浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

「ブッダのことば」より。

2014-11-30 03:19:04 | 日記

      ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

    
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

717、心が沈んでしまってはいけない。
       またやたらに多くのことを考えてはいけない。
       腥(なまぐさ)い臭気なく、こだわることなく、
       清らかな行いを究極の理想とせよ。

718、独り坐することと(道の人)に奉仕することとを学べ。
       聖者の道は独り居ることであると説かれている。
       独り居てこそ楽しめるであろう。

719、そうすればかれは十万に光り輝くであろう。
       欲望をすてて瞑想している諸々の賢者の名声を聞いたならば、
       わが教えを聞く者はますます恥を知り、
       信仰を起こすべきである。


                ~ 感謝・合掌 ~ 


   

「ブッダのことば」より。

2014-11-29 03:55:06 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

    
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

714、道の人(ブッダ)は高く或いは低い種々の
      道を説き明かしたもうた。
      重ねて彼岸に至ることはないが、
      一度で彼岸に至ることもない。

715、(輪廻の)流れを断ち切った修行僧には執着が存在しない。
      なすべき(善)となすべからざる(悪)とを捨て去って、
      かれには煩悩が存在しない。

716、師は言われた、 
      「あなたに聖者の道を説こう。
      ―――(食をとるには)剃刀の刃の譬えのように用心せよ。
      舌で上口蓋を抑え、腹についてはみずから食を節すべし。


              ~ 感謝・合掌 ~


         

「ブッダのことば」より。

2014-11-28 01:05:23 | 日記

        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

    
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

711、聖者は、村に行ったならば、
      家々を荒々しくガサツに廻ってはならない。
      話をするな。
      わざわざ策して食を求めることばを発してはならない。

712、『(施しの食物を)得たのは善かった』
      『得なかったのもまた善かった』と思って、
      全き人はいずれの場合にも平然として還ってくる。
      あたかも(果実をもとめて)樹のもとに赴いた人が、
      (果実を得ても得なくても、平然として)帰ってくるようなものである。

713、かれは鉢を手にして歩き廻り、
      啞者と思われるようにするのだ。
      施物が少なかったからとて軽んじてはならぬ。
      施してくれる人を侮ってはならない。


              ~ 感謝・合掌 ~ 


               

「ブッダのことば」より。

2014-11-27 01:28:03 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

708、その聖者は托鉢にまわり歩いてから、
       林のほとりにおもむき、樹の根もとにとどまって、
       座につくべきである。

709、かれは思慮深く、瞑想に専念し、
       林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、
       大いにみずから満足すべきである。

710、ついで夜が明けたならば、
       村里のほとりに去るべきである。
       (信徒から)招待を受けても、
       また村から食物をもらってきても、
       決して喜んではならない。


            ~ 感謝・合掌 ~


         

「ブッダのことば」より。

2014-11-26 01:00:27 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

705、『かれらもわたくしと同様であり、
       わたくしもかれらと同様である』と思って、
       我が身に引き比べて、(生きものを)殺してはならぬ。
       また他人をして殺させてはならぬ。

706、凡夫は欲望と貪りとに執着しているが、
       眼ある人はそれを捨てて道を歩め。
       この(世の)地獄を超えよ。

707、腹を減らして、食物を節し、小欲であって、
       貪ることなかれ。
       かれは貪り欲望に厭きて、無欲であり、
       安らぎに帰している。


              ~ 感謝・合掌 ~ 


          

「ブッダのことば」より。

2014-11-25 01:17:16 | 日記

       ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

    
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

702、村にあっては、罵られても、敬礼されても、
      平然とした態度で臨め。
      (罵られても)こころに怒らないように注意し、
      (敬礼されても)冷静に、高ぶらずにふるまえ。

703、たとい園林のうちにあっても、
      火災の燃え立つように種々のものが現れ出でくる。
      婦女は聖者を誘惑する。
      婦女をしてかれを誘惑させるな。

704、婬欲のことがらを離れ、
      さまざまの愛欲をすてて、弱いものでも、強いものでも、
      諸々の生きものに対して、敵対することもなく、
      愛着することもない。


