浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2021-02-28 00:34:07 | 明来闇去

          恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

            第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

            心の教えを正しく行うと証がついて回る


救霊法

古いお話ですが、ここで日露戦争があった頃にまで遡りますが、
青森県の八甲田山で、
ロシアを仮想敵国とした雪中行軍の訓練がありました。
その時に、雪の中で遭難し、二百数十名もの尊い命が失われました。
これは有名な話しで、映画化されたほどです。

二百数十名が遭難して以来、その山に泊まった人は、
雪の中を歩くザクザクという足音を耳にするようになったのです。
その場所で事故も多く起きてきました。
これはもちろん浮かばれない兵隊さんたちの霊が現わす現象です。

ご縁によりその場に行き、次のようにその方々に呼びかけました。
「あなたがたは、時代の犠牲者としてこの雪の中で亡くなられました。
本来、死というものが訪れたらこの世から思いを放して、
素晴らしい光の世界へ帰らなくてはなりません」と。
そして、帰る方法をお伝えして救われていただきました。
その方法は、「救霊」といっています。
敢えて「除霊」とか「浄霊」と呼ばないのには理由があります。
それは、悪霊退治のイメージとは正反対なものなのです。

「悪霊よ、退散しろ!」とか「浄まれっ!とか「おのれ、迷うたかっ。夜叉と
化したおまえにはこれ以上災いをさせまじ」などと力づくでやってしまうと、
行者が九字でも切って験力を使って、
いかにも汚らわしく低級な不成仏霊を最大の憎しみをこめて
追っ払うみたいになってしまいます。
むしろこっちのほうが残忍かつ無慈悲な感じで、心が寒くなってしまうと印象があります。
サタンと言えども神の子であるという言葉があります。
本当の神様はそんなことをされるでしょうか。
神の御心は、私心なし、自我なし、対立なし、つまり、すべては宇宙そのものと、
また光そのものと大調和するものです。

もとはみんな神の子であるという前提のもとに、たとえ今は悪と現れていようが、
迷える霊と現れていようが、必ず消え去る、
必ずよくなると信じることが救済の第一歩です。
かれらの意識が陥っている誤解や思い違い、仏教なら迷いとか無明とか
転倒妄想と呼ぶ状態から、一心に真実を説いてさしあげることにより、
その魂を救出させていただくのです。
愛の光と言霊の響きをもって、どんな魂の方も分け隔てなしに、
心の苦しみの世界からお救いするのが愛ある方法です。
万霊済度の法だと思います。

ですから、八甲田山に行ったこの時も、雪中行軍中に遭難して亡くなりながら、
今もさまよう兵隊さんたちに、
自分の死の自覚、死に至った理由としての時代の
犠牲ということをお話させてもらい、
それから個人の反省を勧めました。

そして、「あなたがたは神の光をいただいて救われなければいけません、
あの光の世界へお送りしましょう」と、経文を唱えてお聞かせしたのです。
その結果、救われてくれました。
その証拠は何かと言いますと、もう足音が響かなくなったということです。
又、事故もなくなりました。
昭和六十三年頃のことだったと記憶しています。




明来闇去

2021-02-27 00:12:05 | 明来闇去
 
  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

          第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

          心の教えを正しく行うと証がついて回る


月山ハイウェイの幽霊をお救いする

これも山形の酒田での話しですが、
月山ハイウェイの件から五年も過ぎた頃のことです。
北港というところがあって、そこで次々と事故が起き、
何十人もの人が死んでいるそうです。
この恐ろしい魔の場所を是非お願いしますとのことでした。
うまくいくかいかないか、行じてみないとわかりませんよといって、
その場所へ案内されました。

その結果、ありがたいことに、その後一件も事故が起こっていないようです。
縁あるまでは、三十六回の事故で何十人もの人が死んでいたようです。
だいたい目に見えない世界のことですから、
人には理解されにくいことですが、
この社会には現代医学、科学でも解決できないような、
精神病や精神異常などが少なくありません。
とくに近年は異常犯罪や少年犯罪は増えています。
精神病なら何々病と名前をつけて解明したつもりになっていますが、
それでも完全な解決は難しい問題になっています。

本当のところ、先にも述べたようにあらゆる波動が今の世にはあふれ返り。
いいものも変なものもゴチャコチャになって、
ちょっと油断すると変な波動に影響されて、
妙に寂しくなったり、イライラしてみたり、自殺したくなったり、
人を傷つけたくなったり、殺したくなったりするのです。
その中にはもう亡くなっているのに死の自覚さえできず、
まだ霊界に行けずに、
幽界あたりでさまよっている霊の方々があります。
生きているのと死んでいるのとを区別のつかない方たちが、
地上に未練を残し、

