浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2020-02-29 00:47:54 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
               第三 大なる章 

               九、ヴァーセッタ

618、人間のうちで司祭の職によって生活する者があれば、
    かれは司祭者であって、バラモンではないと知れ。
    ヴァーセッタよ。

619、人間のうちで村や国を領有する者があれば、
    かれは王であって、バラモンではないと知れ、
    ヴァーセッタよ。

620、われは、(バラモン女の)胎から生まれ(バラモンの)
    母から生まれた人をバラモンと呼ぶのではない。
    かれは〈きみよ、といって呼びかける者〉といわれる。
    かれは何か所有物の思いにとらわれている。
    無一物であって執着のない人、
    ―――かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。



明来闇去

2020-02-28 00:35:56 | 明来闇去

添付のお写真は恩師のご講演中のものを学びの友の方が
カメラに収めたものですが、御覧のように恩師が
幽体(肉体)離脱をされています。
被写体全部が移動していますと、カメラのブレと思われる方も
おありかと思いますが、御覧のように恩師の前の演台は少しも
ブレていません。
このお写真について、恩師ご自身が後のご講演で
幽体(肉体)離脱であることを説明されておられました。


~ 恩師のご講演「ブッダのことば」より ~


        第三 大なる章 

               九、ヴァーセッタ

615、人間のうちで他人に使われて生活する者があれば、
       かれは傭人であって、バラモンではないと知れ。
       ヴァーセッタよ。

616、人間のうちで盗みをして生活する者があれば、
       かれは盗賊であって、バラモンではないと知れ、
       ヴァーセッタよ。

617、人間のうちで武術によって生活する者があれば、
       かれは武士であって、バラモンではないと知れ。
       ヴァーセッタよ。



明来闇去

2020-02-27 00:21:25 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
               第三 大なる章 

               九、ヴァーセッタ

612、人間のうちで、牧牛によって生活する人があれば、
      かれは農夫であって、バラモンではないと知れ。
      ヴァーセッタよ。

613、人間のうちで、種種の技能によって生活する人があれば、
      かれは職人であって、バラモンではないと知れ、
      ヴァーセッタよ。

614、人間のうちで売買をして生活する人があれば、
      かれは商人であって、バラモンではないと知れ。
      ヴァーセッタよ。



明来闇去

2020-02-26 00:34:08 | 明来闇去

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生のご講演中に恩師ご自身、
着衣、垂れ幕の字など全てが御覧のように黄金色に変わりました。

この時の恩師の着衣の色は灰色であったと恩師ご自身が
この後の別のご講演会で説明されていました。

垂れ幕の字の色は勿論、元々黒墨で書かれたものですが
これも黄金色に変化しています。


~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
               第三 大なる章 

               九、ヴァーセッタ

609、首についても、肩についても、
       腹についても、背についても、臀についても、
       胸についても、陰所についても、
       交合についても、

610、手についても、足についても、爪についても、
       脛についても、腿についても、容色についても、
       音声についても、他の生類の中にあるような、
       生まれにもとづく特徴(の区分)は(人類のうちには)
       決して存在しない。

611、身を稟(う)けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、
       人間のあいだではこの区別は存在しない。
       人間のあいだで区別表示が説かれるのは、
       ただ名称によるのみ。



明来闇去

2020-02-25 00:25:25 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
               第三 大なる章 

               九、ヴァーセッタ

606、次に、翼を乗り物として虚空を飛ぶ鳥どもにも、
    (種類の区別のあることを)知れ。
    かれらの特徴は生まれにもとづいている。
    かれらの生まれは、いろいろと異なっているからである。

607、これらの生類には生まれにもとづく特徴はいろいろと
    異なっているが、
    人類にはそのように生まれにもとづく特徴が
    いろいろと異なっているということはない。

608、髪についても、頭についても、
    耳についても、眼につても、口についても、鼻についても、
    唇についても、眉についても、



明来闇去

2020-02-24 00:45:01 | 明来闇去

添付のお写真は宮崎講演会の時に現れた不思議(奇跡)現象です。
御覧のように「長尾弘先生御講演会」と書かれた後ろの垂れ幕、
舞台全体、恩師「長尾弘」先生ご自身が白い光に包まれています。


 ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
               第三 大なる章 

               九、ヴァーセッタ

603、小さなものでも、大きなものでも、
    四足獣にも、(種類の区別のあることを)知れ。
    かれらの特徴は生まれにもとづいているのである。
    かれらの生まれは、いろいろと異なっているからである。

604、腹を足としていて背の長い匍(は)うものにも
    (種類の区別のあることを)知れ。
    かれらの特徴は生まれにもとづいている。
    かれらの生まれは、いろいろと異なっているからである。

605、次に、水の中に生まれ棲む魚どもにも、
     (種類の区別のあることを)知れ。
     かれらの特徴は生まれにもとづいている。
     かれらの生まれは、いろいろと異なっているからである。



明来闇去

2020-02-23 00:24:54 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
               第三 大なる章 

               九、ヴァーセッタ

600、師は答えた、
    「ヴァーセッタよ。そなたらのために、
    諸々の生物の生まれ(種類)の区別を
    順次にあるがままに説明してあげよう。
    それらの生まれは、いろいろと異なっているからである。

601、草や木にも(種類の区別のあることを)知れ。
    しかしかれらは(『われらは草である』とか、
    『我らは木である』とか)
    言い張ることはない。
    かれらの特徴は生まれにもとづいている。
    かれらの生まれはいろいろと異なっているからである。

602、次に蛆虫(うじむし)や蟋蟀(こおろぎ)から
    蟻類にいたるまでのものにも
    (種類の区別があることを)知れ。
    かれらの特徴は生まれにもとづいているのである。
    かれらの生まれは、いろいろと異なっているからである。



明来闇去

2020-02-22 00:20:18 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~


               第三 大なる章 

               九、ヴァーセッタ

597、われら両人は互いに相手を説得することができないのです。
    そこで、〈目覚めた人〉(ブッダ)として
    ひろく知られているあなたさまに
    たずねるために、やって来ました。

598、人々が満月に向かって近づいて合掌し礼拝し敬うように、
    世人はゴータマを礼拝し敬います。

599、世間の眼としてお出現したもうたゴータマに、
    われらはおたずねします。
    生まれによってバラモンであるのでしょうか。
    あるいは行為によってバラモンとなるのでしょうか?
    われわれには解りませんから、話してください、
    ―――われらがバラモンの何たるかを知り得るように。」


明来闇去

2020-02-21 00:49:32 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
               第三 大なる章 

               九、ヴァーセッタ

594、「われら両人は三ヴェーダの学者であると、
       (師からも)認められ、みずからも称しています。
       わたくしはポッカラサーティの弟子であり、
       この人はタールッカの弟子です。

595、三ヴェーダに説かれていることがらを、
       われわれは完全に知っています。
       われわれはヴェーダの語句と文法とに精通し、
       ヴェーダ読誦については師に等しいです。

596、ゴータマよ。
       そのわれわれが生まれの如何を論議して、
       論争が起こりました。
       『生まれによってバラモンなのである』と
       バーラドヴァージャは語りますが、
       わたくしは『行為によってバラモンとなるのである』
       と言います。
       眼のある方よ。
       こういうわけなのだと了解してください。



明来闇去

2020-02-20 00:44:47 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
               第三 大なる章 

               九、ヴァーセッタ
先の続き・・・

ヴァーセッタ青年は次のように言った、
「きみよ。ひとが戒律をまもり徳行を身に具えているならば、
まさにこのことによってバラモンであるのである。」
(しかし)バーラドヴァージャ青年はヴァーセッタ青年を
説得することができなかったし、
またヴァーセッタ青年はバーラドヴァージャ青年を
説得することができなかった。
そこでヴァーセッタ青年はバーラドヴァージャ青年に
告げて言った、「バーラドヴァジャよ。
シャカ族の子である〈道の人)
ゴータマ(ブッダ)は、シャカ族の家から出家して、
ここにイッチャーナンガラ〔村〕の
イッチャーナンガラ林のうちに住んでいる。
そのゴータマさまには次のような好い名声がおとずれている。

