浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2020-06-30 00:24:11 | 明来闇去

 ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~ 
   
           第四 八つの詩句の章 

          15、武器を執ること


935、殺そうと争闘する人々を見よ、
    武器を執って打とうとしたことから恐怖が
    生じたのである。
    わたくしがぞっとしてそれを厭い離れたその
    衝撃を述べよう。
 
936、水の少ないところにいる魚のように、
    人々が慄(ふる)えているのを見て、
    また人々が相互に抗争しているのを見て、
    わたくしに恐怖が起こった。

937、世界はどこも堅実ではない。
    どの方角でもすべて動揺している。
    わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、
    すでに(死や苦しみなどに)
    とりつかれていないところを見つけなかった。



明来闇去

2020-06-29 00:26:30 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
  
               第四 八つの詩句の章 

                  14、迅速


933、修行者はこの道理を知って、
    よく弁(わきま)えて、つねに気をつけて学べ。
    諸々の煩悩の消滅した状態が「安らぎ」であると知って、
    ゴータマ(ブッダ)の教えにおいて怠ってはならない。
 
934、かれは、みずから勝ち、他に打ち勝たれることはない。
    他人から伝え聞いたのではなくて、自ら証する理法を見た。
    それ故に、かの師(ブッダ)の教えに従って、
    怠ることなく、つねに礼拝して、従い学べ。
    ―――このように師(ブッダ)はいわれた。


明来闇去

2020-06-28 00:24:23 | 明来闇去

 ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第四 八つの詩句の章 

                  14、迅速


930、また修行者は高慢であってはならない。
    また(自分の利益を得るために)遠まわしに
    策したことばを語ってはならない。
    傲慢であってはならない。
    不和をもたらす言辞を語ってはならない。
 
931、虚言をなすことなかれ。
    知りながら詐(いつわ)りをしないようにせよ。
    また生活に関しても、知識に関しても、
    戒律や道徳に関しても、自分が他人よりもすぐれていると
    思ってはならない。

932、諸々の出家修行者やいろいろ言いたてる世俗人に
    辱(はずかし)められ、
    その(不快な)ことばを多く聞いても、
    あらあらしいことばを以って答えてはならない。
    立派な人々は敵対的な返答をしないからである。



明来闇去

2020-06-27 00:21:34 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
         第四 八つの詩句の章 

             14、迅速


927、わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と
    夢占いと星占いとを行ってはならない。
    鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を
    おこなったりしてはならぬ。
 
928、修行者は、非難されても、くよくよしてはならない。
    称賛されても、高ぶってはならない。
    貪欲と慳(ものおし)みと怒りと悪口とを除き去れ。

929、修行者は、売買に従事してはならない。
    決して誹謗をしてはならない。
    また村の人々と親しく交わってはならない。
    利益を求めて人々に話しかけてはならない。



明来闇去

2020-06-26 00:14:30 | 明来闇去

 ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
           第四 八つの詩句の章 

              14、迅速


924、食物や飲料や硬い食べ物や衣服を得ても、
    貯蔵してはならない。
    またそれらが得られないからとて
    心配してはならない。

925、心を安定させよ。
    うろついてはならない。
    あとで後悔するようなことをやめよ。
    怠けてはならぬ。
    そうして修行者は閑静な座所・臥所に
    住まうべきである。

926、多く眠ってはならぬ。
    熱心に努め、目ざめているべきである。
    ものぐさと偽りと談笑と遊戯と婬欲の交わりと
    装飾とを捨てよ。



明来闇去

2020-06-25 00:22:18 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第四 八つの詩句の章 

                  14、迅速


921、〔質問者いわく〕、「眼を開いた人は、
    みずから体験したことがら、
    危難の克服、を説いてくださいました。
    ねがわくば、正しい道を説いてください。
    戒律規定や、精神安定の法をも説いてください。
 
922、〔師いわく〕、「眼で視ることを貪ってはならない。
    卑俗な話しから耳を遠ざけよ。
    味に耽溺してはならない。
    世間における何ものをも、
    わがものであるとみなして固執してはならない。

923、苦痛を感じることがあっても、
    修業者は決して悲嘆してはならない。
    生存を貪り求めてはならない。
    恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。


明来闇去

2020-06-24 00:25:56 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

                  14、迅速


918、これ(慢心)によって『自分は勝れている』と思ってはならない。
    『自分は劣っている』とか、
    また『自分は等しい』とか思ってはならない。
    いろいろな質問を受けても、自己を妄想せずにおれ。

919、修行者は心のうちが平安となれ。
    外に静穏を求めてはならない。
    内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない。
    どうして捨てられるものがあろうか。

920、海洋の奥深いところでは波が起こらないで、
    静止しているように、静止して不動であれ。
    修行者は何ものについても欲念をもり上がらせてはならない。


明来闇去

2020-06-23 00:27:57 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

                  14、迅速


915、〔問うていわく、――〕
    「太陽の裔である偉大な仙人(ブッダ)、あなたに、
    遠ざかり離れることと平安の境地とをおたずねします。
    修業者はどのように観じて、
    世の中の何ものをも執することなく、
    安らかにいるのですか?」

916、師(ブッダ)は答えた、
    「〈われは考えて、有る〉という
    〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ。
    内に存するいかなる妄執をもよく導くために、
    常に心して学べ。

917、内的にでも外的にでも、
    いかなることがらをも知りぬけ。
    しかしそれによって慢心を起こしてはならない。
    それが安らいであるとは真理に達した人々は
    説かないからである。



明来闇去

2020-06-22 00:13:23 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

              13、並ぶ応答――長篇


913、過去の汚れを捨てて、新しい汚れをつくることなく、
    欲におもむかず、執着して論ずることもない。
    賢者は諸々の偏見を離脱して、世の中に汚されることなく、
    自分を責めることもない、