自分で消化しきれない思いを生きている人間に取り憑いて果たそうとするのが、
様々な事件として現れることがよくあります。
それに対する今日までのこの社会の認識も対策もあまりにも不十分すぎて、
一人一人はこうした影響から無防備であると言わざるをえません。

だから、生きている私たちがこういうさまよえる意識体と同通しないように
常に油断せず、心を正しておくことを、日頃から心がけなくてはなりません。
幽界の想念エネルギーを浄め去らない限り、この社会にはいつまでたっても
真の平和と調和はやって来ないということです。
ただ、どうしても目に見えない世界のことであるため、今のところこの三次元
の世界では、なかなかこの想念エネルギーの浄化の必要については、
その重要性がほとんど理解されていないというのが残念ながら現状です。
私たちが生まれてきて肉体をいただいて果たすべき使命と目的の一つに、
見えない世界の方々をお救いすることがあることも忘れてはならないと思います。


明来闇去

2021-02-26 00:18:26 | 明来闇去
 
  恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

         心の教えを正しく行うと証がついて回る


月山ハイウェイの幽霊をお救いする

山形県の酒田市にお話に行った時のことですが、
月山ハイウェイに何度も事故が起きる魔の場所というのがあり、
そこを通りかかることになりました。
酒田でのお話が終わり、山形市に送ってもらう途中のことです。
Yさんが、「先生、もうちょっと先に行ったら、恐ろしい所があるんです」と
おっしゃるので、説明を聞かせてもらうと、そこに来たら車が吸い寄せられ、
ハンドルがきかなくなるとのことでした。

道路のわきに平地があって、その向こうは断崖絶壁なのです。
平地の奥に大きな柳の木があってしなだれかかり、その柳の下には昼もなお
薄暗い祠がまつってあって、たくさんの石碑があります。
つまり、舞台効果満点の場所でした。
相次ぐ自動車事故は幽霊の仕業であると、
もっぱら地元の人たちの間で評判になっていました。
浮かばれない霊が車を吸い寄せるのでしょう。
事故を見た人が警察に通報すると、
警察の方は「ああ、また幽霊にやられたなあ」と言うくらい有名な場所でした。
「じゃあ、そこに車をとめてください」と言いますと、「ええっ!? あんな
恐ろしい所に車をとめるのですかぁ」という声が返ってきました。
が、とにかくそこに車を止めてもらって、そこで迷っている霊の方々に呼びかけ、
その場で説法によりお救いしました。

それ以後、いっさい事故は起きていないそうです。
なぜわかるのかというと、実はこれには後日譚があります。
その場所を案内してくださったYさんは、
それ以後、私が酒田に寄せってもらう度に、
私の到着の前日までには必ず警察に行って、「去年の何月何日から
今日までにここで事故は起きていますか」確認をとられるのだそうです。
すると、いつ聞いても、あれ以来、
一件も事故は起きていないとのことだったのです。
警察の方も不審そうな顔をされ、
「なんでそんなことを聞きにくるんですか」と
尋ねたそうです。

すると、「いや、実は迷っている霊を救ってもらったんですよ」とYさんが
答えられ、警察の方もびっくりして、「へぇー、日本にそんな偉い人、
いるんですか。どこの方ですか」と聞かれて、私の名前を言うと、警察手帳に
記入されていたそうです。
わるいことはできません。
自らの使命を悟った時、その使命を果たすだけです。
実は迷っている方をお救いすることは、
この世に生きていらっしゃる方々をお救いすることでもあります。
放置しておいたなら、続出するだろう事故の犠牲者の方々もお救いできるのは
極めてありがたいことです。


明来闇去

2021-02-25 02:28:35 | 明来闇去
 
恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

          心の教えを正しく行うと証がついて回る


自然界に現れる現証

全国各地に講演や癒しに出かけると、
最悪と言えるくらい天候がわるいと天気予報で予想されていても、
その予報ははずれ、行き先で晴れてくれることが不思議と多いです。
たとえば、気象衛星による予測が降水確率100パーセントの地域だったとしても、
そこだけ晴れていることがよくあります。

日本全国雨雲で覆い尽くされている日でも、
お話に招かれて行きますと雲に丸く穴があいて、
その地域だけ日がさんさんと輝いている時もありました。
以前、台風十九号の時、山形の酒田にまいりました際も、
そこが台風の真っ真中だったにもかかわらず、
欠航だったはずの飛行機が飛んで庄内空港に降り立ったことがありました。
「JRも止まり、飛行機も飛んでいないのにどこから来られたのですか」と
不思議がられました。

また、連日の雨で県下にも水害が出ていた時に山口に寄せてもらいました。
けれども、その日はものすごくお天気がよかったのです。
そのあとに長門に移動しますと、長門は晴れて山口はドシャ振りだったそうです。
九州の阿蘇に行った時のことです。
野外にシートを敷き、食事をいただいていました。