―――すなわち、かの師は、尊敬さるべき人・
目覚めた人・明知と行いとを具えた人・幸せな人・
世間を知った人・無上の人・人々を調える御者・
神々と人間との師・目覚めた人(ブッダ)・
尊き師であるといわれる。
バーラドヴァジャさん。
さあ行こうよ。
〈道の人〉ゴータマのいるところに行こう。
そこへ行ったら、〈道の人〉ゴータマにこのことがらを尋ねよう。
そうして〈道の人〉ゴータマがわれわれに解答してくれたとおりに、
われわれはそれを承認しよう。」「そうしましょう」と、
バーラドヴァジャ青年はヴァーセッタ青年に答えた。
そこでヴァーセッタ青年とバーラドヴァジャ青年とは、
師のいますところに赴いた。
そうして、師に挨拶した。
喜ばしい、思い出についての挨拶のことばを交わしたのち、
かれらは傍らに坐した。
そこでヴァーセッタ・バラモンは次の詩を以って師に
呼びかけた。―――



明来闇去

2020-02-19 00:23:16 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
               第三 大なる章 

               九、ヴァーセッタ
先の続き・・・

かれらはたまたま次のような議論を始めた、
「きみよ。どうしたらバラモンとなれるのですか?」
パーラドヴァジャ青年は次のように言った。
「君よ。父方についても母方についても双方ともに生まれ
(素性)が良く、純潔な母胎にやどり、
七世の先祖に至るまで血統に関しては未だかつて爪弾きされたこと
なく、かつて非難されたことがないならば、
まさにこのことによってバラモンであるのである。」
ヴァーセッタ青年は次のように言った、
「君よ。ひとが戒律をまもり徳行を身に具えているならば、
まさにこのことによってバラモンであるのである。」


明来闇去

2020-02-18 00:24:13 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
                 第三 大なる章 

                 九、ヴァーセッタ

わたくしが聞いたところによると、
―――或るとき尊き師(ブッダ)は
イッチャーナンガラ〔村〕のイッチャーナンガラ林に
住んでおられた。
そのとき、多くの著名な大富豪であるバラモンたちが
イッチャーナンガラ村に住んでいた。

すなわちチャンキンというバラモン、
タールッカというバラモン、ポッカラサーチという
バラモン、ジャーヌッソーニというバラモン、
トーデーヤというバラモン及びその他の
著名な大富豪であるバラモンたちであった。

そのときヴァーセッタとバーラドヴァージャという
二人の青年が(久しく坐していたため
に生じた疲労を除くために)膝を伸ばすための
そぞろ歩きをあちこちで行っていた。



明来闇去

2020-02-17 00:32:58 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

 
            第三 大なる章 

              八、矢

592、己が悲嘆と愛執と憂いとを除け.
      己が楽しみを求める人は、
      己が(煩悩の)矢を抜くべし。

593、(煩悩の)矢を抜き去って、
      こだわることなく、心の安らぎを得たならば、
      あらゆる悲しみを超越して、
      悲しみなき者となり、安らぎに帰す。



明来闇去

2020-02-16 01:09:54 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

 
           第三 大なる章 

             八、矢

589、たとい人が百年生きようとも、
    あるいはそれ以上生きようとも、
    この世の生命を捨てるに至る。

590、だから、(尊敬さるべき人)の教えを聞いて、
    人が死んで亡くなったのを見ては、
    「かれはもうわたしの力の及ばぬものなのだ」と
    さとって、嘆き悲しみを去れ。

591、たとえば家に火がついているのを水で消し止めるように、
    そのように智慧ある聡明な賢者、立派な人は、
    悲しみが起こったのを速やかに滅ぼしてしまいなさい。
    ―――譬えば風が綿を吹き払うように。



明来闇去

2020-02-15 01:57:22 | 明来闇去

~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

  
            第三 大なる章 

              八、矢

586、人が悲しむのをやめないならば、
     ますます苦悩を受けることになる。
     亡くなった人のことを嘆くならば、
     悲しみに捕らわれてしまったのだ。

587、見よ。他の〔生きている〕人々は、
     また自分のつくった業にしたがって死んで行く。
     かれら生あるものどもは死に捕えられて、
     この世で慄(ふる)えおののいている。

588、ひとびとがいろいろと考えてみても、
     結果は意図とは異なったものとなる。
     壊(やぶ)れて消え去るのは、
     このとおりである。
     世のなりゆくさまを見よ。