914、見たり、学んだり、考えたりしたどんなことについてでも、
    賢者は一切の事物に対して敵対することがない。
    かれは負担をはなれて解放されている。
    かれははからいをなすことなく、
    快楽に耽ることなく、求めることもない。
    ―――師はこのように言われた。


明来闇去

2020-06-21 00:15:23 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

              13、並ぶ応答――長篇


910、(「われは知る」「われは見る」ということに)
    執着して論ずる人は、
    みずから構えた偏見を尊重しているので、
    かれを導くことは容易でない。
    自分の依拠することがらのみ適正であると説き、
    そのことがらに(のみ)清浄(となる道)を認める論者は、
    そのように(一方的に)見たのである。

911、バラモンは正しく知って、妄想分別におもむかない。
    見解に流されず、知識にもなずまない。
    かれは凡俗のた立てる諸々の見解を知って、心にとどめない。
    ――他の人々はそれに執着しているのだが、――

912、聖者はこの世で諸々の束縛を捨て去って、
    論争が起こったときにも、党派にくみすることがない。
    かれは不安な人々のうちにあっても安らけく、泰然として、
    執することがない。
    ――他の人々はそれに執着しているのだが。――



明来闇去

2020-06-20 00:17:29 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第四 八つの詩句の章 

              13、並ぶ応答――長篇


907、(真の)バラモンは、他人に導かれことがない。
    また諸々のことがらについて断定をして
    固執することもない。
    それ故に、諸々の論争を超越している。
    他の教えを最も勝れたものだと
    見なすこともないからである。

908、「われは知る。われは見る。これはそのとおりである」
    という見解によって清浄になることができる。
    と或る人々は理解している。
    たといかれが見たとしても、それがそなたにとって、
    何の用があるだろう。
    かれらは、正しい道を踏み外して、
    他人によって清浄となると説く。

909、見る人は名称と形態とを見る。
    また見てはそれらを(常住または安楽であると)
    認め知るであろう。
    見たい人は、多かれ少なかれ、それらを(そのように)
    見たらよいだろう。
    真理に達した人々は、それ(を見ること)によって
    清浄になるとは説かないからである。



明来闇去

2020-06-19 01:17:40 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

              13、並ぶ応答――長篇


904、かれらは自分の教えを「完全である」と称し、
    他人の教えを「下劣である」という。
    かれらはこのように互いに異った執見をいだいて論争し、
    めいめい自分の仮説を「真理である」と説く。

905、もしも他人に非難されているが故に
    下劣なのであるというならば、
    諸々の教えのうちで勝れたものは一つもないことになろう。
    けだし世人はみな自己の説を堅く主張して、
    他人の教えを劣ったものだと説いているからである。

906、かれらは自分の道を称賛するように、
    自己の教えを尊重している。
    しからば一切の議論がそのとおり
    真実であるということになるであろう。
    かれらはそれぞれ清浄となるからである。



明来闇去

2020-06-18 02:38:49 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

              13、並ぶ応答――長篇


901、あるいは、ぞっとする苦行にもとづき、
    あるいは見たこと、学んだこと、思索したことにもとづき、
    声を高くして清浄を讃美するが、妄執を離れていないので、
    移り変わる種々なる生活のうちにある。

902、ねがいを求めるには欲念がある。
    また、はからいのあるときには、おののきがある。
    この世において死も生も存しない者、
    ―――かれは何を恐れよう、何を欲しよう。

903、或る人々が「最高の教えだ」と称するものを、
    他の人々は、「下劣なものである」と称する。
    これらのうちで、どれが真実の説であるのか?
    ―――かれらはすべて自分らこそ神理に達した者であると
    称しているのであるが。



明来闇去

2020-06-17 00:39:32 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
    
               第四 八つの詩句の章 

               13、並ぶ応答――長篇


898、戒律を最上のものと仰いでいる人々は、
    「制戒によって清浄が得られる」と説き、
    誓戒を受けている。
    「われらはこの教えで学びましょう。
    そうすれば清浄が得られでしょう」といって、
    〈真理に達した者〉と称する人々は、
    流転する迷いの生存に誘(ひ)き込まれている。

899、もしもかれが戒律や誓戒を破ったならば、
    かれは(戒律や誓戒の)つとめにそむて、
    おそれおののく。
    (それのみならず、)かれは
    「こうしてのみ清浄が得られる」と称えて
    望みを求めている。
    たとえば隊商からはぐれた(商人が隊商をもとめ)、
    家から旅立った(旅人が家をもとめる)ようなものである。

900、一切の戒律や誓いをも捨て、
    (世間の)罪過あり或いは罪過なきこの(宗教的)
    行為をも捨て、「清浄である」とか「不浄である」
    とかいってねがい求めることもなく
    それらにとらわれずに行え。
    ―――安らぎを固執することもなく。


明来闇去

2020-06-15 00:16:02 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~
   
               第四 八つの詩句の章 

              13、並ぶ応答――長篇


895、これらの偏見を固執して、
    「これのみが真理である」と宣説する人々、
    ―――かれらはすべて他人からの非難を招く。
    また、それについて(一部の人々から)称賛を
    博するだけである。

896、(たとい称賛を得たとしても)それは僅かなものであって、
    平安を得ることはできない。
    論争の結果は(称賛と非難との)二つだけである、
    とわたしは説く。
    この道理を見ても、汝らは、無論争の境地を安穏であると
    観じて、論争をしてはならない。

897、すべて凡俗の徒のいだく、
    これらの世俗的見解に、智者は近づくことがない。
    かれは、見たり聞いたりしたことがらについて
    「これだ」と認め知ることがないから、こだわりがない。
    かれはそもそもどんなこだわりに赴くのであろうか?