雨が降りそうですね、と言っている間に、急に前方に大雨が降ってきました。
不思議なことに目の前で大雨が降っているのに、
私たちのところには降らないのです。
昔から夏の夕立ちは馬の背を越すと言います。
しかし、その時は夏ではなかったのです。
阿蘇の噴火口は昔から自殺の名所で有名だったそうです。
その人たちの霊を救って下さいとのことで、火口へ行きました。

すごい硫黄の臭いで喉が痛く、咳が止まりません。
もくもく白い煙が上がってきます。
火口は急な斜面で、一度落ちると自力では絶対に上がってこれない
巨大な蟻地獄のようでした。
火口に立って天に手をかざして祈りました。
しばらくして咳が全然出ませんので、気がつくと、なんと噴火がピタッと
止まって、煙がまったく出ておりません。
きれいな火口の対岸が見えました。
地元の方によりますと、こんなことは絶対にないことですとの話でした。

このように法に従って己を捨てて、人々の幸せのために身を捨てて
行動にしたがった時に、自然界も心を動かし、
様々な現象を示していただけます。
ただ、ふつうの生活のすべてから離れ、人々のために身を犠牲にしている姿は、
この世的に見れば非愴な姿に見えると思います。
高速道路を車で走っていて、濃霧のために道路の横の景色は全く見えないのに、
前方数十メートルはきれいに晴れていくことはよくあります。

制限時速がないドイツのアウトバーンを170キロほどで走っていた時も、
両サイドは濃い霧の海なのに前方だけは海が裂けたように視界が開けていきました。
日本中どこを車で走っていても、信号が赤になることが少なく、
赤でも近づくとうまい具合に青に変わってくれ、
ほとんどノンストップで目的地にたどり着けるということはよくあります。
しかも他の車に次々に道を譲られて快調に走りながら、
常に守られているという安心感と感謝があります。


明来闇去

2021-02-24 00:12:08 | 明来闇去
 
       恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

           第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

           心の教えを正しく行うと証がついて回る


            あらゆるものが光ってくる祈りの効果
先の続き・・・

祈ったら光ってくる。
理屈抜きで本当にそうなるのです。
なぜかと問うよりも直接、自分の前で祈り、
対象物が光ってくるのを体験したほうがいいでしょう。
各家庭にある仏壇で、中が暗いものがあります。
その場合はご先祖様が成仏されていないことがあります。
奥が薄暗い仏壇の前で祈らせていただくと、
だんだんと明るくなってまいります。
その変化を写真に撮影して、祈り始めから一か月後、三か月後、半年後と
それぞれの明るさを比較すると、最初のものがいかに暗いか、
そして後になるほど仏壇全体が光輝いているのが明らかにわかります。

また、イタリアの有名なミラノのドゥオモ(キリスト教の聖堂)に行きました時、
手探りしなければ見えないほど暗い堂内が、祈らせていただくと、
たちまち昼間のように輝き出しました。
これは奈良県のOさんという方の旧家に伺った時のことですが、
先祖伝来の家宝である屏風絵に光を入れますと、

池の水面に映った山の木々までもが鮮明に
浮かび上がり、またそれまでなかったはずの図柄が
はっきりと浮かび上がってまいりました。
そういうことは写真でもよくあることで、掌をしばらくかざしていると、
結婚式の写真の背景にシュロの葉が浮き出てくるのです。

つまり、明るくなったので、今まで闇に沈んでいた像が鮮明になって
浮かんでくると言うこともできましょう。
ところで、浄心庵には治療をかねて、病弱の友人、兄弟の写真とか、
幸せになってほしい人の写真を持ってきて、
光を入れてくださいという方がたくさん見えます。
不思議と良い結果が出ています。

貴金属を持って来られ、
これをもっと輝かせてくださいという方もいらっしゃいます。
貴金属などは掌の上にのせ、片手をかざすとたちまち輝いてきます。
これから赤ちゃんを産み、お母さんになるという方も見えます。
そういう方にもお腹の赤ちゃんに祈ります。
「このお子の人生に健康と幸せをお守り下さい」と。

癒しをさせていただいた方で癌が治ってしまった方や
リューマチが治ったという方、
また複雑骨折や火傷などが完全によくなったという方などが
数え切れないほどいらっしゃいます。
物質も生き物も人間もおそらく意識を備えた細胞を
持っている点では変わりないと思います。

調和した神の愛の心を持って実践した時、
不調和な部分が心にせよ肉体にせよ、
調和されて完治し、物であれば浄化され、
純化されるものと考えられます。
先般、アメリカで質問がありました。

「どんな病気でもみんな治るのですか」。
それに答えました。
「どんな病気でもみんな治れば私は神様です。私は人間ですから、
どんな病気でも治ることはありません」と。
皆が治り、死ぬ人がなくなれば困ります。