             ~ 感謝・合掌 ~ 


      

「ブッダのことば」より。

2014-11-24 00:54:56 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

    
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

              序文の詩句は終わった。

699、〔ナーラカは尊師にいった〕、
       「アシタの告げたこのことばはそのとおりであるということを了解しました。
       故に、ゴータマよ、一切の道理の通達者(ブッダ)であるあなたにおたずねします。

700、わたくしは出家の身となり、
       托鉢の行を実践しようと願っているのですが、おたずねします。
       聖者よ、聖者の境地、最上の境地を説いて下さい。」

701、師(ブッダ)はいわれた、
      「わたくしはあなたに聖者の境地を教えてあげよう。
      これは行いがたく、成就し難いものである。
      さあ、それをあなたに説いてあげよう。
      しっかりとして、堅固であれ。


          ~ 感謝・合掌 ~


            

「ブッダのことば」より。

2014-11-23 01:13:17 | 日記

        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

697、その聖者は、人のためをはかる心があり、
       未来における最上の清らかな境地を予見していた。
       その聖者に教えられて、かねて諸々の善根を積んでいたナーカラは、
       勝利者(ブッダ)を待望しつつ、
       みずからの感官をつつしみまもって暮らしていた。

698、〈勝れた勝利者が法輪をまわしたもう〉との噂を聞き、
       アシタという(仙人)の教えのとおりになったときに、
       出かけて行って、最上の人である仙人(ブッダ)に会って信仰の心を起こし、
       いみじき聖者に最上の聖者の境地をたずねた。



              ~ 感謝・合掌 ~          

「ブッダのことば」より。

2014-11-22 01:33:19 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

694、ところが、この世におけるわたくしの余命はいくばくもありません。
       (この方が悟りを開かれるまえに)中途で死んでしまうでしょう。
       わたくしは比なき力ある人の教えを聞かないでしょう。
       だから、わたくしは、悩み、悲嘆し、苦しんでいるのです。」

695、かの清らかな修行者(アシタ仙人)はシャカ族の人々に大きな喜びを
       起こさせて、宮廷から去っていった。
       かれは自分の甥(ナーラカ)をあわれんで、
       比なき力ある人の教えに従うようにすすめた。―――

696、「もしもお前が後に『目覚めた人あり、さとりを開いて、真理の道を歩む』
       という声を聞くならば、そのときこそこへ行ってかれの教えをたずね、
       その師のもとで清らかな行いを行え。」


                  ~ 感謝・合掌 ~ 


          

「ブッダのことば」より。

2014-11-21 00:52:03 | 日記

        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

691、ときに仙人は自分の行く末を憶うて、ふさぎこみ、涙を流した。
       仙人が泣くのを見て、シャカ族の人々は言った、―――
       「われらの王子に障りがあるのでしょうか?」

692、シャカ族の人々が憂いているのを見て、仙人は言った、―――
       「わたくしは、王子に不吉の相があるのを思いつづけているのではありません。
       またかれらに障りはないでしょう。
       この方は凡庸(ぼんよう)ではありません。
       よく注意してあげてください。

693、この王子は最高のさとりに達するでしょう。
       この人は最上の清浄を見、多くの人々のためをはかり、
       あわれむが故に、法輪をまわすでしょう。
       この方の清らかな行いはひろく弘(ひろ)まるでしょう。


             ~ 感謝・合掌 ~




「ブッダのことば」より。

2014-11-20 06:51:28 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

688、神々は、多くの骨ある千の円輪ある傘蓋(さんがい)を
      空中にかざした。
      また黄金の柄のついた払子(ほっす)で〔身体を〕上下に扇いだ。
      しかし払子や傘蓋を手にとっている者どもは見えなかった。

689、カンハシリ(アシタ)という結髪の仙人は、
      こころ喜び、嬉しくなって、その児を抱きかかえた。
      ―――その児は、頭の上に白い傘をかざされて
      白色がかった毛布の中にいて、
      黄金の飾りのようであった。

