もともと先祖代々地元で暮らせる人々はある意味幸せだと思う。
遺産として相続できる土地や商売がある人はそれに縛られるとは言え、羨ましい。
私の父は昭和7年生まれだが、京都市内から愛知に就職で出てきた。京都市内といっても先祖代々京の街中で暮らしてきたわけではなく、私の曽祖父が明治の頃に、京都の丹波の山奥から 立身するために単身で京の街に出てきたのだ。 丹波山奥で何していたかはよくわからないが、水呑百姓だったのだろう。
曽祖父はそれなりに商売で成功し、自分の両親も京に呼び寄せ、いっときは女中や使用人も抱えるほどだった。 祖父はその商売をついだが、太平洋戦争で商売も立ち行かなくなり、祖父は職業軍人になった。
曽祖父は景気の良い時代に京の街中で土地を買っておけば良かったのに、ずっと借家のままであり、なぜか墓だけは 由緒ある寺の檀家となって 先祖の墓まで移した。
継ぐ商売もなく、土地もない父は サラリーマンになるしかなく、長男だったのにも関わらず、愛知の公務員になったので、結局ずっと愛知に住んでいる。
父はその京の墓に入るつもりで、もう生前戒名ももらっていて 準備万端である。
しかし、その墓を継ぐ子孫がいないのである。
父には息子がいるが、その先はない。
つまり、私の弟なのだか、彼が死んだらどうしたらよいのだろうか?もし、私が彼より長く生きていたとしても、その京都の寺の墓には彼の骨を入れられない。なぜならその墓の管理をしなくてはならなくなりそうだから。自分が入れない墓の管理をなぜしなければならないのか?
死ぬ時はその先の管理まで考えてほしい。
それでも管理にお金がかからないなら、問題はない。しかし、年に何回ものお布施、そして 腹立たしいのは高額な戒名料。先日友人の親御さんが亡くなったときの戒名料は100万だったとか?
私の父母は院号の1番安いのでも25万。そもそも、院号に何段階もあるのが、全く理解できない。その戒名をもらわないと寺の墓には入れてもらえない。
私などは夫に、もし急に死んだら、直葬にして、そのまま火葬場へ(今はそういうプランもある) 戒名はそれほど値段が高くなければ、適当な戒名あってもいいけど、無くてもいい。骨はできれば散骨で、できなければ一度料金を払えばもうお金がいらない共同墓に入れてくださいと遺言してある。
夫のほうも墓はあるのだか、夫も同じように、郷里を離れて就職。夫の父も同じようにその前の郷里を離れて就職と すでに故郷はない。義父の墓は義母が住んでいる家の近くに何百万もする墓を建てたが、夫も夫の兄も 多分そこには入らないだろう。なぜなら その子孫が管理することが負担だからである。
義母も新しい墓を建てるとき 遠く離れた夫の郷里の墓では墓参りもできませんと言っていたが、結局その息子達も新しく建てたお墓の墓参りもできまい。未だに義父の郷里のほうの寺の檀家にはなっているが、母が亡くなればそれも切れるだろう。
それでも夫の家のほうは、義父が五男だったし、なぜか男ばかり生まれる家系のため、裾野は結構広がっているので お家断絶とはならないのでマシだ。
ところが、私の父方も母方も あと50年もすれば、お家断絶である。
母方の墓は、200年以上も代々そこで暮らしているので、村の共同墓地にある。なので、管理も大したこともないだろう。母方のほうは 檀家だった寺と大喧嘩をしたらしく、縁が切れているので こちらももう面倒臭くない。
自分の墓だけなら あっさりと管理のいらないところに入れてもらって それだけで話が済むのだか、1番心にひっかかるのは 実家の京都にある墓なのである。
遺産として相続できる土地や商売がある人はそれに縛られるとは言え、羨ましい。
私の父は昭和7年生まれだが、京都市内から愛知に就職で出てきた。京都市内といっても先祖代々京の街中で暮らしてきたわけではなく、私の曽祖父が明治の頃に、京都の丹波の山奥から 立身するために単身で京の街に出てきたのだ。 丹波山奥で何していたかはよくわからないが、水呑百姓だったのだろう。
曽祖父はそれなりに商売で成功し、自分の両親も京に呼び寄せ、いっときは女中や使用人も抱えるほどだった。 祖父はその商売をついだが、太平洋戦争で商売も立ち行かなくなり、祖父は職業軍人になった。
曽祖父は景気の良い時代に京の街中で土地を買っておけば良かったのに、ずっと借家のままであり、なぜか墓だけは 由緒ある寺の檀家となって 先祖の墓まで移した。
継ぐ商売もなく、土地もない父は サラリーマンになるしかなく、長男だったのにも関わらず、愛知の公務員になったので、結局ずっと愛知に住んでいる。
父はその京の墓に入るつもりで、もう生前戒名ももらっていて 準備万端である。
しかし、その墓を継ぐ子孫がいないのである。
父には息子がいるが、その先はない。
つまり、私の弟なのだか、彼が死んだらどうしたらよいのだろうか?もし、私が彼より長く生きていたとしても、その京都の寺の墓には彼の骨を入れられない。なぜならその墓の管理をしなくてはならなくなりそうだから。自分が入れない墓の管理をなぜしなければならないのか?
死ぬ時はその先の管理まで考えてほしい。
それでも管理にお金がかからないなら、問題はない。しかし、年に何回ものお布施、そして 腹立たしいのは高額な戒名料。先日友人の親御さんが亡くなったときの戒名料は100万だったとか?
私の父母は院号の1番安いのでも25万。そもそも、院号に何段階もあるのが、全く理解できない。その戒名をもらわないと寺の墓には入れてもらえない。
私などは夫に、もし急に死んだら、直葬にして、そのまま火葬場へ(今はそういうプランもある) 戒名はそれほど値段が高くなければ、適当な戒名あってもいいけど、無くてもいい。骨はできれば散骨で、できなければ一度料金を払えばもうお金がいらない共同墓に入れてくださいと遺言してある。
夫のほうも墓はあるのだか、夫も同じように、郷里を離れて就職。夫の父も同じようにその前の郷里を離れて就職と すでに故郷はない。義父の墓は義母が住んでいる家の近くに何百万もする墓を建てたが、夫も夫の兄も 多分そこには入らないだろう。なぜなら その子孫が管理することが負担だからである。
義母も新しい墓を建てるとき 遠く離れた夫の郷里の墓では墓参りもできませんと言っていたが、結局その息子達も新しく建てたお墓の墓参りもできまい。未だに義父の郷里のほうの寺の檀家にはなっているが、母が亡くなればそれも切れるだろう。
それでも夫の家のほうは、義父が五男だったし、なぜか男ばかり生まれる家系のため、裾野は結構広がっているので お家断絶とはならないのでマシだ。
ところが、私の父方も母方も あと50年もすれば、お家断絶である。
母方の墓は、200年以上も代々そこで暮らしているので、村の共同墓地にある。なので、管理も大したこともないだろう。母方のほうは 檀家だった寺と大喧嘩をしたらしく、縁が切れているので こちらももう面倒臭くない。
自分の墓だけなら あっさりと管理のいらないところに入れてもらって それだけで話が済むのだか、1番心にひっかかるのは 実家の京都にある墓なのである。
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