明来闇去

2021-02-23 00:08:12 | 明来闇去

        恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

         心の教えを正しく行うと証がついて回る


           行く先々で金粉が舞い降りる現証

先の続き・・・

インドのクシナガラにブッダの入滅されたところに建つ涅槃堂があります。
その中へ入らせてもらい、しばらくすると、天井は漆喰のカマボコ型ですが、
直径三、四センチくらいの大きな金箔がまるで花びらの舞い降りるように
一面に降ってきました。
インド人のガイドさんは四十前の男性でしたが、驚きのあまり心臓が急に
早く動き出し、頭の中が真っ白になって立っていることができず、その場に
うずくまり、五分くらい見動きもできなったそうです。

日本人は金を拾うのに大忙しです。
この時、九州グループのバスに同乗しておりましたが、
二十三名のうち金の降ってくるのを目撃したのは十八名、
降ってくるのを見なかったという人は五名でした。
どうして降ってくるのを見なかったのかと聞きますと、
拾うのに忙しかったそうです。
人の心はいろいろです。

その時、随行していた九州の歯医者さん夫婦ですが、あれは長尾先生の力ではなく、
自分の力で降ったのだと吹聴して歩いていたそうです。
竜のたとえ話しがあります。
竜は池に千年、野に千年、山に千年と三千年もの長い間、厳しい修業を積んで
やっと雲を呼び、雲に乗って天に昇り、雷を呼び、雨を降らす力を得ると言います。
さて、たまたま寄生虫が竜にとりつきました。

最初は竜の行動を見て、竜は凄いなと思いましたが、
いつも竜にくっついていると竜と同じ行動をしますので、
そのうちこの竜を動かしているのは自分の力だと錯覚してきました。
そうしてついに、自分は竜よりも偉いのだと思うようになってしまいました。
ところが、竜から離れるとただの寄生虫だったということです。
これは私たち人間社会でもよくあることです。

奇跡にとらわれては心の中道を見失い、霊的な力に迷って増上慢となりますと、
心は本来の魂の磨きを忘れ、正しい法の実践から遠く離れてしまいます。
香港島のコンベンションセンターという場所で、広東語と英語と二カ国語の
通訳が入り、講演をさせていただいた時のことです。
波止場で船を待っていて、いよいよドラの音とともに船出という時に、
私の立っていた場所の足下に金粉が盛り上がっているのを発見しました。

同行の方も見ているのですが、歩く度に足跡のようにして金が出てきました。
ビデオにも写っていますが、同行の方の言うのにはドンブリ一杯ほどあったそうです。
ちょうど夜間でした。
足下の金は夜空の星のようにキラキラと光り輝いておりました。


明来闇去

2021-02-22 00:15:24 | 明来闇去

       恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

          第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

           心の教えを正しく行うと証がついて回る


行く先々で金粉が舞い降りる現証

「私は今、金粉を降らせてください、
こういう現象を見せてくださいと言ってお祈りをさせてもらったわけではありません。
それなのに、二千五百年余りの昔のインドでゴータマシッダルタという名で
釈迦族の王子であったお釈迦様と奇跡の話しをさせていただいていると、
神様がこういう現象を実際に見せてくださるのです」と、説明させていただきました。
また、「各地に寄せてもらいましても、その場所によって金粉の現証がまったく
現れない場合もあります。
今こういう不思議な出来事を体験させてもらえるのは、
みなさんの心が調和していたからであると思います」と、お話をしました。
しかし、なおも会場では金粉ひろいが続いていたので、
「私が一生懸命話しをしてもみなさんが聞いてくださらなかったら・・・」と
言ったものですから、会場から爆笑が起こりました。

いつだったか、講演会に見えられたおばあちゃんから、
後で電話が入り、金粉に関して「隠しもっているでしょ」と言われるのです。
ポケットにでもこっそりと金粉をあらかじめ忍ばせておき、
歩く度にそれをまいているというわけです。
しかし、私の仕事は詐欺師ではありません。
そんな大人げない細工をこらしてもなんにもなりません。
それどころか、神様の前に人々を欺いたならば、私は間違いなく地獄行きです。
そんな馬鹿なことをするわけがありません。

第一、 自分の意志とは無関係に起きてくる現象です。
それは神様が人々のために見せてくださる証しですから、種も仕掛けもございません。
心の世界と一つにつながった物質の世界で神様のお導きにより、
心の力の偉大さに目覚めさせようと奇跡を現わしてくださるのです。
奇跡というのは神の愛によるものだと思います。
ですから、私たちはここから何かを学ばないといけないのです。