690、相好と呪文(ヴェーダ)に通暁(つうぎょう)しているかれは、
      シャカ族の牡牛(のような立派な児)を抱きとって、(特相を)検(しら)べたが、
      心に歓喜して声を挙げた。
      ―――「これは無上の方です。人間のうちで最上の人です。」


             ~ 感謝・合掌 ~ 


   

「ブッダのことば」より。

2014-11-19 02:02:15 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

685、仙人は(神々の)その声を聞いて急いで(人間世界に)降りてきた。
       そのときスッドーダナ王の宮殿に近づいて、そこに坐して、
       シャカ族の人々に次のようにいった、
       「王子はどこにいますか。わたくしもまた会いたい。」

686、そこで諸々のシャカ族の人々は、その児を、
       アシタという(仙人)に見せた。
       ―――溶炉で巧みな金工が鍛えた黄金のようにきらめき
       幸福に光輝く尊い顔の児を。

687、火炎のように光り輝き、
       空行く星王(月)のように清らかで、
       雲を離れて照る秋の太陽のように輝く児を見て、
       歓喜を生じ、昂(たか)まる喜びでわくわくした。


            ~ 感謝・合掌 ~ 


        

「ブッダのことば」より。

2014-11-18 03:29:29 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
                第三 大なる章 

                11、ナーラカ

682、かれらは叫び、歌い、楽器を奏で、手を打ち、踊っています。
       須弥山(しゆみせん)に頂きに住まわれるあなたがたに、
       わたくしはおたずねします。
       尊き方よ、わたくしの疑いを速やかに除いてください。」

683、(神々は答えて言った)、
       「無比のみごとな宝であるかのボーディサッタ(菩薩、未来の仏)は、
       もろびとの利益安楽のために人間世界に生まれ給うたのです、
       ―――シャカ族の村に、ルンビニーの聚落に。
       だからわれらは嬉しくなって、非常に喜んでいるのです。

684、生きとし生ける者の最上者、最高の人、牡牛のような人、
       生きとし生けるもののうちの最高の人(ブッダ)は、やがて〈仙人(の集まる所)〉と
       いう名の林で(法)輪を回転するであろう。
       ―――猛き獅子が百獣にうち勝って吼えるように。」


              ~ 感謝・合掌 ~ 


  

「ブッダのことば」より。

2014-11-17 00:32:14 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

    
               第三 大なる章 

               11、ナーラカ

                  〔序〕

679、よろこび楽しんでいて清らかな衣をまとう三十人の神々の群れと
      帝釈天とが、恭(うやうや)しく衣をとって極めて讃嘆しているのを、
      アシタ仙は日中の休息のときに見た。

680、こころ喜び踊りあがっている神々を見て、
      ここに仙人は恭しくこのことを問うた、
      「神々の群れが極めて満悦しているのは何故ですか?
      どうしたわけでかれらは衣をとってそれを振り廻しているのですか?

681、たとえ阿修羅との戦いがあって、神々が勝ち阿修羅が敗けたときにも、
      そのように身の毛の振い立つほど喜ぶことはありませんでした。
      どんな稀なできごとを見て神々は喜んでいるのですか?


                ~ 感謝・合掌 ~ 


      

「ブッダのことば」より。

2014-11-16 02:49:35 | 日記

         ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 

    
                第三 大なる章 

               10、コーカーリヤ

675、そこには黒犬や黒烏の群や野狐がいて、
      泣きさけぶかれらを貪り食うて飽くことがない。
      また鷹や黒色ならぬ鳥どもまでが啄(ついば)む。

676、罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、
      実に悲惨である。
      だから人は、この世において余生のあるうちになすべきことをなして、
      忽(ゆるが)せにしてはならない。

677、紅蓮地獄に運び去られた者(の寿命の年数)は、
      荷車につんだ胡麻の数ほどある、と諸々の智者は計算した。
      すなわちそれは五千兆年とさらに一千万の千二百倍の年である。

678、ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど永く続こうとも、
      その間は地獄にとどまらねばならない。
      それ故に、ひとは清く、温良で、立派な美徳をめざして、
      常にことばをつつしむべきである。


              ~ 感謝・合掌 ~