今日の読売新聞の「気流」欄にお年寄りがぺットボトルのふたが開けられず、通りかかった人に頼んで、開けてもらった。
ペットボトルのふたが開けられない!!などということは若い人には考えられないことなのかもしれない。
お年寄りの視点で世の中を見ることが大事だと書いていました。
私もつくづく考えてしまいました。
我が家はいま84歳の主人との二人暮らしです。
瓶のふた、などを開けるときには私のところへ持ってきて、開けてくれと言います。
主人の手の力では開けにくいようです。缶ビールのふたはスプーンを持ってきて、てこの要領で開けています(主人考えましたね。)
今は私が開けてあげるからよいけれど、私がいなかったらどうするのだろう。
欲しくっても使わない。飲まないのかな。
私には威張っているけれど、人当たりはとっても良いのです。人に頼むこと出来るかな。
私が一人暮らしになってこのような事がやりぬくくなったらどうしよう。
息子たちに頼むのではちょっと遠すぎるかな。昔の人は言っていましたね。
「遠くの親戚より近くの他人」と。近所の人と親しくしておかないと困りますね。
自分で何でもできるときには気がつかないけれど、年をとるとできなくなることがたくさん出てきますから。
ペットボトルのふたが開けられない!!などということは若い人には考えられないことなのかもしれない。
お年寄りの視点で世の中を見ることが大事だと書いていました。
私もつくづく考えてしまいました。
我が家はいま84歳の主人との二人暮らしです。
瓶のふた、などを開けるときには私のところへ持ってきて、開けてくれと言います。
主人の手の力では開けにくいようです。缶ビールのふたはスプーンを持ってきて、てこの要領で開けています(主人考えましたね。)
今は私が開けてあげるからよいけれど、私がいなかったらどうするのだろう。
欲しくっても使わない。飲まないのかな。
私には威張っているけれど、人当たりはとっても良いのです。人に頼むこと出来るかな。
私が一人暮らしになってこのような事がやりぬくくなったらどうしよう。
息子たちに頼むのではちょっと遠すぎるかな。昔の人は言っていましたね。
「遠くの親戚より近くの他人」と。近所の人と親しくしておかないと困りますね。
自分で何でもできるときには気がつかないけれど、年をとるとできなくなることがたくさん出てきますから。