明来闇去

2021-02-21 06:55:23 | 明来闇去
 
    恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

        心の教えを正しく行うと証がついて回る


          行く先々で金粉が舞い降りる現証

弟子を伝道に出される時に、お釈迦様はおっしゃいました。
「あなたたちの赴くその土地の天と地と多くの人々の幸福と利益のために
尽くしなさい」と。
我が人生の来し方をふりかえれば、長年にわたって、国内、海外を問わず、
あちらこちらへとでかけて行っては、
夜も寝ないでこの御言葉の精神を実践させていただいてきました。
地方に車で行き、講演させてもらい、癒しをさせていただく時も、
夜中にやっと寝るということが多いです。
自己の思いの中からすべての自我というものを捨て去って、
ただ赴く所の天と地と多くの方々の幸福と利益のために、
己を忘れて命をかけて自らの肉体を使わせていただいた時、
必ず神様は不思議な出来事を現わし、
その力を見せてくださいます。

空中からキラキラと金粉が舞い降りてくるという現象も、その一つです。
神様がお現わしになる「現証」です。
仏教の儀式ではよく蓮の花をかたどった紙が散華されます。
その由来は、尊いお釈迦様の説法の場で何もない宇宙空間より蓮の花びらが
舞い降りたといわれています。
しかし現実は金が舞い降りてきたのだと思います。
これも自分の体験したことですから、信じる信じないはその人の自由です。
「井の中の蛙大海を泳ぐ鯨を知らず」で、
自分で確かめ納得のいったものだけしか信じることはできません。
もう何度も何度も行く先々で金粉が降ってきたり、歩いたところに金粉が散り
敷かれていたりという体験を重ねています。

たとえば、ある時は講演会で演壇に向かって歩いていきますと、
歩いた足跡から花の咲くように次々と金が出てきて、最後には演壇までの真っ直ぐな通路の
絨毯が一面に金を散り敷いたように黄金に輝いていました。
そのような体験からして、お釈迦様の御足を頭上にいただいて行われる儀式も想像できます。
私のような者でも、そのような奇跡を見せていただけるのですから、
ましてやお釈迦様の場合なら当然そういうことは常にあったことでしょう。

歩かれたら必ずそこには金が出るだろうし、
お説法される時は必ずその場に金が降ってきただろうと思われます。
こういうお話をさせてもらっていた時です。
講演会の会場の天井が板張りであるのに会場一面に金粉が降り出しました。
そこにいた全員が金粉をひろうのに熱中されているので、
私の話しも一時中断せざるをえませんでした。


明来闇去

2021-02-20 00:38:31 | 明来闇去

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

        第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

        心の教えを正しく行うと証がついて回る


作善止悪という簡単で難しい実践

奇跡は求めて得られるものではなく、そういう気持ちさえ忘れて、一生懸命に
日々のやるべきことをやり、また心の学びを人生の中で地道に行っていく時に、
必要に応じて与えられます。
私たちにできるいちばん基本的な法の実践とはなんでしょう。
いつもお話させていただくのは、
悪いことをしないようにして善いことはどんどんと実行していく、
「作善止悪」の実践です。
なんだ、当たり前のことじゃないか、と言われる方も多いと思いますが、
これが案外やってみるとできないものです。
残念ながら、今の世の中を見てもそうです。

悪いことをするにはなんの努力もいらず、ただ欲望のおもむくままに生きていればよく、
善いことはこれを行うのに、なかなか強い意志と勇気とを必要とします。
この言葉の由来である古い時代の中国の故事を調べると、こんな話しがあります。
白楽天という唐の時代の有名な詩人が、かねてから気になっていた
高名なふくろう和尚を訪ねます。
いつでも高い木の上で坐禅をしているので、
誰言うとなくふくろう和尚と呼ばれていました。
森の木の上にいるふくろう和尚に会うと、木の上の和尚に向かって、白楽天は
どうしたら人間は幸せになれるかと質問します。
すると、ただ一言「作善止悪」という単純な答えが返ってきました。
白楽天は思わず笑いました。

白楽天には教えのあまりのやさしさが意外に感じられ、その言葉の幼稚さに
あきれて帰ろうとした時、うしろから「三歳の童子これを知り、百歳の翁
これを行えず」と痛烈な一言がひびきました。
私たちはものの善悪は三歳にして教えられますが、
百歳になっても実践できないのが凡夫の姿です。

    「我が道は易しすぎなり 幼稚なり 人は言うなり 行いもせで」(弘)

口でいうのはごく易しいものですが、行なえる人はほとんどおられません。
悪を行うと砂袋に砂を積めるように心を重くし、善を行うと心が軽くなります。
また、よくないことをするのは、コップの中の水にスポイトで
墨を一滴ずつ落としているようなものです。
心が濁ってきたら、反省をして悔い改めます。
それから償いの善き行いをさせていただくことです。
一生懸命に善行を積ませていただくのです。
それから、法の話、真理の言葉を聴くのもいいでしょう。
そうしていれば、多少の悪を犯してしまったとしても、
その濁った水に新しい真水を注ぐことになります。
和尚は「三世の諸仏はことごとくこの法門を説き給う」と言われました。
三世は過去・現在・未来です。
いつの世にも変わらない真理として、
仏と言われる方はこの法門を説かれています。


