
        よく思慮して語り、そわそわすることなく、ことばを慎む。


                ~ 感謝・合掌 ~




「ブッダのことば」より。

2015-01-18 04:16:20 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

                九、マーガンディヤ

844、家を捨てて、住所を定めずにさまよい、
       村の中で親交を結ぶことのない聖者は、諸々の欲望を離れ、
       未来に望みをかけることなく、人々に対して異論を立てて談論をしてはならない。

845、竜(修業完成者)は諸々の(偏見)を離れて世間を遍歴するのであるから、
       それらに固執して論争をしてはならない。
       たとえば汚れから生える、茎に棘のある蓮が、水にも泥にも汚されないように、
       そのように聖者は平安を説く者であって、貪ることなく、欲望にも世間にも
       汚されることがない。

846、ヴェーダの達人は、見解についても、思想についても、慢心に至ることがない。
       かれの本性はそのようなものではないからである。
       かれは宗教的行為によっても導かれないし、また伝統的な学問によっても
       導かれない。
       かれは執着の巣窟に導き入れられることがない。

847、想いを離れた人には、結ぶ縛めが存在しない。
       智慧によって解脱した人には、迷いが存在しない。
       想いを偏見とに固執した人々は、互いに衝突しながら、世の中をうろつく。」


                  ~ 感謝・合掌 ~





「ブッダのことば」より。

2015-01-17 01:56:52 | 日記

          ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

    
               第四 八つの詩句の章 

                九、マーガンディヤ

841、師は答えた、
       「マーガンディヤよ。あなたは(自分の)教義にもとづいて尋ね求めるものだから、
       執着したことがらについて迷妄に陥ったのです。
       わなたはこの(内心の平安)について微かな想いをさえもいだいていない。
       だから、あなたは(わたくしの説を)『ばかばかしい』と見なすのです。

842、『等しい』とか『すぐれている』とか、あるいは『劣っている』とか
       考える人、―――かれはその思いによって論争するであろう。
       しかしそれらの三種に関して動揺しない人、―――
       かれには『等しい』とか、『すぐれている』とか、(あるいは『劣っている』とか)
       いう思いは存在しない。

843、そのバラモンはどうして『(わが説は)真実である』と論ずるであろうか。
       またかれは『(汝の説は)虚偽である』といって誰と論争するであろうか?
       『等しい』とか『等しくない』とかいうことのなくなった人は、
       誰に論争を挑むであろうか。


                ~ 感謝・合掌 ~