明来闇去

2021-02-19 01:14:25 | 明来闇去

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

       心の教えを正しく行うと証がついて回る


          不思議なユリの現象

先の続き・・・

私たち人間の行為を通す以外に、具体的には神の御心をこの地上に現わせません。
そして、もし誰もかれもが、本来の神の子としての心を素直に実行し、互いに
助け合い尽くし合い、愛の光に満ちあふれた神の国が地上天国としてできるはずです。
神様はそれを最も望んでおられるのです。
個人の幸福も健康も、この神の御心と肉体にいる自分の心とが同一になった時、
はじめて運命や境遇や心境となって自然と現れてきます。
それは神の世界の光がそのまま現象界へ流れてきますから、当然と言えば当然のことです。
神様の世界に苦しみや不幸や悪や不完全のあるわけがありません。
「我が与えし、その肉の身を持ち 我が思いをこの地上に示し現わせ」。
これが、神様の願いです。

その神の御心を我が心にいただき、私たちが日々の生活の中に実践した時に、
はっきりとそれが正しい法にしたがう行為であることを証明するような現象が
現れてきます。
これが現象による証明、すなわち「現証」というものだと思います。
これまで奇跡と呼ばれてきたものの中で、真実に神様がお現わしになったものは、
すべてこういう経緯のもとに必然の結果として出てきたものだと言っていいと思います。
それは因果律の法則にかなったものです。

奇跡はたしかに不思議な現象です。
しかし、一方でこの法則を考えれば、心と行いが法に照らして正しいものなら、
早晩なんらかの形で結果が出てくる、その一つの現わし方が奇跡として現れますから、
ちっとも不思議ではないということになります。

原因はいつも私たちの心の中で思うことにあります。
つまり、私たち人間の心はいつも神霊の側からは
しっかり見られているのだということを忘れてはならないのでしょう。
厳しい心のチェック体制を怠ってはなりません。
これを怠り、自らをごまかしたりすると、憂き目に遭うのも自分自身です。
そして、奇跡を体験しても、それにたらわれ、

あたかも自分に特別な力がついたのだなどと増上慢に陥ることなく、
ああこれも神様の慈愛と励ましなんだな、
これからも怠らずに心磨きと人のためになる善き行いを
積み重ねていこうと決心を新たにすることです。
そうすれば、ちゃんとその努力は神様が御覧になってくださっています。
心の調和を目指し、正しく法にかなった生活をしていくと、
その心は神様に通じます。




明来闇去

2021-02-18 00:35:16 | 明来闇去

   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

       心の教えを正しく行うと証がついて回る


不思議なユリの現象
自然現象であったとしたなら、ユリの蕾は必ず一つずつ別々に、
時間の間隔をおいて開花するはずです。
それが同時に全部そろって咲くのですから、奇跡としかいいようがありません。
「今話させてもらったことを神様がその通りだとおっしゃって、その正しさを
証明してくださったのです。
もし、お話が間違っていたら、こんな現証は見せていただけるはずがありません」と、
お話させて頂きました。

そういう不思議なことを見せていただくことはよくあります。
浄心庵を訪れた方は必ず目にされるでしょうが、やはり講演中に百合の花が
垂直に立ってしまったという不思議な現証の写真が額に入れて飾ってあります。
ふつう釣鐘状の花は上を向くことはありません。
上を向いて咲くと花の中に雨水がたまり腐ってしまうからです。
それが茎と同じ方向にピンと上を向いて咲いています。
茎とオシベが一つづきのように直立をしています。
正しい神理を語る時は、神の力が言葉の中に宿ります。
これを言霊と呼びます。

その言霊に自然の植物も動物もすべて感応してくれます。
念力でもなければ、霊能力でもないし、
また神様以外の霊的な存在の応援による力でもありません。
自分の力で起こしているものではなく、
神様が証しを見せてくださっているのです。
山に入って護摩を焚くとか、何もそういう厳しい行をしなくても、
日々の生活の中で正しい法をよりどころとして調和された
安らかな心で生きていけばいいのです。
もっと具体的に言うと、反省と与えられた環境への感謝です。
無償の愛の実践です。

ウィスキーの空き瓶にたまった皆さんの愛の真心の募金を寄付できたのを
神様が喜んでいらっしゃると、お話させてもらっていると、ユリに奇跡が起きた
―――ということをもっとわかりやすく説明すると、以下のようになります。
神様はこの物質や肉体の目には見える現れの世界では、
御姿を現わして直接人助けなどの善い行いをされるわけにはいきません。
神様は肉体も声もお持ちにならず、ふつう私たちには見えない存在です。
しかし、「人の目を通して語り給う」という言葉があります。

「我が行為 神の御心あらわさん 父の御心世に示さんがため」(弘)


明来闇去

2021-02-17 00:11:02 | 明来闇去
 
   恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

           第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

           心の教えを正しく行うと証がついて回る


不思議なユリの現象

安らかな気持ちで正しい法の中に生活していると、自然界さえもその証明を
見せてくれることがあります。
これは或る会場で起こった出来事で、その場にいたたくさんの人々も同時に
体験したことですが、だいぶ以前に大阪の柏原市という所でお話をさせて
もらった時のことです。
細長いかたい蕾のユリを何十本も生けていただいておりました。
ユリは頭が重いですから、茎が曲がって首を垂れたように四方へ
開いた形に生けていただいていました。
「まあ、綺麗なユリを生けていただいたのですねえ」と、
感動は思わず声になりました。

当時自宅には大きなウイスキーの空き瓶がおいてありました。
その瓶には「あなたさまの愛を恵まれない不幸な方々にどうぞ、
私も実践しております」と書いて貼ってあるのですが、
そこに五円、十円、一円あるいは
千円と思い思いに皆さんが喜捨をしてくださいます。
空き瓶にいっぱいになると、福祉施設から身寄りのないお年寄りや赤ちゃんの
世話をしていただいている施設に寄付させてもらいます。
幸い大きな瓶二本が一杯になりましたので、
これを柏原市の福祉の方に使ってもらってくださいといって預けました。
そのことを例にあげながら、奉仕と愛の実践についてお話をさせていただきました。
神様は私たちに何をいちばん望んでいらっしゃるでしょう。

私たちよりもさらに恵まれない不幸な人々のために、愛の手をさしのべた時、
神は、「よくやってよくやってくれました。私はその思いでいっぱいであるが、
それを形に表すことができない。
私の思いをあなたはよく行ってくれました」と、神様はおおせられ、
お喜びになるにちがいありません。
そのように話しておりますと、何十本も生けてあったユリの、
それまでは細長くかたく閉じた蕾であった花が、いっせいに全部開いたのです。
曲がっていた茎も一度全部垂直に立ち上がりました。

みなさんがいっせいに驚きの声をあげました。
ただ一本だけ、さっきの状態を証明するかのように茎が曲がったままでした。
実際にすべての蕾が同時にパーッと開いたのです。
わたしの今のお話は間違っていない。
そんな確信を与えるように、植物も喜んで応えてくれたと思います。
二部屋向こうの鏡台の上に一輪ざしで生けてあったユリもいっしょに開きまいた。
大勢のみなさんが見ている目の前で起きた出来事です。


明来闇去

2021-02-16 00:43:02 | 明来闇去

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

       心の教えを正しく行うと証がついて回る


お釈迦様やイエス様の心身の癒しは反省を重ね、
自らの心を徹底して見つめるとともに、
太陽にも等しい神様の御心を行ないに現わしていく。
そうした善い原因の種を蒔いていった結果として、
神がいとし子である人間の肉体を使い、
多くの人々の心身を癒す無限なる力を授け給い、
いとし子たちは神様の愛と、その有り難さを身をもって知らされます。
これは私の体験をとおして知った、法と人間、神と人間の関係です。

自分の外界の現象ではありません。
神と人間との関係は自分の内なる事実として発見すべきものです。
ここに紹介するのはあくまで一個人の体験です。
真理は、たとえ悟りを得た宗教指導者の場合でも、
あくまで個人の体験によってのみ知りうるものであるという現界があり、
その人の実践を見る以外に誰かと分かち合うことも証明することもできないはずです。
ところが、不思議な出来事というものを通すと、
私たちの心の奥底に秘められた神の力は物質化され、
目に触れる形に現わしていただけますから、
どのような否定論者であっても否定することはできません。
昔から奇瑞とか霊験譚とか、所謂不思議な兆しやお陰話しの類はよくあります。

高度な法の話しや厳しい修業だけでは、なかなか多くの人々を救うのは困難なために、
こうしたものの存在意識があります。
これらはみな神が人間の心を正しく導くための方便として使われるものです。
日夜起きている出来事もそういう性格のものです。

なぜこのような出来事が起こるのかについても、真に人間の心が調和した際には、
神の分け御霊、分け命として生命を与えられている私たちに神の本源からの生命の光、
愛の光が障りなくそのまま流れてきて、
ふつうなら考えられもしない奇跡的な出来事が起きてくるという、
原因と結果の法則から理解することができると思います。
お釈迦様もイエス様もできる限り嘘をつかない、
言ったことは命をかけて守る言行一致の実践をされ、不惜身命の努力をもって示し、
愛行を日々行じてくださったにちがいありません。

地球社会を理想の世界に立て替えるため、今の時期に生まれてきた私たちは
偉大な人類の大指導者であり、尊師であり、大先生である、聖者方の、
遠きにありても近き弟子として、その実践をとおして生きて行きたいと思います。
自らの行いが神の御心とズレていないか、少しの狂いも赦さぬように、
毎日毎瞬、己れを見つめ反省を欠かさないように努力していきたいものです。
これは私たちが自らに課せられた魂の修行でもあります。
そして、その結果、私たちは神様から愛され、信頼される人間として、
多くの人々の下僕となって生き抜くことです。
正しい法の教えの実践とともに、与えられた調和の役目を果たしていきたいと
思います。


明来闇去

2021-02-15 00:43:37 | 明来闇去
 
 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

         第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

     奇跡の真の目的――地球の波動の次元上昇する
             二十一世紀に向けて


先の続き・・・

心というものがここに現れている環境、物質世界を生みだしている原因であれば、
自分の心を自由自在にコントロールすることができれば、いつも自分の
望ましい楽な世界に安住することができます。
想念はエネルギーであり、思いは力だと言われます。
そして、たとえ粗悪な環境に落ち込んでも、人間は思い一つで、
また心の用い方一つで、一転して高い世界に行くこともできるので、
心は錬金師でもあり、マジシャンのようでもあります。
自分の運命さえも自分の心がつくっているのですから、
私たちは原因と結果の法則を知り、
自分の想念行為に責任があることに気付くべきです。
過ちを犯し、人や自分を傷付けたまま、反省もせずに自らの運命のわるさを
嘆き、自らの心を苦しめていくか。

自分の過ちに気付いて素直に改め、正しく自然の法則にかなった調和した
生活を行うことによって、多くの人々の心に明るさや希望や勇気を与え、
自らが幸せになるとともに、他をも幸せに導いていくか。
そのどちらも神から与えられているのが人間の心です。
そして、この本に縁ある方々が、原因と結果の法則を理解して正しく生きた時には、
こんな有り難い出来事の援助も与えられるのだということを知る機会と
してくださったならば、この本の出版目的も果たされると思います。
誰の心にも宿る神我の存在を信じて、それに目覚めようという情熱が一人でも
多くの方の胸に喚起されることが、神の喜びともなります。
そもそも、奇跡は興味本位で見たり聞いたりするものではありません。

テレビでもやたらと興味本位の番組として霊能者を紹介したり、
UFOや不思議な現象をつかったりしすぎます。
商業ベースで利益さえ上がれば何でもよいという考えは反省すべきです。
奇跡とは、物質世界の常識にとらわれた人々が、
科学ではもはや証明できないほどの不思議な現象が、
心の在り方や用い方によって起きるのだという事実
に目覚めるために現わされているものです。
心が主導権を握り、物質世界を思いのままに動かしていくのです。
こういうことが、これから人々の心が調和してまいりますと、
可能になってくると思います。



明来闇去

2021-02-14 00:19:56 | 明来闇去

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より

       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密

    奇跡の真の目的――地球の波動の次元上昇する
          二十一世紀に向けて


先の続き・・・

この物質世界のすべての現れには、必ず原因があります。
どのような出来事も例外ではありません。
その原因となる心に気付くべきです。
この心というのは不思議なものです。
一念三千という仏教用語があります。
思い方が三千通りあるとすれば、
それに応じて現れてくる世界が三千あるという意味です。
また、一念にして三千の思いが起きるとも言われます。
たった今、私たちの置かれている世界は、
私たちが抱いている思いによってつくられている世界です。
次の瞬間にはもう別の思いが呼ぶ別の世界に行っています。

さっきまで美しい景色を見たり、友達と笑いあって楽しんでいたと思ったら、
ちょっとしたことで腹を立て、クシャクシャしている。
この時は、上のほうから下へと住む世界は一気に下降し、
レベルダウンしていることになります。
ここで誰かのせいで腹を立てさせられたなどと思わず、
自分で自分の心を苦しめていることに気付いて、思い方を変えると、
また新たに調和した楽な心の映し出す世界へと瞬間的に移動することができます。
物質化現象世界(この世であり、目に見える世界)は実在界
(あの世であり、目に見えない世界)と渾然一体となって存在しています。
肉体は見ることはできますが、心は見ることができません。

この目に見えない心こそ目に見える肉体を動かしているエネルギーだと言えます。
心は主であり肉体は従とも言います。
主であるべき心を苦しめますと従である肉体も苦しんで当然のことです。
自分の心を苦しめない生活こそ私たちの日々の修行でもあります。
心の苦しみにも数多くありますが、怒り、妬み、謗り、愚痴、うらみ、
憎しみ、貪欲、取越し苦労などが代表的なものです。
この様な思いをできるだけ自分の心に入れない練習の積み重ねこそが
健康で平安で幸いへの道であると思います。
又、人にも苦しみを与えてはいけません。
それは必ず自分に返ってくるからです。